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あゝ野麦峠の碑 風景印と記念碑

 長野県松本市にある奈川ながわ郵便局の風景印には「あゝ野麦峠」と刻まれた石碑が描かれています。
 「あゝ野麦峠」の名前は聞いたことがあったのですが、どのようなストーリーか、元となった史実はどのようなものかは自分も知りませんでした。

野麦峠

 野麦峠のむぎとうげは岐阜県高山市と長野県松本市の境、乗鞍岳と鎌ヶ岳の鞍部にある峠で、標高1,672メートルあります。この峠を越える野麦街道は昔から飛騨と信濃を結ぶ交易路でした。

 時代が明治になって絹糸は日本の主要な輸出品となりました。長野県側の諏訪・岡谷には製糸工場が増え、岐阜県の飛騨地方の若い女性は「糸取り」という繭から糸を取り出す出稼ぎに向かうため野麦峠を越えるようになりました。

 工場は冬場に閉じるため、女性たちが長野県に向かうのは2月下旬、家に帰るときは12月下旬といずれも冬の厳しい時期の峠越えのため命を落とす方もいました。

 1934年(昭和9年)国鉄高山線が富山方面に開通することで、ようやく野麦峠越えをせずに長野県方面に行けるようになりました。

 時は現代になり、1968年(昭和43年)山本茂実やまもと しげみ(1917-1998)によるルポルタージュ「あゝ野麦峠」が出版されました。

 その後1979年(昭和54年)には山本薩夫監督による映画にもなりました。映画では工場で病気になり兄に背負われての帰郷の途上、野麦峠を越えたところで亡くなった政井みね(1888-1909)を主人公とし、大竹しのぶが演じました。


記念碑の地図

 記念碑は松本市と高山市の境にある野麦峠の県道脇にあります。

碑文

あゝ野麦峠

 1968年(昭和43年)11月3日に明治百年を記念し、野麦峠に関わる長野県奈川村、岐阜県の高根村と河合村(いずれも当時の自治体名です)の合同で記念碑が建てられました。書は岐阜県出身で朝日新聞社論説委員だった荒垣秀雄あらがき ひでお(1903-1989)によるものです。
 野麦峠と記念碑については以下のサイトを参考にしました。

野麦峠(PDF)

奈川郵便局

 風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。

 風景印は1995年(平成7年)9月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。

 同じ野麦峠の碑を描いた風景印は岐阜県側の高根郵便局にあります。

乗鞍岳が背景に描かれています


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