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花束にもならなかった恋/『花束みたいな恋をした』雑感

やっと、『花束みたいな恋をした』を観た。
観終わって、「悪口をツイートしてやる!」と妹に言ったところ「やめなやめな、イタイヤツだよ」と言われた。だからnoteに書くことにする。

こんな記事を読む前に、というかもし読む人がいたとして、そのなかにこの映画をまだ観てないという人がいたらぜひ観てみて欲しい。で、いろんな気持ちを抱いてからこの記事を読んだ方が、僕に向かって正々堂々と反論ないしは同情することが出来るかもしれない。

今から言うのは、悪口だ。
麦くん(菅田将暉)が言うところの「UNOで残り一枚になった時に『今UNOって言ってないから2枚ね〜!』って言ってくる」に匹敵するくらい嫌な行為だし、僕はなんなら、その「UNOって言ってないから2枚ね〜!」で子ども(しかも小児病棟に入院してる10歳も下の子だ)を泣かせたことがある。僕は札付きの嫌なヤツだ。
そんなヤツが、今から社会現象になった恋愛映画の悪口を言う。まぁだから、イタくなるんだと思う、この記事は。

まずもって言っておくと、僕は坂元裕二作品が好きだ。脚本家のなかでは1番だと思ってる。彼と野木亜紀子と金子茂樹と水橋文美江がいるうちは日本のテレビドラマもまだまだやれると思っている。とにかく好きだ。とは言いつつ、『Mother』は観てない。『最高の離婚』と『カルテット』と『大豆田とわ子と3人の元夫』が好きなだけだ。だから、ファンです!と胸を張って言えるほどではない。だから批評も出来ないし、もしかしたら感想にもならないかもしれない。それでもnoteを書こうと思うのは「坂元作品はもっとこうなんか、違うだろ!」と言いたいだけなのかもしれない。というか、だからこそ言いたい。

『花束みたいな恋をした』は恋愛プロパガンダ映画だ、と。

まず本当に苦痛だったのが、モノローグだ。
菅田将暉演じる麦のモノローグが本当に嫌だった。菅田くんはモノローグとなると(コントが始まるでもそうだったけど)あぁいう読み方をする。「生っぽい」と言われれば頷けないのでもないが、「生っぽい」が過ぎて逆に不自然な感じがする。あぁいうのはリアルな演技とは言わない気がする。というか、あの映画にモノローグはいらない気がする。言葉にして伝えるのではなく、映像で描写するべきだったのではないかと思う。もちろん、大豆田の時はこれを踏まえてか踏まえずか、伊藤沙莉をナレーションとして起用することで超面白くなっていたから、ある意味で実験としては成功していたのかもしれないけれど。

あと、2人の行動がいちいちリンクするのが本当に気持ち悪かった。最後のエスカレーター降りたあとのシーンとか特にそうだ。なんだあれ、マジで。

「坂元裕二は別れを描く脚本家だ」と、サブカルチャー紹介系YouTuberおませちゃんブラザーズのわるい本田さん(あとから調べたら矢崎さんだった。ちゃんと確認せい)が言っていた。僕はそれを聞いて、「仏陀が宇宙の真理を悟った時ってこんな気持ちだったんだろうな」と思った。おませちゃんブラザーズ大好き。

そう、坂元裕二は「別れ」を描く脚本家なのだ。だから最高の離婚も大豆田も面白かった。「別れ」をユーモラスかつリアリティを持って描くのが坂元裕二の、あくまで僕の好きなところだ。だから、2人が別れ話をするシーンは心揺さぶるものがあったし、有村架純演じる絹ちゃんが光熱費どうこうとか、猫どうするかみたいな話を切り出した時や、引っ越しの準備の際に猫のバロンをめぐってじゃんけんをした時(コントが始まるにもそんなシーンがあったな)、「そうだよ、これだよこれ!」という、なんというか闇堕ちしたはずの仲間が主人公のピンチに助けに来てくれた時みたいな感動があった。

もし、街頭インタビューで「あなたサブカル好きですか?」と訊かれたら僕はきっと困ってしまう。聴く音楽はThee Michelle Gun ElephantとROSSOとthe birthdayがほとんどで、たまにブランキージェットシティーとか、流行ってる音楽を聴くくらいだし、小説も買うのは好きだけど、読み切ったものは数える程度しかない。読みたい漫画はたくさんあるけど、買った漫画はほとんどない。押井守は好きだけど、劇パトの1と2しか知らない。今村夏子の小説だって、芥川を獲った『むらさきのスカートの女』しか知らないし、そんなに面白いとは思えなかった。
だから、押井守が映画に出てきた時は興奮したけど、その他に星の数ほど出てくるサブカルワードたちについては「名前は知ってるけど聴いたこと・観たこと・読んだことない」のがほとんどだった。こういう時、「あ、俺知ってるそれ!」としゃしゃり出て、痛い思いをしたことも何度かある。僕はサブカル男子じゃない。というか、名乗れない。でも、「一般人」として括られることを良しとするわけでもない。非常に宙ぶらりんだ。でもきっと、僕の前に絹ちゃんみたいな女の子が現れれば、僕は必ずその子のことを好きになるし、きっとあの映画のなかの2人みたいに楽しく過ごして、別れたりするんじゃないかなとも思う。だからもし僕がこれから精神的に大人になって、この映画を観て、そしてこの記事を読み直したら「ガキだなぁ」と思うのかもしれない。

だんだん話がまとまらなくなってきた。

映画を観ていて、というか絹ちゃんを見ていて思い出したことがある。

札付きに嫌なヤツの僕だが、一年ちょっと彼女がいたことがある。そして今からその話をする。
「個人の経験を全体を主語にして語ってはいけません」批評に関する授業を受けたときに、先生がそんなことを言っていた。批評に個人の経験を持ち出して語ろうとしている今の僕を見たら、その先生は呆れ顔でため息をつくのだろうけれど。知ったことか。僕は今、この話をしなければならないような気がしてならない。

彼女と交際することになって2回目のデート。
1度目のデートで『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』を観た。バルボッサが死んだその後、僕は彼女とキスをした。
でもって、2度目のデートで観たのが有村架純主演の『ナラタージュ』だった。内容を知らなかったから、「これ付き合って2回目で観る映画じゃねぇな」と思った時には坂口健太郎と有村架純がとんでもない艶シーンを演じていた。

映画が終わって彼女に、さてなんて声をかけようかと考えあぐねていたら彼女が「架純ちゃんは凄い」と言った。僕が聞き返すと、「ベッドシーンでさ、吐息とか表情とかすごいリアルだったんだよ」と彼女は興奮気味に語った。僕は今も童貞だから、もちろんその時も童貞だったので、そんなもんなのかなぁと思ってテキトーに返事をすると「海斗くんには分からないかもしれないけどね」と冗談っぽく笑った。僕はその時改めて、彼女と付き合って良かったと思った。

僕も彼女も当時は高校三年生で受験を控えていた。僕は芸術系の大学に進路を定めて、演劇を学ぼうとしていた。まだ2人が付き合う前、僕が初めて書いた脚本ようなモノを読んだとき彼女は「面白いよ」と言った。嘘のない言葉だと分かった。それがきっかけで僕らは付き合ったし、彼女のその言葉が聞きたくて、書いて書いて書きまくった。彼女が僕の居場所だったし、僕も彼女の居場所になりたいと思っていた。
彼女は法律系の大学に進もうとしていた。
「本当は絵をやりたいんだけどね」彼女は言った。「やればいいのに、才能あるし」僕がそう言うと、彼女は俯いてどこか遠くを眺める。
数ヶ月して、2人は進路希望書のとおりの進路に進んだ。僕は大学で演劇を、彼女は大学で法律を学び始めた。そして僕は彼女以外にも、自分のことを認めてくれる居場所を見つけた。
僕と彼女はすれ違いはじめた。
彼女が僕の学部の学部祭に遊びにきたことがあった。
帰り道、2人でバスに乗っていると彼女はぽつりと「海斗くんたちはかっこいいよ、やりたいことをやってて」と呟いた。僕はまた聞き返した。彼女は答えなかった。また遠くを見ていた。車窓の奥に広がる夕景を彼女は見ていた。表情は分からなかったが、泣いているのは分かった。
僕は、何も出来なかった。

それからしばらくして、僕たちは別れた。

些細な言葉の行き違いからの喧嘩が多くなった。
そんな喧嘩をするたびに、いつか彼女が僕に言った「傷は消えないんだよ」という言葉を思い返した。
そしてその日、LINEでの喧嘩のあと僕は彼女に「傷は消えないんだよ」と言った。それから2週間くらいして彼女から「もうあなたのことが分からなくなってしまいました」とLINEが来た。8月25日の10時だった。僕は彼女の誕生日を祝わなかった。「でも、今書いている作品は読みたいな」
僕はすでに書き上がっている舞台の脚本のPDFデータを彼女に送付した。
そして、僕たちはLINE上で終わった。
別れの挨拶を直接に交わすことはなかった。

そしてここで、『花束みたいな恋をした』の話に戻る。

もし、別れ話を直接に交わせていたら僕たちはどうなっていただろう。結末は変わっていなかったかもしれない。でも、もしかしたらこの恋も花束になったかもしれない。
「楽しかったね」と言いあえたのかもしれない。
僕は「別れ」から逃げた。自分だけが傷つかない方法を選んだ。

僕たちは花束になれなかった。

ファミレスでの別れ話のシーン。いつものジョナサンでいつもとは違う席に座る2人。そして、いつもの席には出会った頃の2人によく似た男女。
その2人を見た絹と麦は涙を流す。
その涙は、自分たちが、そして自分たちが過ごした時間が「特別」でないことを分かってしまったことの涙だったのかもしれない。だからこそ、ファミレスを出て身を寄せあう2人はどこか寄るべがなく、孤独を慰めあっているように見える。

この雑感、もとい悪口は、嫉妬から来ているのかもしれない。麦くんみたいに絹ちゃんみたいになれなかったことへの。この映画を観た誰もが、こんな恋ができたらなと思うのだろう。

この映画を恋愛プロパガンダだと僕は言った。
実在する名詞を並べたて、恋愛のメリットもデメリットも極端に美しく描く。別れまでも。
そして、それを坂元裕二が描いたということに僕は失望してしまったのかもしれない。
でもこうやって、過去の恋愛に思いを馳せることが出来たんだから、なんというか、映画の目的としては達成されているんだと思う。やっぱり坂元裕二は凄い。

麦と絹のベッドシーンを観て、「有村架純やっぱこういう艶っぽい演技上手いな」と思った。
もし、この映画を彼女が観たら、僕と同じことを言うだろうか。言わないだろうか。
言ってくれたら良いな、と思う。

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