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30代と言えば。

前回はお金の話とほぼ20代のわたし。
今回は30代のわたし編。

思い返せば10年も前なんですね、、月日はあっという間。いつも思うけど、自分だけ早送りな人生じゃない?と思うんですよ。なる様になる、と切り替えや諦めも早いこともあり、何とも嵐の様な人生じゃない?と思うんです。
もちろん、人それぞれなんだけど、山あり谷あり、、乗り越えても下ってみても答えのない人生。それでも30代は安定していて、毎日平凡だったかもなぁ、なんて思えたりもします。

今はバツイチとなりましたが、20歳後半で結婚をして、そのタイミングで地元に戻り、同居し、子供服の販売員や、ダンスの先生、ヨガの先生となり、ヨガスタジオを立ち上げ、個人事業主となる。
休日はサーフィンをしたり、友人と旅行や飲みに出掛けたり、子供を持たなかった私は自由気ままで、もしかしたら「羨ましい」と思われる数年だっかたもしれません。
ちょっとだけ派手に見える、誰かの目に触れる毎日。もちろん苦労がなかったかと言われたら嘘だけど、「先生」と呼ばれたり「ダンサー」だったり「サーファー」って口にするのはちょっと浮かれていたかも、と。

今思えば、何か物足りない気もしていたし、いろんな情熱が分散しすぎて肩書きもありすぎて忙しかった。

「努力」が出来ない私は、何かがある程度出来る様になると、すぐに移り気。。。。。「夢中」という言葉が恐らく性に合わない。頑張れないし、頑張らない。これって性格っていう一言で片付けて良いのか疑問ですが、とにかく短所だよな?と自覚しています。とにかくステータスというものがむず痒い。
流行りに乗る訳でもないけれど、その時の自分に満足できない症候群とでもいうのか、留まったり、踏ん張ったり出来ない、ダメなやつなのです。

自分なりに頑張ってた時期、そうとも言えるし、
自由でありながら、自由じゃなかった、とも言える。
私じゃなくて、他の誰かになろうとしていたのかな?とも思う。
それが30代でした。(振り返るとね)

未だに、自分がどうなりたいのか分からないんだけれど、「あなたなら大丈夫」と言われるたびに「そっか」と確信のない返事は出来るくらい楽観的。

運が良すぎるのか、この時期に出逢えた人達も最高でした!これはいつも思うことで、お付き合いいただき、応援してくれたことにありがたい気持ちしかない。毎回言うから薄っぺらいかもしれないけれど、ほかに言葉が見つからないので、どうぞ許してくださいね。
人前に立つ事が多かったので、大半は生徒さんたちが多いのですが、幼稚園児から70オーバーの方までいらっしゃって、販売員時代の「妊娠したの!」と言うところから入れると、受精卵時代から知っているKidsも居たな、とか。専門学校で夢見る少年少女も居たし、ヨガを実際に教えている先生たちも多かった。そんな皆さんたちを嘘1mmも無く大好きでしたし、今でも繋がる皆さんとはずっと繋がっていきたいな、と思っています。


ただ、ふとした瞬間に「私はひとりなのになー」って思うことがしばしばあって、自分で作った「いろんな私」に追いつけずに居たのも事実。甘ったれなだけなんだろうけれど、どの自分にも責任が持てなくなったのかもしれない。辞めてしまったのはただタイミングだっただけなんだけれどね。

始めるときは「突然」有無を言わさず始められたし、でも終わるときは「ここだな」というのもしっかりと分かったし、ちゃんと終われたので悔いも、ごめんなさい、もない。勿体ない!そう何度言われたことか....そんな事微塵にも思わなかったので、スッキリさっぱりなのも、凝り性ではない私だからでしょうか。

本当に沢山のエッセンスがあって、それが集まって、凝縮されて今になったな、と思ってるんですよ。自分の足で立つために、地盤を固めた感じ。ぎゅっぎゅと押し固めて、そこに立たせて貰っている。立つためには押さないとダメだし、安定させるためのバランスをグラグラしながら探っていく。経験だけが自信になるし、それが成長だとも思う。
で、バンコクでOL?って感じなんだけど、これが今のリアルで、めちゃくちゃ楽しい。ダンスもしていないし、ヨガも満足には出来ていないけれど、教える立場でもないし。もちろんサーフィンもしていないし、数年前の私では全くない、今。出会った皆さんの知らない私かも?それでも良いんです。


もうね、自分の将来は案じないことにしているんです。どうせ、変わるからね。

ヤンチャしながらも、田舎から上京してそれなりに楽しんで、結婚して独立して、可愛いワンコが居て、好きなものだけを周りに並べる。恐らく誰もがそう望んでいる訳ではないと思うけれど、有難いことに、自分が納得する人生を歩いているな、と欲望の塊な自分が笑っています。

今後も気になって仕方ないでしょ?

そして今はちょっと暇。望んでいたのに暇だと不安になる。過去を思い返して、「今、これで合っているんだよ」と肯定する為に、文章にしている気がします。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないけれど、誰も言ってくれないから自分で言ってみる。多分そう言われているのかもしれないけれど、「あなたは大丈夫」の確信が私ワールドの解釈まで行きついていない。

放って置かれる有り難さと、その反動の寂しさと、たまに「かまってちゃん」が顔を出す面倒臭い極端な自分を修復せねば、という感じ。ヨガで言えばサマディではないから。

ヨガスタジオをささっと始める事が出来ても、誰かに気軽にお願い!と言えない自分。40代は気張らず、手を抜く。その出来ないことを出来る自分を目指す。頑張らないことを頑張る。やらない、という選択は難しいので、解釈としてはやらないことをやる。また面倒臭いな、ほんと。

何度もリセット。そしてリブート!その為に今ここに居るんだからね。

まずは海に行こう。早く雨季が終わりますように!

Y.

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