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木曽の森林遺産

暑い日々が続いているので、避暑を目的に山の中へ出かけてみた。
長野県の木曽地方は昔から木材の生産地として知られており、伊勢神宮の遷宮の際には新しい本殿の材木が今も供出される。
そんな自然豊かな木曽の山中から木材を運び出すのに大昔はいかだを組んで川を流していたのだが、その後は森林鉄道がその役割を担う。そして山の中にまで道路を作るようになると、鉄道からトラックへ材木の輸送はシフトしていく。そして安い輸入材に押されて、材木の供給そのものが衰えてしまう。
そんな日本の林業の歴史を示す景観、施設、跡地等、土地に結びついたものを中心に、体系的な技術、特徴的な道具類、古文書等の資料群が、林業遺産として認定されている。木曽地方に関するものとしては以下の4点が認定されている。2022年時点で認定されているものが計50点なので、林業に関する木曽地方の貢献の大きさがわかろうものである。

  • 「旧木曾山林学校にかかわる林業教育資料」ならびに演習林

  • 木曾森林鉄道(遺産群)

  • 木曽式伐木運材図会

  • 旧帝室林野局木曽支局庁舎および収蔵資料群

このうち「旧木曾山林学校にかかわる林業教育資料」の一部は現在旧帝室林野局木曽支局庁舎に展示されている。また、木曽式伐木運材図会の写しも旧帝室林野局木曽支局庁舎で閲覧が可能。つまり、旧帝室林野局木曽支局庁舎と木曾森林鉄道に行けば、木曽地方の林業遺産は大方見ることができる。ということで、まずは旧帝室林野局木曽支局庁舎に行ってみよう。

旧帝室林野局木曽支局庁舎(御料館)

木曽町の中心部から少し離れたところにあるこの建物、山の中になぜこんなモダンな建物が、と失礼な言い回しが出てくるくらいにモダンである。この建物が建てられたのは昭和2年(1927年)のことであり、実はそれよりも前の明治時代に先代の建物があった。しかしながら、昭和2年に起こった木曽福島の大火で町中の建物が焼け、この庁舎も焼け落ちてしまった。街の復興に保有する材木を供給することを優先してしまったため、この庁舎は木曽の木材ではなく外材で再建されることになるのだが、その際に当時の流行りであったアール・デコ装飾がふんだんに使われることとなる。

御料館の入り口に掲げられた財産票。現在は木曽町の所有なので無効


階段の踊り場にもアール・デコ装飾


会議室の入り口にもアール・デコ装飾


トイレの洗面所にもアール・デコ装飾

なお、入館料は無料であり、展示品も素晴らしいけど、それは出向いてのお楽しみということで割愛しておく。
ちなみに、「木曽福島」という町は現在存在しない。この建物のある自治体は当初西筑摩郡福島町であったが、昭和42年に隣の新開村と合併した際に西筑摩郡木曽福島町となり、平成の大合併で周辺自治体と合併した際に木曽郡木曽町となってしまった。元の自治体名が綺麗に消えてしまうのは市町村合併の弊害のひとつに挙げられるが、こんなふうに地名は消えてしまうんだなというわかりやすい例のひとつかもしれない。

次に木曾森林鉄道へ。
切り出した材木の運搬が水運から鉄道に切り替わると、川沿いに網の目のように鉄道網が整備される。木曽の山中に何十kmもの路線が張り巡らされたのであるが、そののち道路が整備されると森林鉄道は次々と廃止される。赤沢自然休養林に動態保存されている森林鉄道は、かつて木曽山中に張り巡らされた森林鉄道網のごく一部である。

観光用に動態保存されている木曾森林鉄道

写真に「ここからの乗車はできません」とあるのは、この駅が森林鉄道の山奥側であり、ここから出発点へ折り返し運転をしているが、復路だけの乗車はできませんということである。さりとて乗車券は往復のみ販売するため、往きを鉄道、帰りを散策としたい多くの観光客は帰りの乗車をしないため復路は極めて閑散としている。

赤沢自然休養林は標高が1080m~1550mほどであり、下界の暑さがうそのようである。しかも木陰に覆われており、川が流れ、森林浴の効果も手伝って、夏場は快適そのものである。


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