吉野拾遺 上 07 御歌ノ徳ニテ雨ハレシ事

【御歌ノ徳ニテ雨ハレシ事】

 先帝の御時、さみだれのいと久しう降りつづき侍りける此、かんだちめあまた御前に侍らひ給ひて、御遊のおはしましけるに、実世卿の「川音高きさみだれに、いはもとみへぬ滝のけしきこそ、こよなう」と奏せさせ給ひければ、「さもこそあらめ。空さへはれなば」とのたまはせて、その明の日、とりあへず御幸ありけるに、観音堂のほとりまで、わたらせ給ひけるに、そらのけしきいとおどろおどろしくなりて、又かくらして、しのをつくが如くふりいでければ、御堂にしばらく立ちやすらはせ給ひて

 ここは猶丹生のやしろし程近し いのちは晴れよさみだれの空

と詠ぜさせ給ひければ、ときにとりて晴れけるのみかは、日かげうららかになりて、それよりふらざりけり。帝徳のいみじうわたらせ給へるを、人々もたのしくおもひあひけるに、おなじ八月の初め比より、秋霧にをかされ給ひけるが、かねて時をもしろしめしけるにや、同じ十五日の夜、親王を左大臣経忠公の亭にうつし奉らせたまひ、三種の御宝を譲りおはしまし、御行末の事、こまやかに仰せおかれて、御剣と法華経とを左右の御手にものし給ひ、いざよひの月とともに、雲がくれさせ給ひけるに、つきしたがひ奉りし人々は、ただやみぢにまよふここちなむし給ひける。御すがたをあらため奉らで、如意輪寺の御堂のうしろのかたにをさめ奉り、御おくりして、人々はかへり給ひけれども、さらに人ごこちもなかりければ、御廟の前になきあかして、しののめ過ぐるほどをまちて、かしらをろし、かしこき御影のあたり近く、草の庵をむすびて、なき御跡までつかうまつりけるに、その長月の十日あまりの月、いとさやかに見ゆるに、むかしの御事などおもひ出でて、

 いまははやわすれはつべきいにしへを おもひ出でよとすめる月かな

といひて、すこしまどろみけるに、御廟の前に、百官袖をつらねてなみゐ給へるをおぼつかなくおもひて、資朝卿のよろづはからはせ給ひておはします御袖をひかへて、とひ奉るに、「ここにては、旧都に程遠くして、御本意をとげさせ給はむ御はかりごともなりがたければ、亀山の仙洞に行幸ならせ給へるにこそあれ」とのたまひもあへぬに、御戸びらのひらき給へるに見奉れば、そのきはの御姿にて、玉のみこしにめされければ、伶人楽を奏し、百官供奉し奉りけると見て、うちおどろきけるに、松吹く風に音楽の猶きこゆるものから、いつつの色の雲御廟よりいでて、北のかたへ長うなびきてみゆるに、さらになみだもとどまらで、御影も今はここにはおはしまさぬにやと、いとかなしくて過し侍りける程に、おなじき夜に、旧都にいます夢窓和尚の夢に、君亀山の旧跡に行幸ならせ給ひて、群臣とともに宴せさせ給ひけると見給うて、武家に心をあはせて、御寺をいとなみ給へり、と後につたへ聞きけるに、今さらのやうにもおもひ出でられて、みな袖をしぼり侍りし。

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