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私が「嫌韓の名誉日本人」から「反日の元在日」になった理由

2020年6月25日

(2020年6月18日のTWより)
差別は差別を受けた経験や、差別の現場を見たことがないとなかなか気づきにくいという現実があると思います。男女差別の実態に男がなかなか気付かないって言うのもこれだと思います。

私自身在日だったけど通名使って国籍隠して生きてきた「嫌韓の名誉日本人」だったので、どちらかと言えば差別されるよりも差別する側の人間に近かったと思います。だから差別の実態があったとしても、私はそれに気付かなかったか、気付いても気付かないフリをしていたと思います。

大学生の頃からそんな自分の卑怯さが嫌になり、回りに国籍のことを自分から言うようになりました。
その頃はかつてのように差別しそうな馬鹿は回りにいませんでしたし、もし差別されたら、相手が差別したことを後悔するくらい反撃してやろうという気概も出来ていました。
それにあの頃(バブルです)の日本は、今とは比較にならないくらい景気が良くて世の中全体に活気があって、他人を攻撃しないと自尊心が保てない現代のネトウヨのような情けない人間はあまりいませんでした。差別や弱いものいじめは許さんって言う頼れるお兄さん、お姉さんもたくさんいた。

そして長引く経済の不調にあえぐ欧米諸国を尻目に、世界でただ1国快進撃を続ける日本と日本人は、成金の黄色い猿と言われ、世界中から冷たい差別の対象になっていました。特に最大の貿易相手国であるアメリカからは徹底的に憎まれ攻撃されました。日米貿易摩擦という奴です。それをきっかけにして日本の経済と産業は徐々に衰退し現在に至る訳です。。

日本の凋落と時を同じくして、アメリカ発の男女、人種、LGBT差別撤廃などの人権運動は世界的広がりを見せました。その結果日本人が声高に差別されることもなくなりました。しかし代わりに日本国内で韓国人差別が激しくなったのは何とも皮肉なことです。

話を私自身のことに戻すと、生まれて初めて差別に会ったのは、結婚の申し込みをしに当時の恋人の地方の実家を尋ねた時です。その他の理由もあったのですが元韓国人ということも大きな理由の1つで、彼女の両親から結婚を許して貰えませんでした。さすがに悲しくて、その夜は彼女と2人で泣きました。
でもその後川崎に戻ってからすぐに結婚を許して貰えて、結婚してからは本当に彼女の両親から大事にして貰い、仲良くして貰った。
私も両親のことが大好きだったし、年末年始、GW、夏休みの長い休暇を田舎の両親の家で一緒に過ごさせてもらった。本当に楽しかった。両親の家で両親や奥さんの妹の小さな息子2人と一緒に休暇を過ごすことが楽しみでしょうがなかった。俺の第2の故郷だった。両親とは国内旅行、海外旅行へも何度も一緒に行った。だから恨みに思う気持ちは全くなかったです。

新婚時代にとても仲良くしていたカップルがいて、うちにも遊びに来てよく一緒に酒を飲んでました。早く結婚しろよって言ってたのに、ある日突然別れることになったと連絡がありました。実は彼女は在日韓国人で、彼氏の母親が結婚に大反対して破局に至ってしまったのです。
彼女はうちに1人で来て、我々夫婦と酒を飲みながら泣いてました。今でも思い出すと胸が痛みます。もう20年以上前の話ですが。。

我々の結婚生活は22年間続きました。夫婦仲は日本では珍しいくらいに良かったし、いろいろあったけど、世界中のいろんな所に一緒に行ったし、いつも一緒にいられて本当に幸せでした。
でも私のうつ病をきっかけにして全てがあっという間に壊れて2016年8月に別居しました。その後正式に離婚。仕事も出来なくなって、それまで暮らしてた二子玉川のマンションを売って、川崎の実家で廃人生活を送り始めたのが2017年9月です。

生きる希望を失い毎日横になって、ただネットの動画を眺めるだけの日々でした。でも2019年の始めから少しずつ復調してきてTwitterへの投稿などもするようになりました。

そんなある日、Yahoo知恵袋で高校1年生の少年の質問投稿を見ました。彼は在日でかつての私と同じで、「ずっと通名使って国籍隠して生きてきた。でも昨今のネットや街中で行われてるヘイトを見ると、自分の国籍がバレることが怖くてしょうがない。どうしたら良いでしょうか」、という内容でした。
そして俺はたくさん寄せられていた回答を見て本当に驚きました。
「人はみな何かしら辛い思いをして生きている。自分だけが不幸だと言うのは甘えである」というような内容、もっと酷い内容、等々、、少年を慰める内容のものは1つもありませんでした。残念ながら新しい回答の投稿は締め切りになっていて、俺は回答を投稿することが出来ませんでした。

何だこれは、一体何が起こってるんだ、日本人一体どうしちゃったんだ、って思いました。それは「嫌韓の名誉日本人」が「反日の元在日」に変わった瞬間でした。

おしまい。

長々とした文章に付き合っていただいて、ありがとうございました。
少し前にこのことを書きますって約束してたんですが、やっと書けました。やっぱり自分の事書くのってしんどい。大江健三郎とかは偉いなあ。
良かった。1つ仕事終わった。後はこの内容noteにまとめるだけ。
さあ、お祝いにビール飲みに行こう!!

読んでいただいてありがとうございました。

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(関連)
『うつにならないために』https://note.com/shig_matsuoka/n/n606412ebab2c

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2019年7月28日のTWより
韓国人だった時、普段の自分の意識は日本人以外の何者でもないんだけど、外国人登録証は持ってるし、学校の卒業証書なんかには、私の嫌いな本名が書かれてるんですよね。それが友達にバレたら大変と結構気を使いましたね。帰化の手続きも大変でした。付き合いの全くなかった、民団に何度も行ったり。。

後、結婚のお願いに前妻の両親に会いに行った時は、最初、国籍を理由に反対されましたねー。夜中に両親の家で前妻と2人で声を殺して泣いていたのも、今となっては、懐かしい思い出ですけどねー。(-_-)

私のプロフィールには、「元在日で反日です」なんて書いてあるけど、私が在日であったことを意識することなんて、ほとんどなかったんです。ところが、今年SNSを始めて、あまりに国籍差別的意見を見るようになり、じゃあ奴らには、俺は元在日だって言うようにしよう、となった訳です。

特に決定的だったのは、あるYahoo質問箱を見たとき。高校1年生の少年の質問で、自分は在日であることが怖くて仕方がない。どうしたらいいでしょうか、って言う内容でした。しかし、それに回答してる大人たちの意見の酷いこと。少年に偉そうに生き方を教えてるふりして愛国者の自分の立場を誇示しているようなクズばかり。少年を擁護するような意見はひとつも無し。
あれで「反日の元在日韓国人」という、自分の新しいアイデンティティーが確立されちゃいましたねー。

「そうだったんですね。自分は日本国籍で生まれたけど、「国」を「愛」してるって思ったことありません。「郷(生まれ育ち体感的に知る土地)」に親しみはあれど、世界には他にも素敵な土地たくさんあるし、知り合ってみたいひとたちは未知数だもの。」

私も、信頼も尊敬もできる友人は、外国人ばかりで、日本の友人は馬鹿で品がなくてどうしようもない奴らばかりなんですよ、きっと私と似たもの同士なんでしょうね。
不思議なことに、こんだけ日本ディスリやってるけど、実は私は日本愛しちゃってるんですよねー。不思議。

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2020年6月25日
今の若い人は、どうして俺が「嫌韓の(在日)名誉日本人」だったか不思議に思うかもしれませんね。
1つには国籍がバレて差別に会いたくないから、日本人になりきろうとしたって言うのがあると思います。
もう1つは先にも書いたけど、我々の青春時代はバブル前後の(注)日本の最も勢いのある輝きのある時代だったんです。日本はめちゃイケてる国。それに比べたら韓国なんて、どこにある後進国ですか?って感じ。あの時代には、おバカなガキが自然に親日、嫌韓になる社会的背景があった訳ですね。

(注)バブル前後:バブル崩壊って実際はほとんどの人は崩壊したことに気付かなかったんです。徐々に徐々に景気が後退して行って、あ、バブルがはじけたって気づいた。だからバブル崩壊直後はまだ好景気が続いていた。

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2020年8月5日
私は子供の頃からずっと通名を使い国籍を隠して生活していました。大学生のときに心境の変化があり、親しい人には自分が在日であることを伝えるようになりました。
自分が差別された経験は、前妻の両親に国籍を理由の1つにして結婚を反対されたことだけです。しかし反対の理由は他にもあり、またその後すぐに結婚を許して貰えたので特にわだかまりが残るということもありませんでした。
元TWのように差別を受けて心に傷を負った方々の告白を読むと心が痛みます。
現在のような異常な嫌韓と在日に対するバッシングは、2002年のサッカーWC日韓共同開催の後からネット上で始まったようです。若い在日の人々への差別が激しくなった時期ともリンクしているのではないでしょうか。
これを何とかするのは、在日として生まれ、帰化をしてこの日本の国民となった自分に果たせられた責務のように感じます。