斎藤幸平『人新世の「資本論」』読書メモ


※「(か)」は筆者見解

(か)自民党が新自由主義的な傾向を強めてから、地方や地域、農業、自然風土、小規模事業や協同組合を衰退させるような政策を進めているのは、それらこそが持続可能な経済、環境政策、協同体、共同所有の総体系としての社会主義に向かう基盤の雛形となりかねないことを正しく見抜いているからではないか。

(か)技術が悪用されないように社会的共通資本として共同体的に管理する

原発は中央集権的なトップダウン(P.227)

むしろ資本主義によって欠乏している(P.234)
コモンの潤沢さ。(P.237)豊穣。
(か)コモンセンス→共有感、共同感覚
(か)コモンズに稀少性が生じないわけではない。制約がある。
(か)コモニズム

自治、主体的、自律的・水平的・分散的。市民営(P.258)
地域循環経済(P.260)
社会的所有(P.262)所有の社会化
緊縮とは人工的稀少性のこと。反緊縮とは貨幣のばらまきではなくコモンの潤沢さの回復である。(P.268)
商品価値の前に使用価値の充足を(P.285)
参加型社会主義(P.288)
自治管理・共同管理(P.289)
気候危機に対処し、生存環境を守るためには労働・生産のあり方を抜本的に変える必要がある。(P.292)

(か)脱成長コミュニズムでは、マーケティング、広告、コンサルタント、投資銀行などの仕事は本当に丸ごと不要なのだろうか。
労働時間や生産力、仕事、所得の総和や平均はちょうどよくなっても、その分布が対称になるとは限らない。必要性の低い仕事とみなされた業種の人々の生活は困窮してしまうかもしれない。それをどう防ぐか。社会的な転換の中で個人個人や各地域をどう支援していくか。

エッセンシャルワーク・ケアワークの待遇を引き上げる(P.316)

(か)相互扶助的・自治的な公助

自然からの収奪も止める(P.352)

ローカルのグローバルな連帯(P.359)

コモンは資本主義よりも潤沢である(P.360)

(以下:か)
ごく一般的な人が必要に応じた最低限のものしか手に入れられない国は豊かな国とはいえない。

自己責任・自助努力の不合理性について。
大きな問題に対して一人一人がばらばらに体当たりしていたら解決できるわけがない。

自己抑制と立憲主義には親和性がある。

不動産価格の下落は悲劇ではあるけれども、住む場所を確保するために高いお金を払わなくて済むという「別の豊かさ」をもたらす可能性もある。

権利を否定すればするほど収奪しやすくなる。時代逆戻り的、強圧的、差別的な政治は新自由主義と相性がいいわけだ。

日本のように南北3000キロの列島に1億人が暮らしている国が充実した農林水産業、農漁山村なしに成り立つと考えるほうが無茶だろう。

貨幣・資金調達の潤沢性にも制約(限度)がある。MMTは資本主義の矛盾を加速させるだけ。

車や家が買えるぐらい好景気になることが目的なんじゃなくて、ゆとりのある生活が送れるだけの充足があることが目的なんだよな。その上でよく整備された公共交通があってもなお自家用車を望む人や、手ごろで良質な公共住宅や賃貸住宅があってもなお持ち家や分譲を望む人は環境に限度を超えた破壊をもたらさない範囲でそうすればいいという話で。

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