詩が咲く

滋賀県育ち、何故か宮城県在住 。70年代生まれの世間知らず。今さら人生について悩み始め…

詩が咲く

滋賀県育ち、何故か宮城県在住 。70年代生まれの世間知らず。今さら人生について悩み始めた困った大人。

最近の記事

「し」 しりとり

始まりがあるものにはすべて終わりがある。プレーンノットのネクタイにサングラス姿の黒服に限定せずとも、誰もが一度は口にしたことがあるフレーズではないだろうか。実際、色々な場所や作品でよく耳にする。元々は君子の言葉だったか、よく覚えてはいないが、シンプルでいて新しいものに目を向けさせる力を持っている言葉である。とはいえ、この言葉が脳裏をよぎる時や口に出す時というのは、若干の寂しさや哀愁、場合によっては後悔といった感情がセットになっている気がする。本当は終わってほしくない、本心を言

    • 「こ」 黒板消し

      人は歳を重ねる生き物だ。そして人は歳を重ねると記憶が蓄積されていく。当然のことだが記憶は大切だ。思い出せなくても、必ず記憶は自分の中にある。ふとしたことが呼び水となり突然忘れていたことが目の前に広がる経験をしたことは、大なり小なりあるだろう。記憶を失うということは想像しただけで恐ろしいことなのだ。例えそれが苦い記憶で消し去りたいものであったとしても。そう、わかってはいるのだ、どれだけ嫌な記憶でも、悲しい記憶でも、忘れてはいけないということは。人は成功や喜びだけでなく、失敗や悲

      • 「く」 靴箱

        いつぞやからか、成功が保証されていることを「鉄板」と表現するようになった。一時的な流行り言葉かとも思ったが、一定の市民権を得ているような気がする。その理由の一つに「お決まりの」というフレーズが担当していた場所の一部分を奪ったことがある。この言葉が浸透する以前は、必ず言うセリフや必ずおこなう流れなどは「お決まりの〜」と表現されていた。しかし、この表現では受け手の感情次第でネガティブなイメージとなる可能性がある。今の時代、新商品コンペのプレゼンテーションで「お決まりのパターンです

        • 「だ」 大学

          ある日、私はふと疑問を覚えた。大学芋とは一体何なのであろうかと。 大学芋、サツマイモを使った甘い食べ物だということは知っているが、もしかしたら芋の種類として存在しているのだろうか。考えてみれば大学芋に使われているサツマイモの種類など考えたこともなかった。ただ、芋の品種名であれ料理名であれ、なぜ名前に「大学」と入っているのかは純然たる疑問だ。それを言うなら大学ノートもそうではないか、といった声が聞こえてきそうだが、一応ノートと大学には関連性を感じることができる。例えば大学生の

        「し」 しりとり

          「り」 リコーダー

          音楽を奏でる生物は数多くいるが、音楽を愉しむ生物は人間だけだ。などという言葉を聞いたことはないが、私はそう思っている。人は音楽を求める。音のない世界に生まれた人もリズムを知ることで喜びを感じる。人は音楽を本能的に愛しているのだ。どこかのキャッチコピーにあった「音楽なくして人生なし」とはあながち大言壮語ではないのかもしれない。交通手段や通信手段の発達により世界が一つに繋がる遥か以前から、人は宗教と音楽を各々の生活圏で創造していた。人間にとってこの二つは細胞よりも奥深い場所に刻み

          「り」 リコーダー

          「じ」 時間割り

          オンとオフの切り替えが大事だと、多くの人が口にする。ワークライフバランスという言葉もすっかり市民権を得て一般的になった。実際にバランスが取れるような仕事量を管理できている会社や上司が日本にどれだけいるのかは疑問だが。それはまた別のお話として、程度こそあれオンとは緊張した状態であり、オフとはリラックスした状態と言っていいだろう。簡単に考えればオンとは仕事をしている時間で、オフは仕事が終わった後の時間や休日だ。この切り替えができず、常に仕事をしているような人、端的にワーカホリック

          「じ」 時間割り

          「し」 習字

          コミュニケーションに苦労しています。そんな悩みを抱えた老若男女が世の中に多くいる。本屋さんに足を運べば、円滑なコミュニケーションの九割が伝え方の問題、人に好かれるためには会話の九割を相手に喋らせると上手くいく、などが骨子と推察される書籍が平積みされ、増販決定の文字を目にすることにも慣れたものである。これだけ悩みの九割が解決すると謳われると、解決できない残り一割の内容が気になってしまう私がいるのだが。ただ、コミュニケーション能力、コミュリョクなるアビリティが重要視される世の中に

          「し」 習字

          「び」 美術教師

          人間は美しいものが大好きだ。美しい景色や美しい建物、美しい物語に美しい音色、美しい友情、美しい心と、視覚的なものから精神的なものまで、美しいものを表現する際に人は満たされた表情に羨望と嫉妬が入り混じる。美とは誰もが知っているが、とても主観的で抽象的なものだ。数値化することに挑戦し続けている科学者や物理学者、数学者は数知れずいるだろうが、今のところ一般人である私の耳に成功したという話は入っていない。黄金比やフィボナッチ何某で説明できる美もあるかと思うが、当然ながら精神的なものを

          「び」 美術教師

          「と」 登校日

          世の中には、なぜ存在しているのかわからないものが多くある。私が知らないだけで各々に意味や理由があるのだと思うが、中には本来の目的が失われ、ただ存在しているだけのモノもあるに違いない。会社における定例ミーティングなどは、その最たる例であろう。悲しいかな、目的を見失った手段は弊害となることが多い。手段を設定する際には目的を明確にし、達成時には新しい目的設定か廃止することを必要アクションとしていただきたいものである。 学生時代には超長期の休みがあることは当然だった。私が酸いも甘い

          「と」 登校日

          「と」 トースト

          現代において、人間が生きていくためには秩序が必要だ。秩序は法というルールと、ルールが遵守されているかを監査する仕組みが存在することによってもたらされる。これは人間が繁栄するためには必要不可欠なものだが、維持することは簡単ではない。実際、ルールを破ることで利益を得る人たちがこういった監査システムを潜り抜けた実話や、疑惑を題材にした映画、書籍が数多く世に出ていることからも、非常に難しいことなのである。 と、知識も教養もない私が難しそうに書いてはみたが、今は「しりとり」の最中であ

          「と」 トースト

          「ぎ」 ギタリスト

          世の中には、数多くの楽器がある。ピアノなどの誰でも知っている楽器から、見たことも聞いたこともないような楽器まで。そんな数多ある楽器の中で、ギターと呼ばれるものがある。この楽器はピアノと並ぶほど有名だと思われるため「ギター」と聞いて頭の中にイメージが湧かない人は少ないはずである。種類が多くあるため、人によって思い浮かべるギターは多少異なるかもしれないが。 この楽器を弾く人はギタリストと呼ばれる。資格や免許、承認団体がある訳ではないため、本人が自らをギタリストだと主張すれば、そ

          「ぎ」 ギタリスト

          「す」 スクール水着

          当然のことなのかもしれないが、人は内面だけでなく、外見でも印象が大きく左右される。刹那の印象は、無意識のうちに相手の評価に影響を与え続ける。それを魅力という言葉で表現することもできるだろう。平たく言うと、第一印象って大事だよね、と言うことである。 女性をより魅力的にする外的要因の一つに、水着がある。ちなみに、水着は最終兵器の一つとも言われている。事実、初めて彼女の水着姿を海やプールで目にした瞬間、どんな男子でも数秒思考が飛ぶ。飛ばない男子は訳ありか、やっぱり訳ありだ。そこで

          「す」 スクール水着

          「い」 椅子

          人は姿勢を気にする。というよりも、姿勢が狂って身体が歪みやすい。他の動物で、自然に生活をしていて身体が歪んでしまい、日常生活に支障をきたす、という話を聞いたことはない。もちろん人間の言葉を話す動物は人間だけなので、近所の犬や猫達も密かに同じ苦しみを抱え井戸端会議を繰り広げているのかもしれないが。どちらにせよ、人間は身体が歪むため、立つ、座る、寝るという基本の動作すべてにおいて、姿勢を気にする。有名動画サイトを覗けば、身体の歪みからくる腰痛や肩こり、頭痛に対するアドバイス動画が

          「い」 椅子

          「う」 運動会

          日本では語尾に「会」という一つの漢字をつけることで、どんな内容でもグループ化することができる。通常は「懇親会」や「演奏会」のように「名詞」の後ろに付けるにつけることで、人々を集めて開催される一般的な行事や集団を表現すること基本だった。だが、誰かがこの「会」の持つ大いなる可能性に気がついたらしく、名詞意外にも利用可能であることに気がついたのだ。一度解き放たれた用法は勢いを増し、今では前半部分が文章でも「会」を付けることで成立してしまう。「大阪城の周りを走ろう会」は勿論のこと、「

          「う」 運動会

          「た」 台風

          人生は思い通りにならない。「人生は理想と可能性との永遠の妥協」と言った人は誰だったか。あまりに深い言葉であるため、私のような凡人は言葉に囚われて逃げ出せなくなってしまう。難しいことはわからないが、仮にすべての人間が思い通りの人生を送ることが可能になると、壮大なパラドックスに直面することだけは想像できる。それこそ「この壁に張り紙をしてはいけません」と書いた紙を壁に貼ることはどうなのか、というネタなんて比較にならないほど大きなものだろう。そんなわけで、人生というものは思い通りには

          「た」 台風

          「え」 エスカレーター

          バベルの塔、というお話がある。神様によって引き起こされた大洪水の後、生かされた人々の子孫は協力して天まで届くような高い塔を作ろうとした。しかし、一箇所に集まるなという神様の言いつけを守らなかったため神様は怒り、皆が別の言語しか話せないようにした。その結果、人間はお互いに言っていることが理解できなくなり、人々は塔の建造を諦めたというお話である。 神様には是非とも生物が持つ情動反応と自己防衛本能、なによりコミュニケーション術を学んで欲しいところではあるが、今回はそんな大層な話で

          「え」 エスカレーター