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野菊の墓文学碑 風景印と記念碑

 千葉県松戸市にある松戸まつど郵便局の風景印には野菊の墓文学碑が描かれています。松戸名物の矢切の渡しも標柱として描かれています。

野菊の墓

 『野菊の墓』は伊藤左千夫いとう さちお(1864-1913)が1906年に『ホトトギス』に発表した小説です。この小説には「矢切の渡し」が重要な役割を果たしています。

 15歳の主人公政夫と年上の従姉の民子の間の叶わなかった恋の物語で、矢切の渡しに乗って政夫が中学に入学する時に民子が見送ったのが最後の別れとなり、民子は他家に嫁いだのち流産後の体調が戻らず亡くなりました。

矢切の渡し

 「渡し」というのは、一般的には川の対岸に人を移動させる舟運のことです。

 日本においては、江戸幕府の政策で川に橋をかけることを禁止しており、渡船場を指定し関所のような役割をさせていました。

 矢切の渡しは東京都葛飾区の柴又と千葉県松戸市の矢切の間の江戸川を船で行き来していました。この渡船は街道ではなく、農民が自分の耕作地を行き来するため幕府が認めていたものでした。

 矢切の渡しは現在も観光運行されていますが、有料(大人200円)です。

矢切の渡し
https://z1.plala.jp/~hod/trip/home/12/0701.html


記念碑の地図

 文学碑は北総線矢切駅が最寄りです。


碑文

野菊の墓 文学碑

僕の家といふは、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云っている所。 崖の上になってるので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、 武蔵一ゑんが見渡される。 秩父から足柄箱根の山々、富士の高峰も見える。 東京の上野の森だと云ふのもそれらしく見える。 村はづれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。 こゝから見おろすと少しの田圃がある。 色よく黄ぱんだ晩稲に露をおんでシットリと打伏した光景は、気のせゐか殊に清々しく、 胸のすくような眺めである。

昭和三十九年十月 伊藤左千夫著「野菊の墓」より 門人 土屋文明識

松戸郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1977年(昭和52年)4月23日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日と土曜日の営業ですが、ゆうゆう窓口があり、休日でも風景印を使って手紙を差し出すことができます。


左上が矢切りの渡し、野菊の墓文学碑の左にはナシが描かれています。

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