吉野拾遺 下 09 実勝朝臣北方ノ事

【実勝朝臣北方ノ事】
 洞院の実世公の御女は、御心ばへよりはじめて、御かたちのいとめでたくおはしましければ、みかどに奉らんとかしづかせ給ひけるを、宰相中将実勝朝臣のせちによばひわたらけれども、ゆるし給はねば、ちからなく過し給ひしに、春の半過ぎ行く比なるべし、高間の山のさくらを、よそながら見させ給はんとて、実世公、女房達をともなひ給うて、山路をたどらせ給ひ、高ねにのぼらせ給ひけるを、宰相中将の君、かねて君の御めのとご、御心をあはさせて、しげみにかくれいますをしらせ給はで、めのとともにながめやらせけり。「げにもたかまの山の名もいちぢるしくこそあれ。花はただ雲とみゆるは、心ありてにや」とたはぶれ給へるを、「猶かたなよりは、よくこそあらめ。しげみを出ではなれなば、よしの川もみおろされぬべし」といひいひて、こなたへさそふを、実勝朝臣つと出給ひて、「いはばしわたして奉りなん。こなたへ」とかひおはせ給ひて、めのととともにかへり給ひけるを、人しらざりけり。さて「姫宮こそみえさせ給はね」と、人々さわぎて、手をわかちて、谷に落ちさせ給ひけるにやと、いはほのかくれ、はざまはざまをもとむれども、かひなし。かかるおく山には、天狗などといふもののつねにすむなれば、とり奉りやしけんとて、谷嶺を越えてあされども、いませねば、なくなく帰り給ひぬ。日を経て、宰相中将のもとに、ゐ給へりとつぐる人のありければ、いきまき給ひて、「みかどにうたへて、つみせん」とのたまはせけれども、かかるみだれのうちには、ただおはしませとせいする人々のおほかりければ、こころにあらでやみ給ひけり。いく程もなくて、将軍義詮公のもとより、奏し給うて、都へ還幸をすすめ奉れば、君は八幡へ皇居をうつされしに、実勝朝臣も、「都しづまらば御むかへにまゐりてむ」と契り給ひて、御ともに参らむと立ち出でさせ給ふ御袖をひかへ給うて、
 何となく心にかかる白露の おき別れ行く袖のけしきは
などさはおぼすにかとて
 別路の露にはあらぬうれしさを やがて袂につつみこそせめ
といひなぐさめて、こころづよく立ち出で給ひけり。かくて歳の半ほど、御心を雲にやどして、待ちわびさせ給ひしかひもなく、八幡にてうたれさせ給へりと聞かせ給ひしより、「さればよ、その別路の、何とやらん心にかかりておぼえしが、かからむ事にこそ。今はながらふべくもおぼえぬなり。ちぎりはじめしその折からは、我心をあはせて、あられぬわざをしたまへると、うとからぬかぎりにはおもひおとされ、たのむべき人はむなしくなりにければ、おもひさだめにけり」と、かきくどかせ給ひければ、めのとの侍従、「さおぼしたまへりともかひも候はじ。かかる事もためしなきにはあらず」など、いさめて、まことにはおもひたち給はじと、すこしおこたりけるひまに、うかれ出でさせ給へるが、夕ぐれのほどなりければ、さらでも道のおぼつかなきに、川音のかすかなるかたをしるべにて、なつみの河のほとりに、たどりつかせ給へれども、月さへうとき山陰のほたるをよすがにたのみ給ひて、岩のおもてにさだかならねど、
 山陰のくらきやみ路にまよひなむ なつみの川に身をしづめなば
と書きつけ給うて、御身をしづめたまひけるに、御跡をたづねもとめけるものの、あまたつどひて、松どもともして見けるに、あへなき御かたちの、岩のはざまにかからせ給へるを、とりあげ奉るに、はつかに御いきのかよはせ給ひけれども、御かほの色もかはらせたまへるに、皆涙おとしてさまざまにとりあつかひたてまつれば、やうやう御心のつかせ給へるにや、御目の少しひらけければ、皆喜びてかへりけり。御心のつかせ給へるままに、御なげきをおぼしいでさせ給ひて、せめては御さまをかへ給はむと、しきりにの給へば、せんかたなくて、御心にまかせ奉りてけり。あさましくみだれぬる世の中には、かかることさへかずそひにけりと、いとかなしくこそ。

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