歴史千夜一夜(0) はじめに

 私は歴史の専門家ではありません。このお話は、歴史を様々な視点からみると別の見方がみえるかも、という話であって、これが真実だというつもりはありません。真実に関しては、多くの専門家の方におまかせしたいと思います。アラビアンナイト、千夜一夜物語という話があります。自分が殺されないために、王様に毎夜不思議な話を毎夜続ける物語です。歴史に関するそういう少し変わった説を楽しんでください。

 歴史というのは、たぶん色々な見方が出来ると思います。しかし、現在の私たちが思っている常識が歴史を見えにくくしている部分があります。例えば、呉服というと日本の服だと思っている人が多いのですが、もともとは中国の呉の服のことです。こういう思い込みというか、意識の枠が歴史を見えなくしているような感じがしています。

 意識の枠といえば、いくつか代表的なものがあります。ひとつは昔は海の道が中心でした。現在のように陸の道が整備されておらず、クルマのような発明がなかった時代において、多量の物資を運べるのが船だったからです。ですから、古代の町とか村は主に海路によってつながっていて、都は海路の便がいい場所でした。

 奈良の都は盆地の中にあるから違うと思われそうですが、古代において奈良は湖というか、湿地だったのです。現在残っている山の辺の道は同じ標高の場所にあります。たぶん、湖の岸沿いに道が出来ていたのでしょう。

 また、陸路も非常に限られたものでした。時代劇に出てくる関所、あれを不思議に思ったことはありませんか。山の中を通ればいくらでも抜けれそうです。しかし、当時街道を通らず他のところに行くことは山で遭難して死ぬ危険をはらんでいました。山の民と呼ばれた人たちを除いて、知らない山道を行くことは想定外だったのだと思います。

 このように、地形的な思い込みとは別のギャップがあります。それは宗教に関しての向き合い方の違いです。現代において宗教はあくまでも補助的なものでしたが、当時は宗教は、祀り事、すなわち政治そのものだったのです。

 たとえば、部族と部族とが争った時とか、政権内での抗争があった時は、部族の宗教同士の戦争でもありました。そして勝った方が負けた方の部族の宗教を呪術的な形で封印しようとしました。いわゆる祟られないためです。

 現在残っている多くの神社や寺院は宗教的な封印システムではないかと私は考えています。最近はそういう説を唱えるかたも増えているので、詳しくはそういう方々に譲りますが、宗教の争いという視点からみると意外と見えてくるものがあります。

 この話には、継体天皇の時に政権交代があり、その宗教的背景を考えると色々と読み解けることがあるということを書かせていただいていますが、天武天皇が北極星信仰をしていて星まつりを始めて、桓武天皇の時にそれが無くなり、ずっと後になって徳川家康が北極星が鳥居から見える日光東照宮に祀られる、といった感じで、歴史を歴史の年表からではなく、北極星信仰をする人たちがどこで表舞台にいたかを見るという視点で見てみるのも面白いかも知れません。

 あと、もうひとつは現在からみたら同じ過去ですが、西暦500年と西暦600年では、100年の差があります。今で考えると100年前というのは、明治になります。今でこそ、まだ記録が残っていますが、当時のことを考えると、100年前のことなどほとんど忘れ去られていた可能性が高いと思われます。例えば、大河ドラマで歴史をみていると、何十年という歴史をたった1年で見てしまえます。しかし、本来は何十年もかかっているのです。

 当時の人々も同じで、例えば江戸時代の人にとっては、平安時代も鎌倉時代も、忘れ去られた歴史の世界であって、その人たちが考えていた昔の話は、今と同じか、それよりも情報が少なかった分だけ、はるかに精度が低いものだったに違いありません。古い記録だからといって、西暦700年に書かれたものが、西暦500年のことの参考になるかどうか、実は微妙だったりします。200年前といえば、今なら江戸時代の話ですから。このように、歴史というものを過去としてひとくくりにするのは危険だと思います。

 この話は、そういう少し違った見方にフォーカスした話です。多くの学者の方や民間の研究家の方々のように、真実を探求するという方向性ではなく、様々な視点からみるためのヒントみたいな話ですので、そういう感じで楽しんでいただけたら幸いです。

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