いつか宇宙に行ける

ほんのちょっとの担保しかない地元の放送局に入れる予定を元に適当な就活を行い、結局氷河期の寒さに敗れ去り、そこそこの理系大学生の特権を生かして、学部推薦でただ単に「宇宙に興味があった」一点で選んだ社会人1年目の仕事先。

微塵も入社後の調査をしてなくて、代々木で働けると思っていたら、社会人最初のゴールデンウィークが終わったらなぜか高崎にいた。当時付き合っていた遠距離恋愛の彼女が一緒に引っ越しの手伝いしてくれたけど、それもそれっきりというのは淡い想い出。

興味があった程度での入社だから、明らかにスキルアンマッチーーだって材料物性とか知らんしーーだったけど、大雑把に言うとリスクをとことん学べたのは良かった。だって、間違ったら極端に言えば人が死んじゃうしね。あとそもそもなんで自分がそんな宇宙開発の現場にいれたかなんだけど、20年経って振り返ってみれば、オペレーションの強さだったんだなと今にしてみて思う。当時の管理職に今更ながら感謝。誰もみてないだろうけど。

これまた学生時代から全く興味なかったけど、身分証明程度で取った運転免許証が通勤でいきなり役に立つ。運転の楽しさを覚えたのも感謝。運転してたのはキューブだけど。今に至る趣味にもなっちゃったしね。車のスペック自体には相変わらず興味ないが。

仕事自体はそれほど楽しくはなかった。興味があったけど、思い入れがあるわけではなかった。プライベートのほうが100倍楽しかったし。いろいろあって、わずか1年でこの職場を去るか、もしくは残るか、という話になったとき、あっさり去る手段を選んだことに当時から今に至るまで一切未練&後悔はない。当時の同期も職場の人も、上司も、全てオンライン&オフライン、全て繋がってない。

・・・社会人1年目の自分へ。そうは言っても、あの超就職氷河期の中でちゃんと就職活動していい会社に入った周りは眩しく、いや、そもそも直視できてなかったよね。プライベートの楽しさで救われてはいたけど、闇な部分はたしかにあったね。自己責任といえばそれまでではあるけど。

でも、当時から新しいこと、見知らぬことにビジネス上でもチャレンジしてみる精神はあった。その積み重ねはいつか君の心の中から闇を取っ払ってくれるよ。そして常に明るくコミュニケーションを取り続けること。八方美人だっていいことあるよ。

そしたら、今でも興味がある宇宙にいつか行けるんじゃないかな。20年後の自分は未だにそう信じてます。

クリエイターというわけではないですが、受けた支援は自分のモットー「みんなでしあわせになろうよ」のために使います!