短編小説「藪の中」
『それじゃあ、シャイロックさん』
「シャムロックです」
『あ、すみません。シャーロックさん』
「シャムロックです」
『はい。じゃあ……シャーロットさん』
アカウント名をアルファベット表記で『shamrock』にしたのがいけなかったのか私の発音が悪いのか相手のスピーカーが悪いのか、と考えながらも面倒なので訂正するのは止めにした。このままではいつまでたってもオンライン面談が始まらない。
『では、徳島への移住支援制度に関する説明を始めさせていただきます』
んっ、と軽い咳払いをした後、担当者の神野さんは急に早口で喋り出した。関西弁に似た抑揚があり、多分これが阿波弁なのだろう。
『まず、移住に関しては移住者ひとりにつき百万円の支度金が給付されます。その上で、住宅支援制度、就職支援制度、起業支援制度、子育て支援制度、またそれらの補助金給付制度を受けられます』
まるでマニュアルを読み上げるように流暢に神野さんは説明してくれた。
ミーティングアプリのメインスペースには、徳島の風景の動画が次々と表示される。
鳴門の渦潮、四国三郎吉野川、日本三大奇橋祖谷のかずら橋。さらに、阿波踊りで踊り狂う人々、川を遡上する鮎、海岸の砂浜で産卵するアカウミガメ、サーフィンをする人々、なぜか丸太に乗って川下りをする人、剣山を登る人、白い装束を纏ったお遍路など、徳島の景色が美しく切り取られている。
おかげで、神野さんの説明は重要なはずなのに半分も頭に入ってこない。
なぜいまこの映像を流すのか。タイミングがおかしい。
パソコンの画面の一番右下に、小さく神野さんの姿が映っている。
私の表示スペースは左下だが、アカウント名だけで姿はない。今回のオンライン面談は姿をカメラで写さなくても良いと言われたので、カメラはオフにしている。こういう動画アプリの画面に自分の姿が映っていると、鏡を見ながら喋っているような気がしてどうも落ち着かない。相手はこちらの姿など気にしていないはずだとわかっていても、どう見られているか意識してしまう。
三分ほどの映像が流れ終わった後で、画面の一番大きいスペースに『徳島移住支援制度説明会』という大きな文字が表示された。プレゼン資料の表紙のような画面だが、多分これは神野さんが喋り始めると同時に出さなければならない画面だったのではないだろうか、と思いながら画面右下で喋り続ける神野さんに視線を向けた。
神野さんは地方移住マッチング機構の徳島担当者だ。
性別は不明。
なぜなら、神楽の蔵面のように長方形の紙に墨で目や鼻、口などを書いたもので顔を覆っている。画面には頭から腰あたりまで写っているが、白い半袖のTシャツを着ており、胸には黒々と筆文字で『徳島』と書いてある。マイクを通して喋っているからか、パソコンのスピーカー越しに聞いているからか、声は中性的だ。
なぜ神野さんが覆面状態なのかがとても気になるが、尋ねてみて良いものかどうかがわからない。これまではメールとチャットのみでやりとりしてきた。ウェブカメラ越しとはいえ実際に会話をするのは今回が初めてだが、まさか担当者の顔がこんな風に隠されているとは予想外だった。
他の都道府県の担当者も同じような蔵面姿なのかを確認してみたくなる。
『シャーベットさんは、ご家族と一緒に移住されるのでしょうか』
「ひとりの予定です」
神野さんは英単語が苦手なようだ、と私は自分に言い聞かせた。
メールとチャットでは、私のアカウント名をコピペすれば済んだが、実際にアカウント名を読み上げるとなると難しいのだろう。それともこちらの声が聞き取りづらいのだろうか。そうだとすれば、申し訳ないことだ。
『外国の方が地方移住制度を利用しておひとりで徳島に移住されるというのは、過去に事例がないわけではないのですが、件数は数えるほどしかないんですよ』
神野さんは私のアカウント名が英語なので外国出身者と判断したようだが、私はルーツが欧州にあるだけで生まれも育ちも日本だ。
『徳島はなんもないところです』
砕けた口調で神野さんが言う。
いや、いまの発現が神野さんだったかどうかが、まずわからない。口元が蔵面に隠れて見えないため、喋っているのが画面の右下に表示されている蔵面の人物なのかどうか、そもそもこの蔵面の人物が神野さんかどうかも私にはよくわからないのだ。
蔵面の紙は時折ゆらゆらと揺れており、喋りながら手は動いている。描かれたものであっても目や鼻、口があると、なぜか蔵面に血が通っているような気がしてくるのだから不思議だ。
「なにもないということはないでしょう? 砂漠だって、砂がありますよ。徳島は山と川と海があるじゃないですか」
私が指摘すると、神野さんは戸惑った様子で『えーっと』とつぶやいた。
『正しくは、日本全国どこにでもあるものしかない、です。ここにしかない一点もの、珍しいもの、っていうのは期待されても出せません。わざわざ徳島を選んでくださった方だからこそ、実際に移住してからこんなはずじゃなかったってミスマッチを実感することがないようにお伝えしておきますけれど、さきほど見ていただいた徳島の映像って、徳島の景色をプロのカメラマンが高性能のカメラで絶妙なアングルから撮った奇跡の一枚の数々を集めてつなげたものです。実際に自分の目では、映像美と同じ光景ってなかなか見られません』
「もちろん、それはわかっています」
『移住用の住宅は基本中古の空き家です。あるていど修繕した家もありますが、古いままになっているところもあります。補助金で家を改築する方もいますが、こちらでご用意する家がある場所ってちょっと辺鄙な場所が多いんですよ』
「コンビニはありますか?」
さすがにコンビニが近くにないと生活が不便なので、確認しておくことにした。
『ありますよ。ただ、山間部ですと車でしばらく走る必要があります。過疎地だとスーパーの移動販売車が回ってきたりします』
「山間部で仕事ってありますか?」
『あることはありますが、収入はそう多くは見込めません。あと、エシャレットさんが徳島のどこかで起業して、これまでほとんど見向きもされなかった場所で珍しいことを始めて人を集めるってことはできなくはないです。ただ、徳島の人ってあまり大きな変化は歓迎しない傾向が強いんです。特に高齢者が多い地域は難しいですよ』
「そういうものですか」
『はい。古いものは結構長く大事にするんですけどね』
「すこし辺鄙な場所にパワースポットを作るっていうのはどうでしょうか?」
私は以前から考えていた企画を提案してみた。それは、移住したらやってみたいことのひとつだ。
『パワースポットですか。うーん。そういう場所って結構徳島のあちらこちらにあるんで、ひとつくらい増えても集客が見込めるかどうかはちょっと……』
神野さんは歯切れ悪く言った。
『県内各地にお大師さんが見つけた湧き水とか井戸とかがごろごろありますし』
そういえば、四国は弘法大師の縄張りだった。
神野さんは『おだいしさん』ではなく『おだいっさん』と発音しているように聞こえた。
ごろごろ、だとありがたみはほとんど感じられないが、それだけ弘法大師の足跡は今でも身近な存在ということだろう。
『神社仏閣もたくさんありますし、妖怪スポットもありますし、いまから新規参入っていうのはなかなか難しいと思いますよ』
「難しいですか」
『ヒーリングスポットであればまだまだ需要があると思うんですけどね。人間はいつの時代も常に癒やしを求めていますからね』
「ヒーリングスポット、ですか」
人を癒やす能力は皆無ではないが、たいして持っていない。
『癒やしを求めて山奥までやってくる人は結構いますよ。デジタルデトックスとか言われているそうですけどね。あ、でも、基本的に携帯電話はどこでも通じます』
神野さんは手元にある紙の資料をガサガサとめくりながら説明してくれた。
『それで、ご希望の地域はありますか? 海沿いあたりでも空き家はいくらかあるんですが、去年の台風でかなり傷んで修復できていないところもあるので、もしそういった物件であれば引っ越されるまでに急いで修理しておきますよ。前の家主が、参拝者がこなくて賽銭が集まらないって、収入減少を苦にして出て行ったところがいくつかあるんですけどね。社を空き家にして放置しておくと、狸や鼬が勝手にねぐらにしてしまってそのうち社の主になってしまうことがあるんです。狸って雑食なんでお供えはどんなものでも喜ぶそうです。あと、お賽銭を集めて人間に化けてコンビニで買い物をしたりするんです』
いいなぁ、と思わず私はつぶやいた。
「私としては、田んぼや畑があって、近くに休耕地なんかがあると嬉しいです。そこで地道に活動してみます」
『なるほど。田んぼと畑ですね』
十センチ以上の厚さがありそうなファイルを取り出し、神野さんは物凄い勢いで書類をめくり始めた。書類には付箋やインデックスシールが貼ってあり、中には紙を折りたたんだものや、紙が黄ばむほど古そうなものが混ざっている。
『いくつか候補地をピックアップしておきます。移住先の社は、おひとり様用の一戸建てワンルームでよろしいですか?』
「はい。基本、野外で活動することになるでしょうから、社は小さいもので構いません」
いまのところ徳島に移住して具体的にどのような活動をしようかは決めていない。
『では最後に、エシャロットさんの移住目的を教えてくれますか』
「それはやっぱり、八百万の一柱になることです」
私は即答した。
徳島に移住することを決めたのは、移住先で住宅支援として空いている社が借りられることだ。十年住めば、社は自動的に自分の物になるそうだ。社の主になるということは外国にルーツを持つ自分も日本の神々の末席に名を連ねられることになる。
先祖が最初に日本に渡ってからどのくらいの年月が経ったのかわからないが、とにかく私たちはこの国に定住している。
白詰草という存在は『雑草』ではなく、三つ葉または四つ葉として人間に認知されている。三つ葉より四つ葉の方が数が少ないため人間には喜ばれる。花そのものもかつては木箱の中の緩衝材として使われていたらしいが、いまはもっぱら花輪の材料として利用されている。また、牧草としてだけではなく、人間が食べることもできる。
これだけ認知度があるのに、まだこの国で私たちは神としてあがめられていない。
米や麦、大豆、小豆などは神話にも登場するほどの存在になっているのに、私たちはまだ至高の領域に達していない。
私は別に承認欲求の塊ではない。
しかし、自分の周りを見回すと八百万の神の一柱として社に祀られているものがたくさんいるのに、自分たち白詰草の存在が軽視されていることに近頃急に不満を持つようになった。路傍の石でさえ社を持っているのに。
最近になって、このまま人間から神として認定されるのを待っていては埒が明かないことにようやく私は気づいた。欲しいものは自分で取りに行かなければ手に入らないのだ。神になるためには、自分からまず神を名乗る必要がある。
そのための第一歩が、徳島にある空いている社への移住だ。その後、社の周辺を白詰草でいっぱいにして、白詰草の群生地としてたくさんの人間を呼ぶのだ。
社と賽銭箱があれば、訪れた人々は賽銭を入れてくれるだろうし、四つ葉を見つけたらさらに賽銭の額を増やしてくれるかもしれない。四つ葉がたくさん生えている場所としてSNSで話題になれば、さらに――。
収入が増えれば、周辺の土地を買って群生地を増やせる。すると四つ葉がまたたくさん生えて、集客率が上がるという循環ができる。
珍しくもなんともない白詰草の群生地でも集客が見込めるということを地元の人間が認めれば、観光客目当ての商売を始める者が出てくる。商人たちは自分たちの商売がうまく行くように神頼みをするから、白詰草の群生地が毎年よく育つようにと私を拝むようになり、賽銭もよりたくさん入れてくれるだろう。
私を拝む人が増えていけば、徳島の小さな社に祀られた白詰草が、やがては分社して日本各地に社を持つ神の一大勢力となる日も夢ではない。
『ところで、シャムロックさんって日本の神になって問題ないんですか? 確か、キリスト教の聖人に関連したアイテムで三つ葉って使われていますよね。三位一体、でしたっけ。あと、アイルランドの国花になっていますね』
神野さんが資料らしき書類をめくりながら心配そうに尋ねてきた。
「それは問題ないです。日本在住の私はあちらからしたら傍流とも呼べない存在でしょうし、なんだったら、三つ葉じゃなくて四つ葉とか、白詰草の方で登録しますよ」
姿形など、三つ葉でも四つ葉でも構わない。
『のの様地方移住支援機構でご用意できるご希望に近い社となると山間部にあるのですが、最近手入れができていないので周辺が藪になっています。移住後、ご自身で手入れしていただくことになるのですが……』
「もちろん自分でやります。由緒ある社に住めるのであれば、山の中だろうが藪の中だろうが!」
半月後、私は安請け合いしたことを激しく後悔することになるのだが、まぁそれも八百万の神になるための最初の試練だ。
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