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ラベルを貼られてみようと思った

6年前に脳梗塞を発症して、幸い重度ではなかったたけれど、数ヶ月の間に連続して二度も引き起こしたにも関わらず、大きな後遺症も幸い残らず、でもなんかモヤモヤしていてを、ちょっと深堀ってみた話です。

プロローグ

40歳を迎える直前になんの脈略もなしに、フリーランサーになって、個人として、プロジェクト単位でお仕事を受けるようになり、それなりに生活が出来ていて、なんとかヒルズに住むわけもないけど、ギリギリというわけでもなく、会社勤めのストレスからも解放されて、のうのうと5年ほど過ごした後、ご多分に漏れず、トラブルという名の世間の荒波がじゃぶじゃぶやってきて、感じたことのないほどのストレスにさらされ、ある日、バタッと倒れ、とうとう救急車のお世話に。

病名は脳梗塞

血管にかさぶたのような血栓なるものが詰まって、その先に血液が届かず、組織が壊死するっていう、つたない理解しかいまになっても持ち合わせていないのですが、まぁそういうことです。脳に近いところで起きれば、脳梗塞ということになり、残念ながら脳細胞は修復されることはないので、機能は復活せずという説明を病院で受けて、なんか他人事みたいで、というのもあまり、際立って肉体的にできないことがなかったというか、たしかに左半身に力が入らないのはあったけれども、右半身でカバーできていたのもあって、生計をともにする家族の気持ちはさておき(さておいていいのか)絶望的な状態という認識ではなかった。

そして退院、でも。。

数週間お世話になり、割と元気だったので、そのまま自宅で様子見に。そして、はたときづかされる、世の中の仕組みに大きく背を向けて独立なる海賊旗をはためかせてみた結果、労災なんて甘美な特典もなく、あえなく無職に。先立つものを手に入れようと、知り合いを頼りに、お仕事いただけるよう、必死に営業をかけて、華麗に社会復帰ともいかず、そこでなんと一ヶ月後にまた脳梗塞を再発。またもや救急車のおせわに。二度もやるもんだの驚きもあるけども、救急搬送のスタッフがまったく同じだったり、結果かなりスムースに同じ病院にたどり着けたことは奇跡、そして、お世話になった担当医が、また、当直で、病院にいらしたこと、それと、国内で認可されて間もない医療機器がその場にあり、応急処置が驚くべき速さで行われてと、これだけの奇跡に値する人間かどうかはさておいたとしても、車椅子は覚悟してくださいと救急室で告げられた家族の絶望は計り知れない。やっちゃったでなすまない感じでした、すまん。その後のストーリーはほぼ同じで、順調に回復し、脳外科的にはオッケーな状態になり、まぁ、見た目は元気で明らかにひまをもてあます患者を、さらに思いっきりもてあました病院に、二度と来んなよという励ましとともに、退院の印籠をつきつけられました。

あれっ、なんか、おかしい

単発でお仕事いただき始め、社会復帰を果たし始めるも、なんかおかしい。というのも、よく間違う、日時を。すっぽかすことはなくても、なんか時間の感覚がおかしい、明後日の打ち合わせを、なんでか、明日だとずっと勘違いし、当日に気づくとか、なかでも一番困ったのは、目的地まで行き着かないこと。事前にロケハンして、準備ばっちりにしておいても、当日は迷う、迷う。遅刻しそうになったり、がっつり遅刻して思いっきり迷惑かけてみたり。まぁ、もともと方向音痴なんだから、病気とか関係ないんちゃうのと、指摘されたり、あと自分でもそうだと思い込ませようとしても、やっぱり違う、明らかに違う。こんなにも社会生活が送れなくなると感じるほど、酷いと感じたことはいままでなかった。そこから深堀りがはじまります。

どうやら、高次脳機能障害ということらしい

と、この単語に初めてぶちあたる。?? がんばって、調べても調べても、よくわからない。というのも、脳の働きの解明がまだ研究過程で、追いつかないのと、症状は千差万別で、それこそ患者の数だけ多種多様ということらしく、とても体系化できる状態ではないらしく、凡人にもわかるようなそんな気軽でポップなトピックではなかったということらしい。でも、初期に感じたような社会生活にこまるような症状は、時間という名の良薬のおかげでだいぶ改善されたとはいえ、なんか違うというこの違和感は、日に日に大きくなり、わからないまま、モヤモヤはただただ大きくなるだけ。といっても、発症してから6年間、2000日もたったわけだから、要は、なるべく考えないようにして、いつか、なくなってくれるだろうと願って必死にやり過ごそうとしてたというほうがしっくりくるかもしれないけど。

衝撃的な著書との出会い

朝刊にはさまれてた区の広報紙に掲載されていた、高次脳機能障害・相談窓口の小さな記事に偶然目が止まり、なんだ、わりと今はポップなのかと勘違いして、そのまま衝動的に相談室の担当者とアポをとってました。割と藁にもすがる感じだったんだろう、潜在意識のモヤモヤが。それを知った家族が、読んでみっ、とすすめてくれたのが

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その後知ることになるのだけれども、とにかくその道の専門家の先生たちがとても教室で学ぶことのできない、当事者の生の声ということで、こちらもバリバリの当事者。それも、症状が似ているようで、まぁ刺さる刺さる。一番響くのが、抱えている症状が他の人にわかってもらえないことと、あと、ほんのちょっとの差でも、病後、以前はできていたけど、今はできなくなったことというのは、本人にとってはかなり喪失感がでかいということ。そして、「とてもそんな風にはみえないですよ」の、他の人からの優しい言葉で、残酷に激しく傷つく感じとか、そっか、このモヤモヤって、病気と関係あんだやっぱりと思うのと同時に、専門家の門を叩くのを躊躇してきたのは、もともと躁鬱が激しく、心療内科のお世話になったりして、数分の診察でチャっと処方箋だされて、薬でぼーっとさせられるのを経験してたので、なんかまたそれのお世話になんのも、こっちもあんま期待してないのに失礼だよなと思ってたのは、たしかにあった。でも、この本の衝撃で、一歩前にいけたと思う。

そして、このコロナ禍に保健センターの門をたたくことになる。

でも、無意識に困ってたんだろな、偶然の区の広報紙と家族の助けで、このコロナ禍に保健センターの門をたたくことになる。いろいろ経験したのか、いわゆる士業と呼ばれる、さらに先生と呼ばれる方々は、こちらがサービスを利用していく気合いでのぞまないと、助けてほしいとすがって依存する情けないことになることはわかっていたので、なにか大義というか、なんかパンチラインがほしいというかで考えたのが、自分にラベルをつけてもらというのを無意識に思いついた。そもそも単純なので、そんな鎧があると前にすすめる。

ラベルってなによ

注射が苦手な子供の言い訳のような、この『ラベル』だけど、「要はこういうことです」ってヒトに説明するときの、便利なものがあればいいってことで、裏返すと、わかってもらいたい欲求のあらわれだと思ってます。ポップに書いてますが、割と切実なのは、いろいろできないことがあるのだけど、例えば(いろいろ誤解を生むだろう例えと思いながらも)、単に集中力が続かないとカジュアルにいうのと、注意欠陥・多動性障害(ADHD)というのは、まるで聞こえが違うのは明らかで、なんとなく偉い人に認めてもらった落ち着きがないヒトのようで、まわりの人にも、わかりやすいだろうし、落ち着かない理由をいちいち説明する必要もなく、なにより本人がかなり楽。同書にも書かれているけど、説明を試みては失敗し、それもわかってもらえるはずの専門家に一番通じなかった落胆は大きくて、だんだんそのこと自体話したくなくなるし、それ以外のことの人間関係や単なる物事に対する意欲的なものにまで影響与え始めるので、途端に人生がつまらなくなる。物事を型にはめるのは、普通嫌いだけども、今回だけはどうしてもお願いしますよ、って感じ。

色々不安なので、同著をお守りに、道場破り、ドドン。

また、専門家にどうせわかってもらえないだろうという、自分の説明の拙さをどっかにおいといた思い込みの恐怖に耐えられないうさぎちゃんとしては、とりあえず、この本にかかれている相当なことが当てはまってますので、どうぞ、理解のベースに使ってくださいとお願いするところから入る弱虫ぶりが功を奏したのか、かなりスムースに導入部分をクリアして、その後の検査の予約をして無事に(?)帰宅。

あれっ、なんかうまくできない

で、ここで、コロナが発生。保健センターもそれどこではなくなり、数ヶ月のブランクの後、意気揚々と検査開始のため、保健センターを来訪。いろいろと検査をしていただけるわけだけど、思ってたよりも割と疲れるのと、明らかにできないやつとかあったりと、大変と思うも、ラベルのためとがんばること、二時間枠の4回のセッション。終わるとまぁぐったり。家に帰ると、ばったり寝て、食事も忘れて、半日眠り続けてみたり。思い出したのは、外科的な処置にお世話になった病院で、入院中に同じような検査をしてもらったときのこと、とにかくできにくい単純作業をひたすらやらされる感じが、治療なのか、なにかの検査なのか、「お前はだめになったんだからしっかり認知しなさい」洗脳の過程なのか、よく理解できなくて、作業療法士と喧嘩になってみたり、まぁー大人げない。今回はしっかり自分でラベルを貼られにきたので、とにかく、発見が多い。なんか俯瞰しすぎて自分のことではないくらいにおもしろい。あるテストはすんなりできるのに、その次の課題はまったくもって、おもしろいくらいにどうやってやったらいいかわからない。

ある程度傾向がみえてくる

そんな苦行を積み重ねるとある程度、傾向が見えてきて、あるエリアに障害があると方向性がつけられるらしく、またそっちのほうを確かめるために、さらに検査をしてと深堀りが続いて、ある程度型にはめられる確証ができると、テスト結果という卒業証書をいただける。

自分の傾向は、

基本前頭葉をやっちゃってるので、全般的にいろいろコントロールが効かないってことみたい。

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そこで、また放り出されると思いきや

専門医が定期的に保健センターに来るので、会ってみないかと勧められる。とくに断る理由もないし、せっかくラベルをいただくなら、権威のお墨付きがあったほうがよかろうと、アポをとって、後日お会いすることに。障害者手帳をとるかとか、いままで考えたことのないような選択肢に怯えてみたり。ここではたと気づくのが、この保健センターの作業療法士さんと公認心理師さんのおふたりの圧倒的な存在感。脳梗塞を発症した当時に、本人が強く望んだとはいえ、放り出された感が強くて、その後、6年もなにかに蓋をして路頭に迷った、どうすればいいのかわからなかった、点と点を見事に結んで線にしてみせてくれるのは、非常に心に強いのと、以前の経験に圧倒的に足りなかった役者なのは確かで、今回の一番の収穫といってもいいかもしれない。大変お世話になりました!!

そして専門医と再会

お約束どおり、障害者手帳に必要な書類を用意するための問診と、今は会社勤めなので、そこに提出できるような、いまの状況をやんわり伝える診断書というか手紙のようなものを準備してくれるとのことで、やっとラベルだーといったところ。

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衝撃なのは、家族も同席して問診が進むのだけれども、やはり家族としては、良くなってほしいと思うのか、具体的なリハビリ的な治療法はないのかと聞いてみるも、ここまで良くなると特におすすめできるリハビリはなしということで、社会生活を通常に行うことが、一番と聞いて、

なんか新しい修行の始まりを悟った

とにかくラベルをつけてもらった自分と折り合いをつけていく過程が始まるのだろうと、覚悟を決めた感じがした。そのためには、なにができにくいのか、自分で理解する必要があって、そのための今回のラベル付けの作業だったし、新しい特性をどうしていくのか、まぁとにかく自分次第という極めて基本に立ち返ったところで、今回は一旦おしまいとします。

エピローグ

書くとスッキリするって、よく認知療法的な書物にのってるけど、やってみると割とそうだなと思うのと、これから先気になるのは、つけてもらったラベルを世間的にはどう捉えられるのかということ。ラベルは奇しくも、オランダ由来でレッテルというらしい。体系化した概念や記号化されたものは非常に便利だけど、そこに紐づく、偏見や思い込みみたいなものとどう折り合いをつけるのかは大きな課題。例えば、会社に診断書って本当に出していいのかとか、ちょっと悩んでみようと思う。









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