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なぜ私は中国へ渡ったのか

以下の記事は、生物物理 64(2), 116-117(2024)に「海外だより」として掲載されたものの転載です(CC BY-NC-SA準拠)。

日本から中国へ

全世界で新型コロナウイルス感染症が蔓延していた2021年9月に、私はゼロコロナ政策下の中国に渡航しました。4週間に及ぶ隔離期間を経た後、浙江省温州市の国科温州研究院において、私はバイオメディカル・ソフトマターの理論グループのPIとして研究活動を始めました。日本の複数の大学に約30年間勤務して、定年退職も脳裏にちらついていた私にとって、50代半ばでの中国移籍は文字通りゼロからの挑戦でした。

中国での研究生活について触れる前に、私が中国へ渡る決断をしたそもそもの理由を説明しておきます。日本の大学では、普通に教育や研究、研究費の獲得、各種委員、アウトリーチ活動などに携わってきました。個々の仕事内容は楽しくかつ充実したものであり、私も可能な限り改善や向上のための努力を重ねました。しかし、日本の大学システムに適合することを長年続けた結果、50歳を迎えた頃から徐々に自分のスタイルを変えることができない状況に陥り、モチベーションの維持に苦労するようになりました。また、私の研究分野であるソフトマター物理の将来的な方向性として、医学との連携を模索していましたが、私の力不足もあって、日本で実現するのは難しいと感じていました。

その頃から、長年の友人でもあるイスラエルの共同研究者の勧めもあって、中国、韓国、台湾、香港、シンガポールやマレーシアなどの大学や研究機関の知り合いに直接打診して、移籍の可能性を探りました。結果として、研究の方向性がマッチする国科温州研究院での採用が決まり、研究以外の様々な懸念はありましたが、思い切って新しい環境に飛び込んでみることにしました。とは言っても、私が中国に来ることになった背景には、30年に及ぶある中国人研究者との関わりがありました。これについては最後に説明します。

国科温州研究院

私が所属する国科温州研究院は、中国科学院大学を母体として2019年5月に設立された新しい研究所です。研究所の目的は、理学や物質科学などの基礎研究と、医学や医療工学などの応用研究を繋ぐ学際的な分野を開拓することです。現時点で50名以上の独立PIが在籍しており、専門分野はソフトマターや生物物理、医療・生体材料開発、生化学、創薬、バイオインフォマティクスなど多岐にわたります。各グループの研究スタッフやポスドク、大学院生などを含めると、総勢600名程度の規模になっています。また、日本から土井正男先生と瀬戸亮平先生のお二人もPIとして所属されており、国際的な研究所を目指しています。

私のグループには研究スタッフ1名、ポスドク1名、大学院生7名、秘書1名が所属しています。バイオメディカル・ソフトマターを旗印に、アクティブマターやマイクロマシン(分子モーター・酵素・マイクロスイマーなど)、マイクロレオロジー、非平衡統計力学に関する理論およびシミュレーションを行っています。これからは、以前から温めていたメディカルな問題にもトライするつもりです。

2023 年 10 月時点での研究グループメンバー

人材プログラムと科研費

これは私が中国に来てから認識したことですが、中国で研究者としての階段を昇っていくためには、年齢や経歴に応じた人材プログラムや科研費の取得が必須とされています。また、これらの申請が採択されるためには、高IFジャーナルの論文が求められます。中国では優秀な人材を登用するために、あからさまな競争の仕組みが導入されており、良し悪しは別として、誰にでも分かる明確な基準が存在するようです。まさに科挙の伝統が現代でも生きていると感じます。

私は年齢的にシニアかつ外国人なので、中国人と同じ土俵に立っているわけではありませんが、中国渡航前から複数の人材プログラムに応募するように勧められ、何が求められているのかよく分からないまま、手探り状態で申請の準備をしました。その中の一つが「浙江省海外引才计划」という省レベルの人材プログラムであり、書類審査を経て、渡航直後に桐郷市で対面のインタビューを受けました。幸い私はこのプログラムに採択されましたが、その重要性を認識したのはかなり時間が経ってからでした。

2022年が明けた直後から、国家自然科学基金(NSFC)の申請に取り組みました。初めてのことだったので、とにかくトライする気持ちで「外国学者研究基金项目(RFIS)」と「面上项目」(日本の基盤研究に相当)の二項目を準備しました。日本での科研費申請は何度も経験しており、もちろんNSFCでも共通する部分はあるのですが、やはりNSFCなりの書き方の作法があるため、それに適応するために多大な時間とエネルギーを使いました。また、面上项目は中国語で準備することにしたので、研究所の同僚には大変お世話になりました。

実際に申請を経験して印象に残ったのは、申請用のウェブシステムが研究者のデータベースと連動しており、厳格かつ合理的に構築されていることです(毎年の全申請数は約30万件)。RFISは7月にオンラインのインタビューが実施され、幸い9月には2件とも採択に至りました。また、NSFC以外では科学技术部(MOST)の「外国专家项目」でも採択していただきました。これらは、外部資金獲得という本来の意味を超えて、私が中国で研究活動を行うための重要な基盤を与えてくれました。それと同時に、速やかに中国の研究システムに適合すべしという精神的なプレッシャーは幾分軽減しました。まだ始まりに過ぎませんが。

中国の科学の現状

最近、中国の自然科学系の論文数が飛躍的に増大し、様々な指標で世界一になったという報道を頻繁に目にします。国家としてここ20年近く科学技術の推進に力を入れてきたことは事実ですが、私はもう少し単純に研究者の層の厚さがその原動力ではないかと見ています。例えばソフトマターという狭い分野でも、少なくとも日本の5倍以上の研究者(1000人程度)が存在することがWeChatグループから推察されます。全体の人数が多ければ、優秀な研究者の絶対数は多くなり、研究者間の情報交換や共同研究も盛んになります。

これら多数の研究者が、自らの生き残りをかけて一律に高IFジャーナルを目指しているので、必然的に中国からの寄与が増加する仕組みです。ちなみに、NSFCの申請書の中で、申請者の論文業績は5本までしかリストできません。我々は中国の成功例に目を奪われがちですが、特に若手研究者間の競争は熾烈を極めており、いわゆる勝ち組はごく一部に過ぎないのが現状です。競争に勝ち残ることだけが目的化してしまう懸念はありますが、この過酷な競争システムが近年の中国躍進の原動力になっているのは間違いないです。

また、中国では過去10年以上、海外の中国人および外国人研究者を高待遇で国内に呼び寄せる施策をとってきました。私が現在の中国で注目しているのは、40歳前後の若い研究者が高い地位や潤沢な予算を与えられ、実質的なリーダーシップを発揮していることです。彼らは多くの場合、海外で大学院やポスドクを経験しており、英語が堪能であることは言うまでもなく、国際的なネットワークの中で研究を進めています。彼らが活躍する今後10〜15年程度は、中国の研究の勢いが継続されると私は見ています。

運命的な繋がり

温州に来てからの2年間は、生活の立ち上げやゼロコロナの対応などで困難な場面もありましたが、同僚や事務方のサポートのおかげで、現在は楽しく研究に取り組むことができています。私の年齢で新しい経験ができるのはとても有り難いことです。一方、自分の人生を改めて振り返ってみると、私が中国に渡ったのは偶然ではなく、むしろ必然のような気もしています。

私の30年前の博士論文の題目は「膜面の統計力学」で、その中で欧阳钟灿先生(中国科学院)がヘルフリッヒ先生と導出した膜の形状方程式を使いました。欧阳先生は当時からその引用を認識して下さり、1996年にベルリンで開催されたヘルフリッヒ先生の退官記念研究会で初めてお会いしました。その後、欧阳先生とは様々な機会を通じて交流をさせていただきましたが、当時は私が中国で研究することは全く想像していませんでした。冒頭のように私が海外移籍を考えるようになって、中国で最初に相談させていただいたのは欧阳先生であり、彼から紹介を受けた国科温州研究院で働くことに迷いはありませんでした。研究者の繋がりの有り難さと不思議さに深い感慨を覚えています。