ここで今、原点回帰。
こんばんは、葛飾区の訪問看護師、重本です。
来月1日の開業に向けて、昼は挨拶まわり、夜は内部資料の作成と、自分に鞭を入れながら頑張っております。
少し言い過ぎました。
合間でうっかり寝ています、寝ないと生きていけないもので。
山積みのやらなくてはいけないことを横目に、逃避行動として他のこともしています。
このnoteも実はそのひとつ。
どんどん生活が夜型になるのが悩みのタネですが、開業後はそんなことも言えなくなるので、贅沢な悩みかなと感じています。
今回は、訪問看護ステーション開設にあたって、自分の原点を振り返ることは意味のあることと思い、看護師を志すきっかけになった一冊を、開業準備しながら少しずつ読み返したので、そのお話です。
以前のnoteを読んでいない方のためにざっとお伝えすると、私が山崎章郎先生の「病院で死ぬということ」に興味をもったきっかけは、高校時代、新聞のテレビ欄でした。
深夜の映画放送に何故か興味をもち、タイマー録画した作品の素敵な映像と未知のテーマに衝撃を受け、初めて知った「ホスピス」を深堀りし、やがてその道は開業へと私を導いていくことになりました。
まず、私が前にこの本を読んでから20年以上、単行本の出版された1990年から数えると実に30年近くの歳月が流れていたということに、改めてビックリ。
1990年、どんな年でした?
人によっては「えっと、まだ生まれてない」ですよね。
Wikipediaさんによると、ローリングストーンズやポール・マッカートニーが初来日公演をしたり、東西ドイツが一つになったり、スーパーファミコンが発売されたりした年らしいですよ。
わかる人に伝わればそれでいいです。
ちんぷんかんぷんな方は「へぇ」「ふぅん」と思って下さればじゅうぶん。
そんな1990年のときの私と今の私は、その間のいろんなことがあった人生経験と、干支が一回りするより長い間、看護師という専門職として現場に立ち続けて育まれた感性があります。
その状態で作品を読み直してみると。
一つ一つの患者さんのエピソードと心情、先生が訴える当時の病院の状況や治療に対する考えの背景が、現実感をもってありありと迫ってきました。
全く同じ本を、時間を隔てて読むことで、こんなにも読後感に差があるものかと、読み進めながらひしひしと感じました。
先生は、この本を書かれてから、病院の中にある緩和ケア病棟で働かれ、地域に自らクリニックを作り、地域の中で日本の中で、どのようにホスピスケアを展開していくかを実践されながら、フロントランナーとして情報発信を続けておられます。
何年か前の研修でお姿を拝見する機会があったのですが、まだそのときは何物でもない自分が話しかけるべきではない、と自重したことを今も覚えています。
いつか、先生にお会いして、はっきり堂々とお話をさせていただきたい。
個人的な夢、いや、目標ですね。
とりあえず今日は、当時読んだハードカバー版をamazonでポチッとして、本棚に並べておこう。
ウチの猫も眠そうなので、今回はこの辺で。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
重本 誠之
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