感想「火取虫」小川真我(第5回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞)
第5回徳島新聞 阿波しらさぎ文学賞で大賞となった小川真我さんの作品「火取虫」が公開されたので読みました。
https://www.topics.or.jp/articles/-/757989
阿波しらさぎ文学賞はなんらかの徳島要素が含まれていなければならないのですが、この作品は徳島市のランドマークである眉山の麓から物語が始まります。
最初は主人公が恋人の故郷を一緒に散策して、恋人の思い出の場所を巡る話のようなのですが、恋人である夏女が思い出を語り始めた途端に様相が変わってきます。
ここで、視界が主人公から夏女のものに切り替わっているような、主人公が夏女の視覚を共有しているような状態になります。
このように、夏女が話している内容に主人公の意識が引きずり込まれるように視界に光景が現れたり、謎の音が突然聞こえ出す現象が次々と描写されます。
さらには、夏女が通っていた学校に侵入したところ、学生時代の夏女らしき女生徒の姿が校内に現れたり、夏女の生家へ行ったのになぜか主人公はアパートの前でひとり待つ羽目になったりします。
そこから主人公と夏女の会話はなくなるのですが、主人公は夏女を追いかけるようにして寂れたモーテルに入ります。
いまどきビデオデッキがあるテレビが部屋にあるモーテルというだけで、どれだけ古いんだかと思ってしまいますが、テレビはブラウン管で、ビデオデッキはDVDやブルーレイは見られないようなデッキなんじゃないかとか、デッキの奥に虫が棲んでいるくらいって……と考えてしまいます。
ちょっと鈴木光司さんの「リング」を思い出します。
黒いビデオカセットの厚みと焦げ茶色のテープは、DVDやブルーレイにはない、テープの長い帯状の部分に物理的に映像が存在している感覚がありますし、怨念にしろ、思い出にしろ、映像だけではないなにかが染みついているように思えてなりません。
次々と場面は展開し、主人公は夏女を追いかけるような形で夏女の領域に足を踏み入れてしまい、そのまま主人公は夏女の領域に飲み込まれてしまうような印象です。
最初は主人公が語っているのか、夏女の視点に切り替わったのか、読んでいて戸惑う部分もあったのですが、読み進めているうちにこの幻視譚のような物語は、夏女の領域に捕らわれた主人公がそのことになにか恐れを抱いたり、逃げようとしたりするわけではなく、めまぐるしく変わる状況をどこか飄々と受け流しながらあらがうことなく夏女を追いかけているように感じました。
異世界に迷い込んだというよりは、夏女というひとりの人間の意識が作り上げた彼女だけの世界に引きずり込まれているようで、最初は怪奇現象でも起きるのかと思ったのですが、夏女の世界に主人公が自ら望んで連れ回されているような物語でした。
そもそも、この夏女という女性が掴み所がないというか、最初は主人公と一緒に歩いていたはずなのに途中から主人公の存在を忘れてしまったような行動をし出すところにも、読んでいて戸惑いを覚えますが、彼女の世界に主人公が引きずり込まれただけであれば、主人公の存在は夏女の中では溶けて消えたも同然のように思えてきました。
読んでいるといきなり場面が変わって、まったく違う場所に主人公が立っていたりするのですが、描写から光景がそのまま目に浮かぶので、夏女の母校の光景や、主人公が夏女のアパートの前で彼女が出てくるのを待つ間の疲れた感じを体感しているような気になります。
また、この物語の中では主人公と夏女以外にも人の気配はしているのに、なぜかその人たちは顔が見えない影のようなおぼろげな存在のように思えました。あんみつ屋の店員、走る車のドライバーなど、人はいるはずなのに景色に溶け込んでしまって、世界には主人公と夏女しか存在していないような、でもそれに違和感がない世界観が見事でした。
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