自分の性別について【壱】

※とてもナイーブな内容になると思います。
 お気に障る事もあるかもしれませんので、ご注意を。
 それでも見てくださった方、深謝いたします。

今回は、自分の性別について、まとめようと思います。
そう思ったのは、いつも自分の中にある想い、
【本当の自分を少しでいいからさらけ出してしまいたい】
それをここに少し置こうと思います。

それでは…


実は「自分」、一人称が定まりません。
「僕」であったり、「私」であったり、「俺」であったり、
「自分の名前」であったり…etc、etc、etc

その理由は、自分で自分の性別を女とも、男とも定めていないから。

色々調べてみると…一番自分に近い性別の形は、
クエスチョニング」かな、と思っています。

男とも、女とも定めない
そんな「自分」です。

今でさえ、多くの価値観が受け入れやすくなっているとは
感じていますが(前よりは、という意味で)、
それでも、そう簡単に大きく物事を見た時の見られ方や見方は
あまり変わらないものです。

その中でも、はじめは【自分らしく】いる事が出来ていました。
周りに恵まれていたからだと今になってよく思います。
本当に感謝です。

けれど、一歩社会に出てみると、
「自分」の価値観、とでもいうのでしょうか?
「自分」の考え方は、受け入れがたいものである、という事を知りました。

各々にとっての「当たり前」という道を提示され、
そこから寄り道をしたり、立ち止まったり、道を外れると、
途端に奈落に突き落とされてしまう。

その度に、私は1つ、また1つと自分を苦しめるとわかりながら
ピエロのような笑顔の仮面をつけた。

そうしていったら、私は「自分」がわからなくなってしまった今。
だから、このnoteを初めてみた…気もします。

「自分を取り戻すため」
「自分を見つめるため」
「自分らしさをもう一度手にするため」

今の「自分」を言うならば、そのなれの果て…でしょうか。

さて、次は、どうしてこうなったのか…
自分で思い当たる出来事を1つ、書き起こしてみようと思っています。

それは次の時に。



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