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日産とゴーンさんの思い出など

2020年8月18日(2020年1月5日に書いた記事をこちらに移しました)

私は、ゴーンさんとちょっとした縁があります。1999年にゴーンさんが日産にやって来て、改革の大ナタを振るっていたとき、私は、下請けメーカーとして、ゴーンさん直属プロジェクトの新しいエンジン実験システムの開発責任者でした。

それまで、日産の仕事はしたことなかったんだけど、同僚から、日産がいかに官僚的な組織か聞かされてました。
技術的な会議に、下っ端から偉い人までずらっと出てきて、実際に打ち合わせするのは、下っ端の技術担当社員たちなんだけど、会議の終わりには、偉い人が口出してきて、それまで長い時間かけて打ち合わせたことを、ちんぷんかんぷんな一言でひっくり返しちゃうとか。そのせいでプロジェクトが迷走してしまうとか。

でも、私が担当したゴーンさん直属プロジェクトでは、全くそんなことなくて、私ら下請けと、日産の技術担当社員の方々とのみ、中身のある打ち合わせと、スピーディーな決定が出来て、プロジェクトもスムーズに進んだという訳です。ゴーンさんの改革の現場に参加できて、とても貴重な経験でした。

ゴーンさんプロジェクトには、もう一つエピソードがあります。私が参画したプロジェクトの、エンドユーザーは、日産(日産鶴見工場)なんだけど、開発を担当する私たち下請けメーカーとの間に、もう一つシステム・インテグレーターという名目で日産の子会社が中間業者としいて入っていました。とても評判が悪い会社で、会社の同僚や上司も嫌ってました。私もプロジェクトの最初の頃は随分苦労させられました。一言でいうと「無能で役立たずのくせにこちらに難癖ばかりつけてプロジェクト進行の邪魔をする」。その会社の社員は日産をお払い箱になったシニアが多かった。レイオフを決断できない日産幹部が作った用済み社員のジジ捨て場だったんですね。

ところがある日、新聞を見てびっくりしました。ゴーンさんがそのシステムインテグレーターの会社を大手のシステム開発会社に売却するというニュース。さすがにちょっと気の毒になって担当者に「どうなっちゃうんですか?」って聞いたら、「私たちも分かりません」との返事でした。
さすがコストカッターの異名をとるゴーンさんのやる事は、スピーディーでエグイなあと思ったのでした。

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2020年8月17日

『日本政府がホンダに日産を合併するよう迫ったがホンダに拒否されたという英ファイナンシャル・タイムズの記事。』
https://ft.com/content/89efb01d-b5f9-427b-b779-b118cd4383f0


1999年にカルロス・ゴーンが日産の再生にのり出した時、私は自動車メーカーの下請け企業で働いていた。当時の日産は東大派閥が支配する硬直化した官僚的な組織だった。ゴーンさんはそれを変え、瀕死の状態だった会社の業績をV字回復させた。しかし2018年に検察を巻き込んでの社内の権力抗争が起こり彼は追放された。経営の実権は無能で権力欲だけが強い日本人経営者たちのものになった。そして日産は再び経営難にあえぐダメ会社に戻ってしまった。

ホンダは日産とは対照的な会社だ。創業者の本田宗一郎は、丁稚の職人から身を興した、エネルギッシュで革命家のように新しい考えを持つ人間だった。国内自動車メーカーを増やすことに難色を示す当時の運輸省とケンカして、進取の気性に富んだ自動車メーカー、ホンダを創った。

ホンダと日産の企業文化は水と油のように違う。合併など不可能だろう。