就職活動の話
私が大学に入ったころは、バブル経済の絶好調。しかしそういうものは長く続かないもの。
大学2年生くらいから様子が怪しくなってきた。
たしか、大学に入って最初に首をつっこんだサークルは司法試験合格を目指すという法律系のサークル、という触れ込みだった。
入ってみると
「わがサークルからは、司法試験合格者はほんの数人しかいない!」と先輩の話。
なんだそれ?と思ったが、結局、大学に行ったときのたまり場という感じだった。
たしか、今でもある早稲田大学15号館の1階というのか、半地下というだろうか。
そこにソファがあって、いろいろなサークルが集まっていた。
私が学生時代の時に、織田裕二さん主演の「就職戦線異状なし」という映画があった。作者はわたしの社会科学部の先輩である。
その時の主題歌の槇原敬之さんの「どんなときも」は頭にこびり付いている。フジテレビでさんざん流れていた。
主人公自身が、たしか同じ早稲田大学社会科学部というところにも親近感があった。しかしサークルの同級生に鶴田真由さんのような女性がいたかどうかは疑問である。ほぼ男しかいない。
マスコミなら、岡沢先生のゼミや田村(正勝)先生のゼミが強いし、サークルは雄弁会やアナウンス研究会などが決まり手である。
ということで、映画の主人公のようにマスコミは頭になかった。
大学から20分くらいだろうか。当時はフジテレビの本社が河田町にあって徒歩圏だった。
たしか当時は、フジテレビの八木亜希子さんが早稲田出身だったので講演を聞いたことがある。
日本テレビの羽鳥慎一さんは同年卒業で、私が写っている卒業アルバムに写真がある。
バブル崩壊で、大人気だった証券会社は採用を手控える方向になるが、早稲田大学はまだ地方銀行には強い、サークル仲間では地方出身者も多かったから、「田舎に帰って地方銀行に就職しようか」という声と「地方の公務員試験を受けるか」という感じになっていったのを覚えている。
当時は、地方企業の合同説明会というものが盛んにあり、表題の横浜アリーナで新潟県企業の合同説明会があるというチラシか情報をもらった。
開通したばかりの、京王線に乗って橋本まで行き、横浜線で新横浜にある横浜アリーナに行った。
たくさんの新潟県企業がある。ひととおり見て回って、同級生が「地方銀行を考えている」ということから、とある地方銀行のブースに行って、大学名、氏名、連絡先などを書いてアンケートを書いておいてきた。
その時は何気なく感じていたのだが、およそ一週間ほどしたら、その銀行の人事課から留守電が入っていた。面接のお知らせであった。
「ああ、ついに就職活動に突入なのか」と思った。
企業説明会といいつつ、参加者やアンケート記入者には、それを会社の人事課が調べて、連絡をとっていたのだ。大学3年生の時である。
わたしの実家のすぐ近くに、大きな庄屋さんのお屋敷がある。
就職して気がついたが、新潟県の第二代県会議長だった。そして渋沢栄一氏と共同でさまざまな企業を立ち上げた人物である。
その人の政党は「立憲改進党」だった。
大隈重信公とつながりがあった。その銀行もその庄屋さんが創立に携わった銀行なのだ。
なぜ、家の親が「早稲田なら学費を出す」といったのも少しずつ見えてきた。
驚いたのは、その地方銀行の専務さん、最終面接を行ったのだが、実家のご近所さんだった。番地も数百番しか違わなかったのだ。
それは専務さんから「近所だな」と言われたから、実家に電話したら「ああ、あそこの家だ」と言われた。大学も同じ…
そうか、運命に導かれるように、早稲田大学に進んでいったのか、と思った。
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