吉野拾遺 上 10 伊賀局化物ニ遇フ事

【伊賀局化物ニ遇フ事】

 新待賢門院に、伊賀のつぼねといふありけり。これは左中将義貞朝臣の侍に、篠塚伊賀守といへるが女になんありける。去りぬ正平ひのとの亥のとしの春の此、化物あなりとて、人人さわぎおそれ給へり。形をしかと見さだめたるものもあらず、行きあひけるものは、心ちあしく成りにけり。内裏より御との居人あまた参らせ給ひて、蟇目などいさせければ、そのほどはしづまりにけり。水無月十日あまりの程に、いとあつき比なりければ、此のつぼね庭にいでて立ち給へるに、月のさしいでて、いとあかかりければ、

 すずしさをまつ吹く風にわすられて 袂にやどすよはの月かげ

とたれきく人もあらじとひとりごち給へるに、松の梢のかたより、からびたる声して、「ただよく心しづかなれば、すなはち身もすずし」といふ、古き詩の下句をいふに、見あげ給へば、さながら鬼のかたちして、翅のおひ出でたる、眼は月よりも光りわたるに、たけきもののふの心もきえうせぬべきに、うちわらひ給うて、「誠にさにこそありけれ、さもあらばあれ、いかなるもにかあるらん。あやしくおぼゆるにこそ。名のりし給へ」ととはれて、「我は藤原の基任にこそ侍れ。女院の御為に命を奉りさぶらひしに、せめてはなきあとをとはせ給はむことにこそあれ。それさへなく候へば、いとつみ深く、かかる形になりて、くるしきことのいやまされば、うらみ奉らんとおもひて、此の春の比より、うしろの山に候へども、御前にはおそれて参らぬにこそあれ。此のよし啓して給はなん」とこたへければ、「げにさは聞きおよびし。されどうらみ奉るべきことかは。世のみだれにおもひ過したまへるぞかし。其のことわりならば、啓して弔ひてん。さるにても御経はいかなることとかよるべき。心にまかせ侍らん」とのたまへば、「ただ其のことばかりにこそ候へ。御弔ひには法華経にしくはあらむ。さらばかへりなむ」といふに、「帰らん所はいづくにか」との給へば、「露と消えにし野原にこそ、なき魂はうかれ候へ」とて、北をさして光りもてゆくをみおくりてのち、女院の御前に参りて、啓したまひければ、「誠におもひ忘れてこそ過しつれ」とて、明の日、吉水法印に仰ごとありて、御堂にて三七日法華経を供養し給ひければ、其の後はあへてことなることもあかりし。うかびてやありつらん。いとたのもし。

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