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学生注目!

(解像度が低いですが1993年頃に閉店した「カレー藤」。昭和の終わり頃から平成の頭にかけて早稲田の本キャンで学んだ人では知らない人はいない有名店・デーモン閣下もお気に入り)

これは、コンパで自己紹介する時の口上ですので、今もすると思います。
「学生注目!」
「なんだ!」
「私、○○県立○○高校出身!」
「名門!」
だいたいこのような出だしで自己紹介が始まります。慶應義塾だと若干違うとか。

社会科学部は夜間開講の講座が多く、また当時は大学側の意気込みもあったのか、教授陣に恵まれていました。

現在とは若干講義の選択方法が違うようですが、第一外国語の選択で実質のクラス分けが行われていました。
わたしは、フランス文学者の森乾(もりけん)先生のクラスでした。
※ウィキベディアにも載っています。
フランス文学の翻訳作品もあるそうですが、なかなかエロイ小説だという噂です(噂ではない)

このクラスの先輩に女優の室井滋さんがいたのです。
森先生は彼女に単位を与えていたと、しっかり覚えていましたが、別の先生(M先生)が単位認定が厳しく、「室井滋の卒業を阻止した教授」といわれていました。
わたしもその先生はからは「可」で通過したのです。毎年、ほんの数人という感じです。

最初のころ、試験前には学生が増えますが、普段は全然来ない学生が多いのです。わたしは皆勤賞といわれるくらいに授業に出ていました。

森先生とは2回くらいマンツーマンの授業がありました!(それでも休講にしなかった森先生は素晴らしいです。本当は休講にしたかったかもしれませんが、となりにドイツ語のクラスでは、生徒が全然来ないで、そのドイツ人の先生が廊下を歩いてきて、チラチラとこちらのマンツーマンの授業を覗いて見てましたw)

ロシア語も習いました。担当したのは御子柴道夫先生です。この先生もユニークな先生でした。
※ウィキペディアに載っています。

それを見ますと難解な授業に感じます。ロシア語はだいたい一番遅い時間の授業でした。
受講者も2~3人くらいしか普段はいません。

きっちりロシア語の時間が終わったころに、
先生が「飲みに行くか?」と誘うのです。
そうでなければ私から「お夕飯でも一緒にいかがですか?→つまり飲みを誘う」毎回授業の後は飲み会。

お決まりの場所は、営団地下鉄早稲田駅の入口の露地を入った「一休」という焼き鳥屋です。いまでもあると伺っています。

この御子柴先生は学生とよく飲んでいたようで、学生がカネがない時は、学生のアパートまで行って、上がって飲んでいたツワモノです(笑)

長野県出身の方で、酔うと「ムシ(虫)くいてー、ザザ虫くいてー」と言い出しました。わたしは虫は超絶苦手で、店のメニューになくてホントに助かりました。

モスクワの話やドストエフスキーの話とか、居酒屋の雑談でも楽しかったです。一番印象深い「ザ・早稲田」という先生でした。しかしウィキをみると2年くらい前に亡くなったそうです。本当に残念です。

フランス語でもう1人お世話になったのでは、語学研究所の内藤ソランジュ先生です。生粋のパリジェンヌです。スマートで貴婦人のような雅なフランス人女性でした。コートもブルーでとてもオシャレです。
なんとお母さんはメディチ家の貴族の末裔だとか!どおりでです。

わたしは3年生の時に転居しましたが、あるとき山手線高田馬場の駅で帰りに会い、「メーム リーニュ?」と聞かれ路線が一緒だとわかりました。ちなみに彼女は一切日本語は話ません。
それから授業が終わると一緒に内藤ソランジュ先生と帰りました。
そしてお宅にお邪魔して、焼き鳥とごはんを御馳走になりました。

フランス貴族の末裔から、焼き鳥をつくってご馳走をしてもらうとか…

ほんとに上京したての、田舎者はおそれを知りません。
かなりのバンカラ、いや「オ・バ(ン)カ(ラ)」ですね。

岡沢憲芙先生や田村正勝先生の講義は人気でいつも数百人入る15号館の大教室が満員でした。
私がフランス語選択だったのは、岡沢憲芙先生の仏書講読があるからという理由ですが、受講の為の単位取得者がわずか数人だったということ、岡沢先生が留学ということで代替の先生が来ました。なんてこった。

ゼミは行政法の藤井俊夫先生でした。とても紳士な先生です。
行政法というのは、なんとか就職しなければならないということで、公務員試験を受けると決めた理由からでした。

4年生の時に、試験に受かったとき、まだ内藤ソランジュ先生の授業をとっていて「フォンクショネール・デュ・シェフ=リュー」就職すると言ったとき、語学を続けないの?という感じで残念がっていました。
パスポートの写真と、パリのメトロ用カルネの写真が出来たのをみせて、「ハンサムに撮れているじゃない・笑」と言ってくれたのを覚えています。
生粋のパリジェンヌにから褒めてもらいました(笑)

さて、表題ですが、教養科目の刑事訴訟法の内田一郎教授が、マスプロ授業で「どうも長岡高校出身の学生がいるらしい」と突然話をしました。

「へ!!!!!!」

たしかに先輩からも「君は長岡高校なんだって?」と言われたことがあります。
それが、早稲田大学の歴史上の伝説の教師、「猪俣津南雄」先生の出身校が長岡高校で、その学校の学生がいる!というのが内田先生の話です。

完全に脱線で1時間くらい話をしていました。
まさか、自分の母校の高校のことを、大学の講義で聴くとは思いもよりませんでした。日本にはあまた高校があるというのに、です。
それが驚きでした。

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