チェコ旅行記、2011/7/29-08/08

2019年5月12日 投稿

2011年7月27日(水) イスラエル出張より戻り

13:00頃家に戻る。寝る間もなく、亀の水変え、床屋、新宿ヨドバシでレンズ、フラッシュなどの買い物、ダンスの本。忙しい。
裕子と用賀で待ち合わせ。タパス・タパスで夕食。タクシーで家に戻り。

7/28(木) 会社

7/29(金) 出発

家を出たのは、7時くらい。成田のフェラガモ免税店でネクタイを買う。
ヘルシンキまで11時間、飛行機の中で裕子とダンスの練習。ヘルシンキ空港で2,3時間トランジット待ち、カフェでビール。そこからプラハまで2時間。
プラハ到着は、7時くらい。カースティンが空港に迎えに来てくれた。空港で両替、裕子3万円(少ないのでは?)、私こずかいから3万円。
タクシーよりも便利だというのでバスから地下鉄に乗り換えようとするが、トラブルがあったらしく、駅がCloseされている。路面電車、再び地下鉄、さらにバスと乗り継ぎ、ようやくホテルに到着。
ホテルでカースティンと彼のデンマークの友人と夕食。長旅の後のチェコビールうまい。カースティンの兄弟姉妹たちともごあいさつ。

7/30(土) 結婚式、パーティー

8時ホテルの朝食。シンプルだけどパン、ハム、チーズ、野菜など、とてもおいしい。2006、07のデンマーク出張時のことを懐かしく思い出す。部屋で少しくつろいだ後、食堂から買って来たビールなど飲みながら、のんびりと支度を始める。裕子は、いよいよ着物の着付けの本番。こちらは結構大変そう。
コペンハーゲンで一緒にボーリングをしたハンカさんが、出発時間の確認のため部屋を訪ねてくれる。
2時にロビーに降りる。少し待たされる。その間“シルビージプシーバンド”のバイオリンとアコーディオンの演奏。大きな観光バスで教会に向かう。天気はあいにくの雨。

教会は、びっくりするほど立派。ハンカさんがくれた手作りらしいパンフレット(後でSilvia作成とわかる)には、式の音楽は生演奏と書いてあったようだが、式が始まってみるとあまりに本格的な演奏で、CDではないかと思った。後でシルビアに聞いたら、やはり全て生演奏だったとのことで驚く。
式の最中は、撮影禁止といわれていたが、司祭の話はチェコ語で全く分からないし、退屈して途中からフラッシュなしで、席に座ったまま撮影を始める。後でこの写真がシルビアに好評だったので、結果としては良かった。やはりこういうところは、日本とちょっと違うと思う。日本ではとにかくルールは絶対だ。
式が終わり、教会の中で記念撮影。バスまで皆で歩く間、バイオリンとアコーディオンの演奏付き。バスの中も演奏付き。スロバキアの手作りの酒とクッキーを振舞われ、日本の田舎と同じように、飲んで歌ってが始まって、我々もすっかり楽しい気分になる。忘れられない貴重な体験。
予定のプラハ城観光となったが、雨が強くなってきたので、全員での集合写真撮影もままならずバスに戻る。後でシルビアは、いろいろと景色の良い場所で記念撮影をする予定だったのにと、大変残念がっていた。無理からぬ。

ホテルに着いて、すぐ披露宴開始。飲んで、食べて、歌って、踊って、話して、写真を撮ったり、撮られたり、存分に楽しむ。
私の隣に座っていたライフさんは、英語のいい加減な自分とずっと話しを続けてくれて本当に感じのいい人だった。裕子の隣のモーンさんもずっと裕子と話をしてくれて、なおかつ次の日の市内観光にも誘ってくれるなど、やっぱりデンマーク人はいい人が多いと思った。披露宴という特別な場所だったからなのか、カースティンの友人と親戚だったからなのかは、わからないが。
スロバキアの人たちも素朴で好感のもてる人たちのように感じた。もう少し彼らともコミュニケーションしてみたかったかな。
0時になって、体力の限界を感じ部屋に戻る。とりあえず少し寝ることに。数時間後目覚ましでいったん起きるも、さすがにもうパーティーに戻る元気は沸いてこなかった。パーティーは朝の6時まで続いたとのこと。

7/31(日) カースティンの親戚とプラハ観光

誰もいない食堂で、裕子と私の2人だけで朝食をとりはじめる。後でカースティン家の人々もやってきた。
年上だけどKarstenの甥にあたるモーンさん、その奥さんのロッテさん、モーンさんのお兄さんのパイプさんと一緒にプラハ市内観光へ。ガイドをしてくれるのは、モーンさんとパイプさんのお母さん(カースティンの上のお姉さん)の旦那さんの従兄弟のプラハ在住のラウスさん。元学校の先生だそうだ。人生に変化を求めてデンマークからプラハにやってきたとのこと。
我々のために、英語で説明をしてくれた。皆さんのお心づかいに感謝。

ラウスさんの説明は、立て板に水のごとくで、いろいろな人名や年号が入り、さすがに先生をやっていたことはあるなあ、と思わせるものであった(私には30%くらいしか理解できなかったが)。デンマーク人向けの旅行会社を経営しているとのことだが、頭が良くて、深みのある人だとの印象をもった。
雨が降っていたので、なるべく室内をまわるようなツアーにアレンジされたということもあったが、全体的に通向けというか、深くプラハを知りたい人向けというか、とにかくそんな感じだった。
最後にラウスさんお勧めの店で夕食ということになり、地下鉄を乗りついでHajeという駅の郊外の住宅地の中にあるレストランへ行った。

我々がビールを飲み始めてほどなく、5年前にスロバキアから出てきたという若いイケメンのお兄ちゃんが私の横に座った。最初ラウスさんの息子かと思ったが、ボーイフレンドらしい。
その兄ちゃんは、テキーラを注文すると、テーブルの塩を自分のこぶしにふりかけてなめた後、テキーラを一気に飲み干し、グラスをたたきつけるようにテーブルに置く。そしてテキーラに付いてきたレモンだかライムだかの銀杏切りをしゃぶる。少し前に裕子からテキーラの飲み方を聞いていたが、見るのは初めてだ。余計なことだが、私には、テキーラと塩とレモンをグラスの中でよくかき混ぜて、ゆっくり味わって飲む方が良いと思えるのだが。とにかくお兄ちゃんの風貌と雰囲気とそのテキーラの飲み方が興味深くて、お兄ちゃんがテキーラを注文する度に、あほうのように見ていた。
私の英語は、あんまり通じなくて、もっと口を大きく開けて話した方が良いよ、との貴重なアドバイスをいただいた。それでも一生懸命話かけようという態度が好感を持たれたのか、最後は割りと打ち解けて、彼のかぶっていた黒いハットを裕子にくれた。

ラウスさんといい、兄ちゃんといい、とても印象深い人たちであった。
モーンさん、ロッテさん、パイプさん、ツアーに誘っていただいて、ありがとうございました。

8/1(月) ホテル移動、プラハ観光

いい加減、さすがに今日くらいから天気が持ち直すと期待していたが、ホテルの小さな窓から見ると外は雨。陰鬱だ。こんなのありか。ヨーロッパのベストシーズンではないのか。
朝食をとりに食堂へ行ったが、客は我々だけ。Weddingの出席者は、皆帰ってしまい、なんだか取り残されたような気分。荒城の月が心の中で流れる。
物憂い気分で、荷物をまとめ、タクシーで次のホテルに向かう。(女性の運転手だった。)
次のホテルは、裕子がインターネットで見つけた、利用者の投票でNo.1になったという、それは素晴らしいホテルらしい。プラハ城の建っている丘の斜面にあって、プラハ城ともつながっているらしい。その昔はプラハ城の錬金術実験ラボとして使われていたという。つまりプラハ城の一部ということか。

入り口は、ホテルという感じではなく、お城のお勝手口といわれれば、確かにそんな感じ。
フロントにいた若くて感じのいいお兄さんが、丁寧かつ、にこやかに迎えてくれる。その態度を見て、私は瞬時に理解した。「ここはとてもリッチなホテルだ。ここの全ての従業員は、我々を歓迎している。そして我々はこのホテルにふさわしい客として振舞わなければならない。」
部屋に行く前に、お兄さんがホテルの中を案内してくれる。小さいけど(逆に小さいことがいいのだろう)、見晴らしはいいし、清潔だし、従業員は丁寧だし、なにやら歴史もありそうだし、ラウンジでコーヒーとケーキはタダだし、本当に素晴らしいホテルだ。
最上階のオープンテラスのレストランで、ウェルカムドリンクのスパークリングワインを飲んでいる時には、気分はすっかりヨーロッパ貴族になっていた。
部屋に行くと、ジャグジー付きの風呂はあるし、小さい窓からの眺めもなかなかのものだし、おまけに赤ワインのフルボトルがサービスで用意されていたりして、さらに幸せな気分になる。

ワインを飲み始め、そのままいつまでも気分に浸っていたかったが、やはり時間がもったいないので観光に出る。この日におみやげを全て買ってしまおうという作戦だ。天気も良くなった。
ホテルを出て10分も歩かないうちに、あの有名なカレル橋に着く。昨日のツアーでは雨のせいか観光客が少なくて寂しかったが、ここは観光客であふれている。やっぱり観光地は活気がないといけない(ある程度は)。
旧市街地へ出ると、そこはさらに観光客でごった返していて、もはや昨日の閑散とした状態がなつかしかくなる。昨日興味を持った大きな骨付きのハムを焼いているスタンドで、ハム、ザワークラフト、ビールを試す。ハム美味。もっと食べたかったが、スタンドが混んでいたので、もう一度並びなおすのが面倒でやめた。
その後ガイドブックにのっていたボヘミアングラスの店や、あやつり人形の店など見てみるが、値段は高いし、品物もいまひとつピンとこない。結局何も買わずにそのまま歩き続け、火薬庫を通り、昨日のツアーの出発点のあたりまで来る。ラウスさんがここのビールはうまいと言っていた店で、夕食をとることにする。地下のその店に入るとアイスホッケーのスポーツバーという感じ。客はまばら。一瞬出ようかと迷ったがそのまま座って、ビールと料理を3品ほど注文。ビールはうまかった。料理もまずまず。

戻る道すがら小さなみやげ屋で最初のおみやげとなるマトリョシカを、多少の疑問を持ちながらもビールの酔いにまかせて買う。(結局このマトリョシカは、聖菜に大うけだったので買って正解だった。もっと大きなやつを買えばよかったかな。)
来る途中にポスターで見付けたギターデュオコンサートに行く。裕子はあまり乗り気でなかったが強行。会場を探すのに苦労した。裕子はほとんど寝ていた。中年夫婦のデュオだったけど演奏はいまひとつだった。
祐一郎にTシャツを一枚買って、ホテルの近くでまたビールを飲む。この頃には、もうよれよれになっていたが、このビールもうまかった。カースティンから明日のことについて、Telあり。
ホテルに戻ると枕元にケーキが用意されていた。さすがに食べれなかった(と思う)。

8/2(火) プラハ城観光、カースティン、シルビアとホテルで夕食

ビュッフェの食べ物を見て、このホテルの朝食は、わりとシンプルだなあと思ったが、実はスープやらメインやらデザートやらをメニューから注文すると分かり、これにはびっくり。給仕のお姉さんも、ちょっと怖いくらいに丁寧。宿泊費安すぎるんじゃ、いや裕子が一桁間違ってるんじゃないだろうか。ちなみにこの日私が頼んだサーモンとなんかの魚のマリネは、いまひとつでございました。しかし、ここの自家製ヨーグルトは、今までの人生で食べたヨーグルトの中で一番おいしかった。

天気晴れ。10時過ぎホテルのレストランを通り抜けて、プラハ城観光に出る。この時間からかなりの観光客。大聖堂の塔の上まで目の回る螺旋階段を登ってみたりする。運動不足解消にちょうどよい。裕子はばてていた。
大聖堂の中はさすがのスケール。その後、みやげ屋、カフカの生家など。途中休憩でも夕食に供えるためビールは我慢。15:30ホテル戻り。後から思うとつまらない美術館などで時間を使いすぎた感じ。この辺は個人で初めての場所を回る以上しょうがないか。
ロビーでサービスのサンドイッチとコーヒー。ロビーは中国人の家族に占領されていた。コーヒーは美味。(もしかしたらこれは撮影の後だったかも。)
三脚と一眼レフを持ち出し、レストランからプラハ城に向かう丘のビスタポイントで、チェコの町並みを背景に年賀状用写真を撮ろうとする。ところがこれがなかなかうまくいかない。フラッシュを使わないと顔が暗くなってしまうし、使うと全体がオーバーになってしまう。Canonのコンパクトカメラではこんなことないのだが。
他の観光客がいるので、なかなかいい場所を空けてもらえなかったり、やっと確保しても、あまり長い時間占領するわけにもいかない。裕子にも気兼ねして、とりあえずホテルに戻るが、多いに不満が残る。外付けのフラッシュを持ち出し、もう一度挑戦。30分くらいかけて、まあなんとかいい写真がとれた。仕事をひとつ終えた感じでほっとする。

撮影機材を部屋に置き、再びカレル橋に出る。日本の高島屋でも個展をやったという女性画家の絵を自分のおこずかいで2点買う。メルヘンチックな絵なので裕子は好きではないとのこと。他に小さな額縁に入った版画とマグネットも買う。自分の好みに忠実に買い物ができたことに満足。他の人には簡単なことかもしれないが、自分にはいつもこれが難しい。
ホテルに戻ると既にカースティンとシルビアが来ていた。カースティンはネクタイなぞしているし、シルビアも結構きれいな格好をしている。彼らを少し外で待たせて、あわてて身支度する。私はネクタイをして靴を変えただけ。裕子はドレスに着替える。
まずは、ビールから始めて、赤白ワインを注文。さすがに料理は美味。ただ私のメインの鴨はいまいち。裕子のラムはおいしかった。半分以上私が食べたような気がする。
明日ドライブの後で、シルビアのアパートを尋ねることになる。そのほかは何を話したのか忘れてしまった。
レストランの会計は約6万円。
地下鉄の駅まで二人を送ると、時間は23:30になっていた。

8/3(水) クトナー・ホラ(Kutna Hora) ドライブ、シルビアのアパート、夕食

9時朝食、昼食いらないように、十二分に食べる。10時ホテルを出る。地下鉄でプラハ駅に向かう。レンタカーの場所が分からずさんざん迷う。インターネットで予約したのはAuto Europeという会社だったので、その名前を頼りに探していたが、実際のオフィスはBudgetという会社だった。Voucherをよく見ると確かにBudgetという文字があったが、これじゃあ分からんだろう。想像もしなかった。まあこれも経験か。
ところが、しばらく列に並んでようやくカウンターで手続きを始めたら、我々のクレジットカードがリミットオーバーで使えない。車を借りるにはDepositで20,000チェココロナ(10万円弱)必要とのこと。間抜けなことに二人とも普段は他のカードも持ち歩いているのに、今回は用心のために日本に置いて来ている。痛恨の極み。
カウンターのお兄ちゃんの携帯で、カード会社に電話するも、すでに業務が終わっている。なんとかCD機で私の新生銀行のキャッシュカードでコロナを引き出すことに成功したが、15,000コロナ以上出てこない。裕子が持っていたドルを銀行で両替してなんとか20,000コロナ作ることができた。
いやー冷や汗たらたら、動揺しまくり。まだまだ修行が全然足りないことを痛感させられる。相変わらず胆が小さ過ぎるなあ。私に比べれば裕子の方がまだ落ち着いていたように見えた。
まあこれもいい経験ができたと考えよう。しかしホテルのチェックアウトのときに、カードが使えないことが分かったとしたら、フライトの時間があるので、実際もっと困ったことになっていただろう。そう考えるとよかったよかった。

まあ、そんなこんなで、ようやくチェコ国産車のSKODAを借りてドライブに出発したのは、12時くらいだった。
TOMTOMに入力してあるKutna Horaを行き先に選んで、後はただ指示に従って運転するだけなのだが、なにしろこれがこのTOMTOMをヤフオクで買って使う最初だったから、ちゃんと動くかどうか、ちょっと緊張した。始めてチェコを走ることにも多少の緊張が。高速に乗ってすぐのドライブインのマクドナルドでトイレ休憩。このあたりでようやく少しリラックス。
そのまま少し走ると、TOMTOMは高速を降りるように指示してきた。降りてすぐ駐車場を見付けたので、とりあえず停めてみる。THE CASTLE CESKY STERNBERKという地味めのお城でした。でも今思い返すとKutna Horaよりこちらのお城の方が印象に残っているような。
その後、細い田舎道に入る。有名な観光地に向かうというのに本当にこんな道通る必要あるのだろうか。しかし今はTOMTOMに従うより他の方法はない。ときどき普通車の車幅の2倍もありそうなトラクターが行く手を阻み、のろのろ運転を強いられる。でも麦畑や道端の果物の木など、チェコの素晴らしい田園風景を楽しむことができた。運転しながら私は、空想の中でカルピス子供名作劇場の農家の少年になっていた。素朴なヨーロッパの田舎生活、農作業の手伝いを終えた後の夕食も当然質素。パンとチーズと牛乳とりんご。本当に食べたくなってきた。多分このとき連日のごちそうの食べすぎで体がシンプルな食事を欲していたと思われる。

2時30分くらいにKutna Hora到着。とりあえず観光案内らしきおじさんからもらった地図を見ながら街を廻り、教会など見る。しかし教会は食傷気味。景色もまあ、それなりに結構なものではあった。
4時前に車に戻り(まわりの西洋人と比べて日本人はなんと忙しないことか)、Karstenに電話。PragueのSilviaのアパートへ。帰りは何故か広い道を通って1時間半くらいで到着。

車を道に停めたところで、ゴミを捨てに出てきたKarstenとばったり。Silviaのアパートは、古いが、広い中庭に高い木があり、教会まである。静かでこれぞヨーロッパライフという感じ。部屋は小さいけど家具はほとんどアンティークで、シャンデリアはあるし、さすがSilviaの部屋だけあってこだわりの物ばかりだ。シャンデリアは年に1回下ろして、ひとつひとつのクリスタルをKarsntenが磨くとのこと。うちにはとてもできないことだ。Wedding Partyであまったケーキやクッキーをごちそうになる。昼抜きだったのでたくさんいただく。塩味のクッキーがおいしかった。お土産までいただく。お互いのWeddingの写真を交換して、記念撮影をして、私の車でホテルまで一緒に行くことに。
ところで、我々は、Kutna Horaで一番の観光名所である、人骨で作られたシャンデリアや十字架などの装飾で有名な骸骨教会を見逃してきたことが分かり、ショックを受ける。そう言えばイスラエルでカースティンとチャットをしたときに教えてもらっていたのだが、すっかり忘れていた。

友人を乗せて初めてPragueの市内を走ることに緊張する。路面電車をどう優先すればいいのかわからん。まごまごしてたら跳ね飛ばされるのではないか。
しかしKarstenもGood workというほぼ完璧な安全運転で、無事ホテルに到着。ホテルのほど近くの道で裕子が間違った道を出張したが、Karstenが修正。自分で判断できなかったのが少し残念。ホテルにValet parking servicesを頼む間、警官に車の停めている場所が悪いとクレームを付けられたりしたが、なんとか無事に本日のドライブ終了。
重圧から開放された感じ。Karstenだけが私のこの気持ちを理解してくれたようだ。
夜景撮影用の、三脚と一眼レフを持って、タクシーでKarsten、Silviaお勧めのビアレストランへ。ここはビールの製造もしている有名店らしい。かなり広いビアレストランであるが、ほぼ満席。少し待たされる。このとき既に9時半くらい。おいしいビール。迫力の肉料理。ここの鴨は昨日のホテルのレストランよりおいしかった。
11時くらいにレストランを出て、夜のプラハを散歩。橋の上まで来ると、カレル橋、その向こうにプラハ城がライトアップされて実に美しい。しばらく三脚を使って黙々と撮影して0時近くに別れた。

8/4(木) チェスキー・クルムロフ(Cesky Krumlov) ドライブ

この日もしっかり朝食を取る。昼食用にパン、ゆで卵など失敬する。この日は、少々天気が悪い。
8時くらいに出発する意気込みだったが、実際は10時近く。昨日Silviaからもらったケーキも持って、いざCesky Krumlovへ。ところがいきなり道を間違えて、一番複雑な旧市街地の方に入り込んでしまう。ほとんどの道は一通で、しかも行き止まりが多く、TOMTOMは工事中で入れない道へ行けというし、多いに困る。結局なんとか抜け出すことができたが、本来通る必要の無いプラハ駅の方まで大回りして、30分はロスしてしまった。
高速に入り、サービスエリアで一服してぐったり。
しかし運転にはだいぶ慣れた。このSKODAという車、パワーはそこそこあるのだが、エンジンの回転がピーキーで、低速でもたつくのでアクセルを雑に踏み込むと、いきなりグワッと来る。車体も重く感じるし、サスペンションもよくない。私が借りたこの車だけの問題なのか、SKODA全体のレベルが低いのか。数十年前の出来の悪い外車を運転してる感じだった。

さて、やはりTOMTOMは高速を降りた後、昨日と同じように細い田舎道へ我々をいざなう。昨日田舎道は十分楽しんだからもういいんだが。行きかう車もまばらである。時々雨も降ってくる。まあ、この道をドライブすることなんて、一生に一回のことかもしれないんだし、いいんじゃないんじゃないんですか。
1時くらいにCesky Krumlovに到着。観光客の車で駐車場はいっぱいだし、間違いなくCesky Krumlovなんだけど、駐車場からはここがそんなに素晴らしい場所なのかどうか全然分からない。雨も降ったり止んだりだ。
観光の前に車の中で、シルビークッキー、ゆで卵、パンなどで腹ごしらえ。

駐車場から高い城壁の下をくぐると、観光客がカヌー遊びをしている川に出て、橋の上に観光客がたわわになってそれを眺めたり写真を取ったりしている。なんか想像してたのとちょっと違うなあ。その先に並んだ小さな家々は全てお土産屋か食べ物屋だ。日本でもどこでも観光地ってなんかどこか似てる。
最初私はそれらの家々は、観光用に作られたものではないかと思っていた。だから本当はそれらが中世から残っている歴史的な建造物であるということも知らず、またよく見れば全体の調和を保ちながらも、それぞれ独自の色の外壁や凝った装飾を持っている、ということにも全然気づかなかった。ここまで来るまでの様々な苦労に多少疲れていたのだ。そんなものだから、「観光地」「はりぼて」「いったい何が見ものなのか」とぶちぶちと言っていたら、しまいに裕子が機嫌を悪くした。私に悪気があった訳ではないのに。自分が可哀想に思えた。

さて、最初そんな調子だったが、今自分がいる場所が、まぎれもなくCesky Krumlovの中心地であり、また高台から見下ろす景色は素晴らしかったりしたので、段々とここを見て廻ることに楽しみを覚えてきた。街を一望できる塔に登ったり、城壁の上を通って、美しい公園に出て、また街の中に戻って、今度はガイドブックに紹介されている家を一軒一軒良く眺めたり。6時くらいに駐車場に戻る。結局5時間くらい観光していたわけだ。
Cesky Krumlov、今では大好きだ。「張りぼて」だなんて言ってごめんよ。嗚呼またいつかここを尋ねることが出来るだろうか。
帰りの道は、やっぱり昨日と同じで、田園の細い道は通らず、幹線道路を順調に走って行く。いったいどうなっているんだか。途中雨が強くなってきた。
雨が降っているのに、遠くの雲の間から陽が差し込んで実に不思議な光景。車を停めてしばし見とれ写真を撮る。しばらく走ってやはりまた車を停めて、今度は車の外に出て田園風景の写真を撮る。裕子も外に出てきて一緒に写真を撮る。雨が止んで虹が現れる。
ホテルに着いたのは、9時半くらいだろう。ホテルの近くのビアレストランでビールと軽食。11時過ぎホテルに戻る。

8/5(金) シルビアに連れられてプラハ観光、ディスコ

9時半くらいに朝食。写真によるとこの日私が注文したのはオムレツ。ボルシチも食べてる。
最後のドライブは、プラハ駅のレンタカーオフィスまで、今では愛車のようになったSKODAを返しに。今回は迷うことなくまっすぐプラハ駅の駐車場まで行く。前日に間違えて同じ道を通ってるから楽勝。災い転じて福となる。そこまで言うとちょっとおおげさだな。
カウンターでまたしばらく待たされ、11:30くらいにようやく車を返し終え、20,000コロナも戻り、Karstenに電話。彼らは、既にMALOSTRANSKA駅(我々のホテルの最寄駅)にいるとのこと。
2人に会った後、駅のとなりにある庭園を少し見学。その後三度目のプラハ城へ。プラハ城の正面から出て2人お勧めのオープンレストランへ。このとき2時少し前。あんまりお腹すいてないと思ったけど、ビールはおいしいし、私が注文したビーフシチューに似たチェコ料理もおいしかった。その後、ラウスさんもお勧めと言っていた図書館を見学。お城の方へ戻り、そのまま歩いてあまり観光客のいない地区にある、お二人お好みのカフェでコーヒーとケーキ。
チェコグラスの店に連れて行ってもらい、お土産に花瓶をいくつか買う。これでほぼ全てのお土産がそろったと言えよう。よかったよかった。

それから、地下鉄、路面電車を乗り継いで、やはり観光客はあまり訪れないという城壁のある、丘の上の広い公園へ。いつも遠くから見えていた大きな教会(シルビアはここで結婚式を挙げることが若い頃のあこがれだったとか)、ドボルザークとスメタナの墓がある美しい墓地、高台から眺めた緑の間を静かに流れるモルダウ川、飛行機雲の行きかう広い空。そんな素晴らしく、ゆったりとした景色を眺めているうちに、頭の中から全ての雑念妄念が消えていることに気づく。こんな気分は、ひさしぶりだ。
公園のオープンカフェでビールと軽食。このとき8時くらい。外はまだ明るい。一日が実に長い。ここでは一日が27時間くらいあるような感じがする。
その後、サルサダンスのお店に行くが、予約で一杯で、ハーブの葉が入ったお酒を一杯飲んで外に出なければならなかった。

Karstenは乗り気でなかったが、Silviaの提案で、ディスコに行くことに。ホテルに戻ってみんなの荷物を置いて出発。ディスコでビールを飲み始めたのが、11時半くらい。その日そのディスコでは、70年、80年代の音楽を流すイベントだった。Karstenを1人残し、3人で踊りまくった。自分でも不思議だがディスコで踊ったのは生まれて始めてだった。これまでのトレーニングの成果で、20年前のアウェイクセミナーと同じように踊ることができて、これまた自分でも驚きだった。一人で踊ってるSilviaは、何度も男にナンパされそうになっていた。Karsntenが「ディスコは、Silviaがクレイジーになるから好きじゃない」と言っていたのを思い出し、Silviaの方が気になる。何度もKarstenを踊りに誘ったが、結局彼は一度も踊らなかった。2時くらいになって、さすがに疲れてきたのと、Karstenが可哀想なので、帰ることに。Silviaは「何故帰る?」と言っていたというが。荷物をとりに来た2人をホテルの出口まで見送って、お別れのキス。

8/6(土) プラハ発

思い残しのないよう、今日もしっかり朝食をとる。ボルシチ、Royal Breakfast Plate、オレンジとピーチジュース、ヨーグルト。
チェックアウトを終え、ホテルを出たのは10:15。空港へは、ホテルのベンツ。さすがに運転手も丁寧だ。乗客のスペースを十分確保するために、運転席を思い切り前に出して、長い足を窮屈そうにしていたのが印象的。最後までGoldenwell Hotelのサービスはさすがだ。
空港で、最後のチェコビール。
Karstenにお礼の電話。「This is our best travel that we have ever experienced.」
ビールでふやけた頭で相変わらず私の英語は、めためただったが。
ヘルシンキのトランジットは、大急ぎ。ここで出国手続きがある。大勢の日本人に囲まれてすでに日本に帰った気分。飛行機の中でビール+ワイン+マイスリーを飲んで寝る。

8/7(日) 日本着、川崎

確か朝の10時くらいに成田到着。ヘルシンキでのトランジットの時間が短かったので、荷物がちゃんと出てくるのか不安だったが、奇跡的にすべて戻ってくる。戻ってこないことを考えて、この日川崎へ持って行くみやげと、9日に行く台湾出張に必要なものは手荷物の中に入れていた。
家に着いて、荷物を解いて、亀の水変えをして。数時間寝た後、写真を印刷する。
夕方写真と土産を持って、駅でおやじへの焼酎を買って川崎へ、仁田ファミリー、好隆が来ていた。みやげはどれも好評だったのでよかった。
帰りは、美奈子の運転で家まで送ってもらった。

8/8(月) 午前半休、午後会社

8/7(火) 台湾出張