吉野拾遺 上 14 藤房入道高巣山ニテ読経ノ事

【藤房入道高巣山ニテ読経ノ事】
 刑部卿義助朝臣の越前国よりいまして物がたりに、『越前の国鷹の巣のいふところは、高くそばだちて城郭にしかるべきところなりければ、畑六郎左衛門時能といふ兵にまもらせけるに、あないをしらむがために、なほおく深くわけ入りけるに、谷川のいときよくながれけるを、その水上をたづねにのぼりけるに、さしいでたる岩をかたどりて、松の葉にふきたる庵の見えけるを、かかる処にもすむ人のありけるにやと、たちよりて見侍れば、木の葉を集めてむしろとし、たひらなる石の上に、法華経を置ける外はなにも見えず。しばしありけるに、山路をたどり来る人をみれば、痩せ衰えたる僧の樒を手にもてり。いかにしたまふにや、と物のかくれより見けるに、谷川の水をむすびて、庵のうちにいり、経のひもをときけるほどに、よみはじめ給はぬさきにと、いそぎ行きて、「かかる御住居こそ、いと貴くおぼえ候へ。いかなる人の世をそむかせ給ひけるにや」と、とひ奉るに、「そこはいかに」とたづねさせ給ひけるほどに、名のりをしつれば、いと本意なきさまして「あづまのものにこそ」とばかり、の給ひて、経をよみ給ひしままに、かへりてさぶらふ。藤房卿の御面影して侍るといひしままに、いとゆかしくて一條少将をともなひて参りけるに、庵は其のままありて、僧は見え給はず。経のありつる石ときこえしに、
 ここもまたうき世の人のとひくれば 空行く雲にやどもとめてむ
とかきつけ給へる筆のあとを、少将のよく見しり給ひて、そのほとりの山々をたづねさせ給ひけれども、さらに見え給はねば、いとほいなくて』との給ひしを、人々ききもあへ給はで、みななみだおとしてけり。さしいもいじみかりける人のききしがことの御住居は、誠にありがたき御心にこそ。年月をあはせて見侍るに、君が住むやどといひこされしは後の事なり。こしのかたよりつくしへ通り給ふらん折にや。そののちはたへて御おとづれもきかさりき。藤房の卿は、大納言宣房卿の御子なりし。才智世にすぐれさせ給ひて、君にも御覚えの浅からで、中納言までなり給ひしが、建武きのえ戌のとしの春、俄に世をすて給ひし。

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