パラダイス・クリエイト(2)

2. 経済

(1)お金というもの

集合無意識の話は根底の問題ですが、漠然とした話なので分かりにくい面もあると思います。そこで、もう少し具体的な話をしていきたいと思います。まずは経済問題です。戦争にしろ、健康にしろ、実はその大きな要因のひとつは経済問題だと私は考えています。

お金というものの成り立ち、通貨発行権など、経済に関して言いたいことは様々あるのですが、あまり多くを説明しても消化不良になると思いますので、資本主義経済の問題を中心に話をしたいと思います。これも、地上天国、楽園を創るにあたり避けて通れない道です。

ちなみに一部に、将来お金というものが無くなるという議論がありますが、私としては何百年も先の話ならともかく、数十年先、私たちが生きている間は、あり得ないと思っています。なぜなら、人の価値観は多様化して、お互いの価値観を擦り合わせできる「もの差し」が必要だからです。

太古の価値観がほぼ同じ人たちの集団であればいざ知らず、価値観が多様化した現代ではあり得ないと私は考えます。お金が無くなっても、別の「もの差し」が必要になるからです。今でも、左翼系のコミュニティなどお金を使わないコミュニティはカルト化する傾向にあると私は考えています。なぜなら、価値観が多様化したコミュニティを運営するためには「もの差し」=お金が必要であり、逆にお金を無くそうとすると、価値観を統一せざるを得ず、カルト化せざるを得ないのだと思います。

これも時々お話するのですが、金融システムが登場して人は奴隷制度から解放されました。ローマの時代、人は労働力を確保するために、他国や他民族と戦争をし、侵略をし、奴隷をつくって、労働力を確保してきました。それ以外に、労働力を確保する方法が無かったからです。

金融システムが登場することによって、人はお金というものを使って、奴隷という仕組みを使うことなく、労働力を確保することが出来るようになります。もちろん、経済的な面で奴隷のような境遇にある人たちがいるという別の側面はありますが、暴力的手段による奴隷制度から解放されたのは事実だと思います。

(2)資本主義の構造的な欠陥

話は横道にそれましたが、資本主義の問題点にもどしましょう。ケインズという経済学者がいます。資本主義経済の父のような人です。このケインズが既に資本主義の問題点を指摘しています。その話から、はじめさせていただきます。

ケインズの指摘を分かりやすく説明します。たとえば、全体の通貨料が100あったとします。そして、一般流通と金融資産が80と20だったとします。一般流通という言葉は、経済用語としてないと思いますが、要は給料とかでばらまかれるお金と考えてください。

これが翌年どうなるか考えてみましょう。分かりやすく金利を10%と設定します。金融資産が前年20であれば、翌年は金利10%がついて22にならないといけません。そして、全体が100だとすると、一般流通は100から22を引いて、78になります。つまり、みんなに分配できる通貨が80から78に減る訳です。そして、これが毎年続きます。

一般流通が減ると賃金などが減ってこまります。そこで流通量を増やしてごまかそうとします。100だった通貨を、102にする訳です。そうすると金融資産が22になっても、一般流通は80のままなので一見問題がないように見えます。しかし、これが積み重なっていくと、金融資産はどんどんふくれあがり、たとえば、一般流通80に対して、金融資産100とかになっていきます。これがバブルと呼ばれる現象です。

これは金融資産の母数が増えると絶対に起こる話であり、政策が悪いとかそういう話ではなく、システムの問題なのです。しかし、金融資産というのはあくまでも、人が価値を認めたから、価値ができるのであって、一般流通から乖離すると価値が一気に下がります。これがバブル崩壊という現象です。もし、バブル崩壊が起こらなければ、戦争が起こって金融資産が崩壊する方向に動きます。これは意図的にされているという話もありますが、証明するすべがありません。こういう形で近代の経済は回っています。

ここで問題になるのは利子という仕組みです。現在でもイスラム教の銀行では利子を取らないといいます。宗教上の理由です。かつてのキリスト教もそうだったと言われます。中世、利子をとれなかったキリスト教に対して、宗教上の縛りが無かったユダヤ教の人々は、利子を取り、金融で儲ける仕組みを作りだしました。ロスチャイルドなど現在に渡り大きな影響力をもっています。しかし、利子という仕組み自体がある意味、経済崩壊を内包している仕組みであるという理解は必要だと思います。

ということで解決法としては利子の形態を見直し、無金利の仕組みを広げるとかマイナス金利を広げるとかいうアプローチがあります。世紀末的な破滅が来て全ての金融機関が崩壊すれば別ですが、そうでなければ利子の仕組みを無くすことは無理でしょう。

まず考えられるのは、地域通貨とかコミュニティ通貨みたいな形で利子がない経済システムを併用する方法が考えられます。仮想通貨も、現時点投機的な意味合いが強いですが、やり方によっては、地域通貨、コミュニティ通貨と同じような仕組み作りができる可能性があります。

地域通貨とか、コミュニティ通貨の最大の利点は、お金の仕組みや信用創造というものを理解できるという点です。日本では、学校でお金の仕組みについて教わることはありません。ユダヤの人々は幼い時からお金について家庭で教わると言います。人が生きていく上で、とても大切なお金について、全く何も教わらないというのは異常だと思います。

お金は生きるためにとても大切なものですが、一方社会を管理する立場の人々からすると、手品のネタばらしみたいなもので、あまり面白くないのかもしれません。面白くなくて、わざと隠しているのであればまだ救いがありますが、管理している側も良く分かっていないのであれば救いがないとも思います。第二次大戦中の軍部が、組織として最低に近かったのと同じで、官僚化の弊害が出ているのかも知れません。

とにかく、お金というものを自分たちでハンドリングすることにより、お金の仕組みを体験的に学べるということが最大のメリットです。あと、利子という仕組みから解放されたお金というものを扱うことができます。

お金に賞味期限を付ければ、貯めるお金から、使うお金へと意識変換をすることもできるかも知れません。政府や日銀発行のお金の仕組みを変えるのであれば、途方も無い労力を必要としますが、限定された世界で、「新しいお金の概念」を実験することは簡単にできます。

そして、たぶんそれは現在のお金の問題点を別の側面からサポートするものになるでしょう。もちろん政府や中央銀行発行のお金が無くなるという話ではなく、新しいお金の仕組みが、お互いの問題を補い合う形になっていくと思います。

(3)ベーシックインカム

もうひとつのアプローチは、ベーシックインカムです。ベーシックインカムというのは、政府や地方自治体が、生活に必要な額を国民や住民に支給する仕組みであり、最近世界の多くの地域で試験的導入が行われて、脚光をあびています。ちなみに、個人でベーシックインカム的な仕組みを提供される方も、出てきています。

先ほど説明したように、利子がある関係で、金融資産の方にお金が偏る傾向にあります。これを政府や地方公共団体が、税金として回収して、一般に再分配する訳です。一般流通の方からお金を回収して再配分しても、根本的な解決にはなりません。

もちろん、金融関係の人や金融資産を持つ人の反発はあるでしょう。しかし、数十年に一度のバブル崩壊が起こる仕組みや、戦争が起こる仕組みをきちんと説明すれば、納得する人も多いはずです。先ほどの地域通貨やコミュニティ通貨に比較するとはるかにハードルは高くなりますが、世界を幸福にするためには、検討すべき重要なテーマのひとつだと思います。

ちなみにベーシックインカムの議論に関しては、大きく2つの問題が指摘されます。それは、財源はどうするかという話、もうひとつは人が働かなくなるのではないかという話です。これについて、私の意見を少し述べさせていただきます。

まず財源の問題ですが、ベーシックインカムの方が財政負担は減ります。その仕組みを少し説明します。政府および日銀はお金を発行します。これを信用創造といいます。ちなみに日本政府が硬貨を、日銀は紙幣を発行しています。こうすることによってお金を作り出し、国民に配っているのです。

直接配るという方法がないので、政府は公共事業と呼ばれる方法で国民にお金を循環させます。たとえば道路を造ったり、橋を造ったり、補助金という形でお金を回したりです。たとえば、道路を造る例でいうと、たとえば100億円の事業を民間に発注することにより、その仕事の関係者に10億円程度が人件費として循環します。それが巡り巡って、全ての国民に回って行く訳です。

しかし、ベーシックインカム=直接給付ならこういう面倒なことをする必要はありません。国民に10億円循環させたいのであれば、10億円だけ配ればいいので、道路を造るための様々な費用90億円が不要になるのです。建設関係の会社とかそれにつながる政治家以外はだれも損をしません。

税金を無駄に使われることはないし、政府の借金も減って行きます。そこで利権を握っている人たちには抵抗あるでしょうが、たぶん国が破滅するか、ベーシックインカム的な仕組みを導入するかの二者択一を近い将来に日本の政治家は選ばざるを得ないと思います。なぜなら、政府には1000兆を超す借金があり、国家予算の三分の一はその利子と返済に消えていっているのですから。

ちなみに、政府に借金があるだけで、国民に借金がある訳ではありません。そして、これは政府が無能な訳でもありません。構造的にそうなのです。信用創造という形でお金を作るにしても、バランスシートというものを考えないといけません。どこかでお金を作ると、どこかが借金をして、バランスシートの帳尻をあわせます。

概念的にいうと、国民のお金を作ると、政府が借金をするというイメージです。他国ではそれを税金で回収するのですが、日本では税金が安いので、年金とかで回収して借金の穴埋めをする、みたいな特殊な形でカバーしています。

それも、もう無理になってきて、昔は禁じ手と言われた日銀が国債を買って何とか国家を維持しています。それもそろそろ限界だと思います。日銀は国家機関ではなく、一認可法人であり、資本金も1億円しかありません。ある意味、いつ潰れてもおかしくないのです。

そういう側面から考えて、公共事業型の間接給付とからベーシックインカム型の直接給付は、財政赤字に苦しむ国家にとって、とても良いソリューションだと私は考えています。

こう説明しても、直接給付を行うにしろ、財源は必要だろうという疑問もあるかも知れません。どちらにせよ、国民にお金を循環させないと経済という仕組みそのものが無意味になるとは思うのですが、そのあたりも少しだけ説明させていただきます。

信用創造の話です。近代までは、お金は金と交換することができるということで信用があるとして発行されてきました。いわゆる金本位制です。しかし、ある時期から金と交換できなくても、発行できるようになりました。すなわち国家が保証するから大丈夫という話です。

そういう意味では、現在のお金はすべて信用というものに基づいた幻想です。

友人が「お金は呪(しゅ)である」といっていましたが、古代のお金はもともとそうであったし、今でも幻想に近いものです。たとえば、いま世界からお金が全て消えたとしても、みんなが同じ仕事をやっていたら、社会は問題なく回ります。そう考えると、お金が幻想であると分かっていただけるのではないかと思います。

ですから財源に関して言えば、極端な話、国家がお金を刷ればいいだけ、と言えます。現在の通貨と混乱を招かないために、地域通貨や特別通貨という形をとってもいいので、そういうことをすればいいだけです。日本銀行とは別に、政府が1万円硬貨みたいなものを発行してもいいかも知れません。できない話ではないのです。

あと、できるかどうかは別として、金融資産とか金融取引に課税をすることが考えられます。先に説明したように、利子というシステムがあるから一般流通から金融資産にお金がながれます。そういう視点でいうと、金融資産とか金融取引に課税する方が本質的な意味からいうと正しいし、またリーマンショックみたいな金融危機を回避するのにも良いアプローチだと思います。もちろん反対は強いでしょうが。

また直接的要因ではなく、間接的なものですが、国家の安全保障という面から、財源を確保するという視点もあります。911以降、世界は国家と国家の戦争の時代から、個人と国家、地域集団と国家との戦争の時代に入りました。テロ戦争の時代といっても良いかも知れません。日本は国家の安全保障に関して、何十年も前の議論をしていますが、主要国はテロ対策こそ安全保障の中核として対応しています。

理由はいくつかありますが、一番大きいのは個人が扱える武力が格段にアップしたことです。今なら個人用の小型核兵器も、ひとりで世界を滅ぼす細菌兵器も、実現可能でしょう。人の全てを監視して、そういう芽を摘む方向で今は動いていますが、貧困や経済格差がある限り、テロリスクは減らないでしょう。

すなわち、監視システムとか対テロの準備に膨大な資金をつぎ込むのであれば、テロの可能性を減らすために、貧困や経済格差を無くすために金を使った方が有効だし、有意義だという議論が近い将来出てくるはずです。そうすれば財源も確保できると思います。

(4)AIの時代に向けて

ベーシックインカムに対するもうひとつ、よくある質問は「人が働かなくなるのではないか」、「勤勉さが失われるのではないか」というものです。しかしよく考えてください。「人は働かないといけない」とか、「人は勤勉でなければならない」とか、「働かざるもの食うべからず」というのは、人間が勝手に作り上げた価値観に過ぎません。そして、価値観というのは時代によって変わっていくのです。

昔は、多くの人が必死に働いてようやく食べていける世界でした。しかし、現在はその労働のほとんどが不必要になってきています。60年代のSF小説や漫画の世界では、ロボットが労働を全てやってくれて、人はもっと自由に時間を使える世界が描かれていますが、実はそういう世界は実現しているのです。問題は、お金で富を分配するというシステムです。

封建主義にしろ、資本主義にしろ、社会主義にしろ、共産主義にしろ、全て「労働に応じて富を分配する」というコンセプトから発生しています。しかし、機械化、合理化、AI化で仕事そのものが社会から激減しています。ですから、労働で富を分配するという社会システム自体が成り立たなくなりつつあるのです。

工事現場では、人がつるはしを使っていた作業がパワーショベルなどに置き換わりました。力の面では、機械が人より勝ります。力を使う労働は、ほとんど機械に置き換えられてしまいました。さらに、コンピューターの登場により、頭を使う労働もかなり少なくなっています。これにAI化が進むと、ほぼ人の仕事はいらなくなるでしょう。

たとえば銀行業務も、クラウド型の会計を行っている会社であれば、AIがその会社の会計情報にアクセスし、瞬時に融資可能かどうかを判断します。銀行マンが様々な資料を揃えて融資可能か判断する世界は、過去のおとぎ話になりつつあるのです。

そういう世界では、仕事を創ること自体が困難です。日本国憲法に「勤労の義務」というものがありますが、これは労働機会を提供できて初めて成り立つ話です。そして、そのもとになる、労働や労働機会そのものが激減する世界が目の前にあるのです。ですから、人が働かなくなるとか、勤勉さが失われるという議論そのものが間違いなのです。


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