吉野拾遺 上 12 源中納言北ノ方発心ノ事

【源中納言北ノ方発心ノ事】
先帝の御時、源中納言みちのくの軍を、あまたしたがへたまひ、道々を平げて、美濃の国までおはしにけるよし、さきだちて聞こえければ、うへよりはじめてたのもしきことにとおぼし給ひけるに、あべ野の露ときえさせ給ひけると、刑部丞友なりが、そのきはのありさまを、参りてなくなく語るに、ともし火のきえぬるやうになむ、人々のこころはなりにける。御父の卿はいかばかりにおぼすにか、
 さきだてしこころもよしや中々にうき世のことをおもひわすれて
北の御方はただふししづませ給うて、さらに御心ちもなかりけるを、さわぎておもてに水などそそぎしほどに、またの日の夕ぐれのほどに、すこし御ここちの出でさせ給ひて
 玉の緒のたえもはてなでくり返しおなじうき世にむすぼるるらむ
なほ同じ道にとおぼしたち給へる御けしきの、いちじるしく侍りければ、立ち去り給はで、人々のまもりければ、御心にもまかせ給はで、観心寺といへる山寺にて、御ぐしおろしてすませ給へるに、
 そむきても猶わすられぬ面影は うき世の外のものにやあるらむ
ここに三年が程過し給うて、世のさわぎもしばししづまりければ、さすが故郷のかたやおもひ出で給ひけむ、よしの山をたどりいでさせ給ふとて、
 いづくにか心とどめむみよしのの よしのの山をいでてゆく身は
親房卿の御もとに、しばしおはしまして、あかつきがたに立ち出でさせ給ひけるに、御名残のつきさせ給ふまじき、御ことにてありければ、かへり見させ給ひへるに、有明月のいとさやかに、山のはちかく見えければ、
 別るれどあひもおもはぬみよしのの みねにさやけき有明の月
阿倍野を過ぎさせ給ひけるに、ここなん其の人の消えさせ給へる所とつげければ、草の上にたふれふさせ給ひて、
 なき人のかたみの野べの草枕 夢も昔の袖のしら露
このほとりに刑部丞ともなりが、世をそむきてありけるをたづねさせ給ひけるに、いそぎ参りて、御ありさまを見奉るに、さしもゆかしくわたらせ給ひける御よそほひの、いつしかかはりおとろへさせ給ひけるにやと、なみだとどめあへで、住吉、天王寺のほとぢまで、御おくりに参りて、所々あないしけるに、天王寺の亀井の水のほとりの松の木をけづらして、
 後の世の契のためにのこしけり 結ぶ亀ゐの水茎のあと
と書きつけ給へり。それよりともなり入道はかへりにけり。一とせ尋ね来たりてかたりけるに、いとあはれにおもひ奉りて、そののち天王寺へ参りけるに、御筆の跡のきえもはてずして、のこりけるを見参らせて、そぞろに袖をしぼりけるにこそ。
其の後、旧都にのぼらせ給ひて、母君もともに世をそむきおはしけるが、さきだち給ひて、又のとしの春、失せさせ給ひけりとぞきこえし。日野中納言資朝卿の御女なりし。

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