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遠い記憶[趣味編]〜釣り🐟fishing〜

久しぶりに『記憶』シリーズ。
思ってた以上に長編になりました(2900文字‼︎)

年齢,世代を追いかけてきたけれど社会人にもなったので、これからは、
テーマ別に記憶を振り返ってみようかと思う
今回は、趣味編の一。釣り🎣

自分が趣味と自覚した最初のこと
始めたきっかけは父親。よく連れて行ってくれた。自宅から1kmほどの
お堀(お城公園の周囲を囲む)には週に何回となく出かけた。

父は自営だったので、お金はないが、時間(暇)はあった。16時過ぎ
から餌を作り,握り拳大のそれを持って出かけ、餌がなくなるまで釣りを
楽しむ。秋口は,夕暮れが早いから気がついた時は、周りは真っ暗。車は
ライトをつけて走っていることもあった。
餌は、料理用のマッシュポテトに色々混ぜていた。今のように洒落た餌は
売っていないので,工夫の余地はたくさんあったようだ。ポテトに砂糖,
うどん粉,時には「とろろ昆布」ホットケーキの元,シラスをすり潰して
混ぜたり,バニラエッセンス?を混ぜたり
(何故,実家にあったのか,今になって不思議)

時には、すこしはなれた池(ここは有料/利用券が必要)へ出掛けたり、
その近くの沼、そこから流れ出る川(川と言ってもとぶに近い水質だった)
でも楽しんだ。こんな所で狙う魚は、🐟真鮒、ヘラ鮒、鯉,基本釣っても
帰る時には逃してくる。一度、鰻が釣れた時は、持ち替えって近所の魚屋
さんで捌いてもらったことがあった。

当時はみんな緩かった。
今ではお堀では釣りが禁止になり(危険だそう)
有料池の料金は驚くほどの金額になり,
 更に魚が傷つくのでタモを使うことも禁止された
 (元々、タモ(網)は魚を傷つけないために使うのだけれど、
  使い方を間違えると,魚を擦って傷をつけるらしい、
要は下手くそ!!)

一方で、食べる魚は海釣り。
砂浜からの投げ釣り。以前小学校編『遠い記憶その四』でも書いたが、
実家から5kmほどで海岸に出る。最初はこれも父親に連れられて
だったが,自分で自転車🚲に乗れるようになってからは一人で出かけた。
自分だけの近道があって、毎週そこを通って出かける。
あのワクワク感はたまらない‼️

海岸の近くの親戚の家が基地になった。
毎週末に1泊2日でお邪魔して、朝3時に起床、9時頃まで釣って帰って
くる。(午後は宿題とお昼寝)

釣れた魚はグチ(いしもち)、キス、コチ、ギンダベラ,時々、カニ、
クロダイ,カサゴ,いろんな魚が釣れた。ほとんどは持ち帰って、
親戚の叔父さんが捌いて、夕飯のおかず,自宅へのお土産に。
釣れても釣れなくても、構わない,ただ海に向かっていることが好き
だったと思う❣️

夏は同じ海岸で夜釣りもした。カーバイトと呼ばれるガストーチに火を
灯し、手元を明るくしながら釣りをする。
小学生高学年でも、真っ暗な海に向かって餌を投げ込む時や、何か魚が
掛かって,引き上げてくる時は,海(波)が生き物のように感じて
薄気味悪かった。タチウオが釣れた時は、波の向こうでギラギラ反射する
から更に気色悪い。叔父さん父親は喜んでいたが,自分は。。
太刀魚は、食べる方もしばらく好きになれなかったなぁ。

今では、ここの海岸も当時とはずいぶん変わって,砂浜は広くなったけど,
どこか人工的な気がして,そもそも沿岸流(海岸きわの海流)が東西逆に
なっているのに気づいた時は衝撃を受けた❗️Webで情報探したけど何も
記事が見当たらず,もやもや???(隠されているような不信感)

そんなことで、最近はここにも釣りには行かなくなった。ランニングコース
なので,走りに行くと大勢の釣り人がいる。昔と違い,みんなルアーで釣り
してる…住んでる魚も変わったのかな。釣っている人たちもおしゃれだね♪


中学の頃,母方の実家に一年近く居候していて(古い自宅の建て直し)
そこの従兄弟に渓流釣りを教えてもらった。
最初は,そんなに遠くない小さな川でのニジマス釣り大会。大会の制限
時間中には釣れなかったのに,大会終わってお弁当を食べ終えてから釣り糸
を垂れたら、大物が釣れてびっくり‼️これで渓流釣りの味をしめた。

それから何年間かは、年に数回、南アルプスの麓の川へ、釣りに出掛けて
ヤマメや時には岩魚を釣ってきた。いつ行っても綺麗な川だった。川の
様子の事を渓相と言うが本当良い渓相に出会えていた。
早春の雪が舞う中の釣りは釣れないし寒いし。雪代「雪解け水)が流れ
始める頃は,ルアーで渓流を攻めた。GWが明ける頃は釣り人も増えて
いかに早く川に降りるかで釣果が決まること教わった

いつ行っても水は冷たく透明で,河原に余分な砂利はなく(上流域なので、
下流のような細かな砂や砂利はほとんどない)大きな石の間には小さな
落ち込み(本当に小さな滝)が続いていた。早朝、暗いうちに到着して
暗闇に目が慣れてくると、河原を移動する動物たちも見かけることがあった。
これぞ自然。
ある時釣りの後半から雨に降られて橋の下で凌いでいた。焚き火をしよう
にも乾いた焚き付けは無く。そんな中で従兄弟が四苦八苦していた所で、
自分がすんなりと火をつけたので、驚かれつつ褒められたのは今も鮮明だ
(人は、些細な事でも、褒められるといつまでも忘れないですね)
またその時,自分達が居た所から50mも離れない辺りで、大きな崖崩れが
あって焦った。ドンガラガッシャーン・ガラガラ・ゴー・カランカラン。。
音だけ紹介。落ちた後には河原に数mの山ができました。
もし、道路だったら帰れなくなってしまいました❗️

『教訓』
 〜山裾で雨の日にカランカランと握り拳くらいの石が数個落ちて
  きたら,速攻で逃げましょう‼️〜

そんなこともあってその日の事はいろんな事を覚えている
 着てた服,かぶってた帽子,ゴム長靴、身につけたビク(釣った魚
  の入れ物)竿、餌入れ

 あれ⁈もしかして,あれが渓流釣りに行った最後の日かもしれない‼️


他には,会社の先輩に海の船釣りに連れ行ってもらった。
チャーター船で湾内のかなり沖まで出かけた。沖には〇〇の瀬と
呼ばれるポイントがあって,他のところ水深が数百mなのにその辺り
だけ、数十mから100mくらいに浅くなっているそう。
ここの海は深いんです。深海魚の話題でTVでも紹介されます。

その時、釣れたのは,ウマヅラハギ,イサキ,アジ、サバ
本当は真鯛も狙ってたようだけど、釣れたのは見なかった。
この先輩にも何回か連れて行ってもらったけど,結局は自分が飽きて
しまった。
 この釣りはお金も掛かったし(餌代,船料金で1回1万は下らない。
 釣れれは気にならないが、釣れないと虚しい。当時、若手社会人に
 この出費はキツかった事もある。)

ちょうどその頃,今の妻さん釣り上げて(超大物❣️)それからは、魚釣り
から遠ざかった気がする。なにせ,『じっとウキ見てるの耐えられない』と言われるから,一緒には行けないし。まぁそ言う元気なところが良い所なんだけど
子供が小学生の低学年の時に,何度か釣れて行ったけど、兄弟して釣りよりも砂浜の穴掘りに興味を持つ人達だった(正確には魚が苦手だったみたい,弟の方は生き物自体が苦手だったし。。)

と言うわけでかわいそうなお父さんでした😢



〜本当は〜
定年後には、息子達も成人〜旅立ち、のんびり海釣りとかに復活,やったことのないフライフィシングにも挑戦をと、企てていたのだけれど,こんな身になりご破産に。
まだまだ諦めてませんが,いろいろ訓練をが必要なことにも気がついたのて、もう少し先になりそうです。ボチボチと進めます🥹

お魚さん待っててね〜🐟🐟


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