見出し画像

役所の紙書類至上主義と秩序遵守の精神

2020年5月12日
これは役所の紙書類至上主義について言及した@tac_1125さんのツイート(https://twitter.com/tac_1125/status/1259748596167016448?s=20)へのリツイートの内容を移したものです。一部訂正、加筆あります。

私は現在日本で起こっている問題の多くの原因や理由は、秩序遵守の精神から来ているのではないかと考えています。秩序遵守の精神は、徳川家康が徳川泰平の世が長く続くようにと長幼の序などの儒教の教えと一緒に、支配層の武士にだけでなく末端の領民にまで浸透させたものです。
既存の秩序を守ることが何ものにも優先される美徳であり、反対に秩序を乱すことが(たとえそれがどのような意義のある正しいことであっても)最大の悪徳であるとする教えです。中でもお上が行うご政道についての批判を口にしたり、反対行動を起こすことは重い罰則と共にきつく戒められていました。

秩序遵守の精神は、社会全体、社会のさまざまな組織、家族という最小のコミュニティーの中でさえ守られなければなりません。現代風の言い方にすれば、

「組織の上の人間の言うことに素直に従い、組織に変化を促すような言動、及び人と違う目立った言動は控えなさい」

という感じになるでしょうか。

これを民衆の間に浸透させ、また民衆どうしで相互監視させることで、支配者は反逆の芽を摘むことが出来ますし、自らへの批判を抑え込むことが出来ます。組織の安定的な存続がはかられ、施政をスムーズに行うことができるというわけです。現代の一般企業に当てはめれば、経営者や管理者は社員の反抗や上部批判を抑えて企業及び組織のマネージメントを円滑に行うことができると言うことです。現代の国政・行政の場に当てはめて考えてみるのも興味深いと思います。
今現在問題となっている現政権のCOVID-19対応や検察官定年延長をめぐる保守対リベラルの対立の中で「芸能人が政治に関する発言をするべきではない」という声が一部の保守から上がるのも、源流は秩序遵守の精神にあるのだと私は考えています。

@tac_1125さんの元TWの役所の紙書類至上主義に当てはめて考えてみます。私はこの場合も役所の現場で秩序遵守の精神すなわち旧来の慣習である紙書類至上主義を守ろうという考えが強く働いているのではないかと考えます。
コロナ禍の前から日本は、30年来の景気後退の影響から重苦しい保守的な雰囲気に支配されていると私は感じていました。大企業においてさえ終身雇用は形骸化しシニアサラリーマンはいつ来てもおかしくないレイオフの不安を感じています。
そして今まで決してレイオフに会うことのなかった公務員の間においてもその不安はあるのではないかと私は想像します。約30年前、時の日本の首相が鉄の女と呼ばれ英国をどん底から見事に再興させたサッチャー首相に「日本では公務員の首を切らずに行財政改革を行う予定である」と伝えたところ、彼女は「そんな魔法のような方法が存在するんですか?」と返したと言います。世界では公務員がレイオフされることは普通のことで、構造改革を行って効率を高めるということはすなわち、公務員の数を減らすということなのです。日本の公務員も自分たちの定年まで安泰の身分が壊れる時代がやって来つつあることを感じているのではないでしょうか。
紙書類を電子書類に置き換えシステム化することのメリットは誰もが分かっています。しかしそれを実行した場合のリスクも同時に存在します。システム開発に乗り出したが開発期間が延びて予算が足りなくなった、出来上がったシステムが使い難いと市民からクレームが殺到した、等々。秩序遵守の精神がよく行き渡った日本の役所では、成果主義ではなく減点主義がはばを効かせていることが想像できます。
大方の公務員の心の内をおしはかれば「自分が電子化を推進する先鋒隊になってリスクを冒すよりも、今は失点を最小にして目立たぬようにするのが、早々にやって来るかもしれぬリストラの中で我が身を守る一番の方法なのだ。」ということだと思います。

**
秩序遵守の精神は施政者や権力者・管理者にとって、とても効率的で都合の良いもので組織の安定的な存続に寄与します。しかし同時に組織から活力を奪い、組織の進歩と発展を止めてしまいます。結果いずれその組織は時代の流れについていけなくなり、制度疲労を起こして衰退してしまいます。江戸時代末期の徳川幕府、あるいは現在の日本のように。。