なぜ東京大学じゃなくて、早稲田大学だったの?
家庭の中で、少しずつ洗脳(?)されていたのかもしれません。合格してから教えてくれました。行け、ということではなく。
私の育った、家から数百メートルしかない庄屋さん
(現在も記念館と奨学金の事務局になっています)
自由民権運動家だったのです。
明治時代に「長岡らんぷの会」を主催し、新潟県のさまざまな産業を立ち上げました。立憲改進党ということも、かなり後で知りました。
もうひとつ、自由民権運動というそのような素地もあり、小作争議なども多くあったようですが、新潟県で小作争議な農民運動を指導した人は、多くは早稲田大学の出身だったのです。
わたしの子供のころは、田中角栄さんが元気な頃ですが、中選挙区制で三宅正一さんという議員さんがいました。早稲田大学で猪俣津南雄先生から影響を受けていたそうです。
だから、「長岡高校」→「早稲田大学」なんです。
まさしく黄金ルート(?)
権力の側の東京大学(といってもたくさん偉い人はいますが)ではないのです。
「ノリで書いた」模擬試験の「第一志望・早稲田大」だったのですが、快諾してくれた親、祖父には感謝しています。
そんなこんなで、労働組合の役員なんてものもしてしまいました。
聞くと、祖母の実家でよくお年玉をくれておじさんは私鉄総連の支部長だったというじゃありませんか。
運命というのは、逃げられないものだったと思いました。
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