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以上、LoveCherishの志田千鶴でした🌺


お久しぶりです。
LoveCherishの赤色担当だった、志田千鶴です!

3月24日をもって、約2年間所属していたLoveCherishを卒業し、同時にベルエージェンシーも退所いたしました。


卒業ライブから1週間が経ちましたが、皆さんはお元気ですか?

(元気じゃないよー!😭という皆さんの肉声が自宅まで聞こえています。)



私は、心にぽっかり穴が空いてしまったような喪失感がいつまで経っても消えなくて、皆さんのことを思い出しては泣き、写真や動画を見返しては泣き、そして今この文章を書きながらも泣いています。

たくさん泣いて、何度も胸が苦しくなって、それでも前に進もうともがき続けた1週間でした。


皆さんと日々のライブで会えていたこと、他愛もない話で笑い合えていたこと、SNSを通じて四六時中コミュニケーションを取れていたこと…。
当たり前だった日常がどれだけ愛しくて尊いものだったかを苦しいほど痛感しています。


楽しかったなぁ。

幸せだったなぁ。

永遠だったらなぁ。


アイドルとしての思い出に浸りすぎないように、一人の女の子としての日常を送ろうと試みているけれど、この2年で染みついた習慣はやっぱりそう簡単に消えなくて。


朝起きたら勝手に手が動いておはようツイートをしようとするし。
暇な時にすぐXを開いてつるんちゅの監視をする癖は治らないし。
面白いことがあったら、真っ先にみんなに話したいって思っちゃうし。


他にも、毎日持ち歩いてた赤い髪飾りも赤いペンも要らないんだなって思った時とか、Xの通知欄がどれだけ経っても更新されないことに焦燥感を抱く時とか、土日に過ぎる時間がやけにゆっくり感じた時とか、ねぇ他の現場行ってたでしょー!?なんて茶化す機会も権利も無いことにもどかしさを感じた時とか、
自分がアイドルだったこと・もうアイドルではないことを感じる瞬間が日常生活のいたるところに散りばめられていて、それに気付かされるたびに、胸が苦しくなります。




自分で決めたことなのに、まだ後ろ髪を引かれるような未練や後悔が拭えなくて、本当に不甲斐ないです。



今はすごく悲しいけど、この選択が正解だったって思える日がいつか来るんだろうなって思いたい。
というか、この選択を正解にするために、これからの人生を頑張らなきゃいけない。



そう自分に言い聞かせる日々です。





卒業を決めた理由を、最後まで皆さんには曖昧にしていて。
卒業後にnoteで詳しく話すという選択肢もあったんですが、やっぱり難しそうです。
というのも、決して1つの大きな決定打があるわけではなく、いろんな理由が積み重なった上での決断であって、その中には皆さんに伝えられるものも、伝えられないものもあって。
伝えられるものだけ抜粋したり、伝えられないものを上手く言い換えて発信したりすることも考えていたんですが、それは結局少なからず誤解を招くことになると思ったからです。




卒業を決めた理由の代わりと言ってはなんですが、そういえばふと、アイドルになろうと思ったきっかけをまだこのnoteに書いていないなと思い。

最後の記事は、2年前の私がアイドルを始めようと思ったきっかけを記そうと思います。



これも、いろんな理由が積み重なった上での決断だったので、とても長くなってしまうのですが。

端的に説明すると、「このままで良いのかな」という焦燥感と、「もうどうにでもなれ」という自暴自棄からでした。




大学3年生の秋、就活とダンスに励んでいた頃。
どちらにおいても特別秀でた方ではなかった私は、「自分が一番になれるもの」よりも「自分だから表現できるもの」を求め続けていました。


でも、現実はそう甘くなくて。

就活では早めに志望業界を決め、内定をもらったものの、そこでやりたかったことは、あくまで敷かれたレールの上に用意された選択肢の中から消去法で決めたもので、それが本当の「自分のやりたいこと」ではない気がしていて。
ダンスでは、足の怪我で練習に打ち込めない時期が長引いて、周りの同期たちがどんどん上手になっていく状況に耐えられなくて。
同時に人間関係にも疲れていて、誰を信じて良いのか、何を信じて良いのか、段々わからなくなっていって。

どん底ってほどじゃないけど、このままぼんやりと大学を卒業して就職したら、自分が表現したかったものもいつのまにか忘れて、夢も目標もないまま人生終わるんだろうなあ、と思っていました。



中高は芸能活動禁止のガリ勉学校だったから、高校までの18年間はインプットに徹する期間だったし、大学生活はコロナで潰れてしまったし、社会人になったらきっと働き詰めの日々なんだろうなと思ったし。




じゃあ、自分が表現したいものを届ける機会っていつだったんだろうって。

それって、敷かれたレールを歩みながら待つものじゃなくて、自分でそのレールを越えて手にするべきものなんじゃないかって。



自問自答を繰り返す日々でした。




そんな中で、内定先で配属を決める面談をした時に、人事の方にこう問いかけられました。

「これまで積み上げてきたものとか、周りの目とか、一旦抜きにしたら、何をやりたいって思う?」

その人事の方はきっと、私の答えを配属の参考にしようと思っていたはずなんですが、私は全く見当違いな思いを抱きました。


「自分が表現できるものを届けるために、ステージに立つ夢を追いかけてみたいなぁ。」



「許されるならば、アイドルとして。」


決して口には出さなかったけど、その時の私は確かにそう思いました。



小学生の頃からステージの煌びやかさはずっと好きで、憧れで、何度も志したいと思っていて。
でも、小学生の頃は自分でアイドルのオーディションを探す情報収集能力がなかったし、その後通っていた中高一貫校は芸能活動が禁止されていました。
大学に入ってからは、せっかく受験を頑張って入れた大学なんだから、ここでのキャンパスライフを満喫しようと、ダンスに励む毎日でした。


でも、いろんなことが行き詰まった状況で頭に浮かんだ夢は、自分が歩んだレールの外にあった「アイドル」という仕事。


ステージに立つことを仕事にするなんて、いくら好きでも自分には到底できないと思っていたけど、まだ今なら、アイドルという職業に、挑戦することが許されるかもしれない。



そう思って、いつのまにかオーディションを探すことが日課になっていました。


まず、どの事務所が良いのかも分からないし。
当時21歳で、「10代限定」なんて書いてる募集も多くあったから、年齢で諦めることもあったし。
本来なら就職活動にまだ励んでいるべき時期だから、親にも友達にも絶対相談できないし。

いい感じの写真もなかったから、母親に「ゼミの自己紹介で必要だから写真撮って」ってお願いして、家で全身真っ黒の服を着て撮影してもらったものを使ってました。(笑)

そんな手探りの状況で、とりあえず良さそうなところに手当たり次第応募し、大抵は一次審査で落選したんですが、いくつかの事務所が面接の場を設けて下さりました。

書類に応募するのもすごく緊張したけど、実際に足を運ぶのはもう後戻りできない気がして本当に怖くて、正直すごく躊躇いました。

誰にも何も言わないまま、本当にいけないことをしているような後ろめたさと恥ずかしさ。
もし落ちたら、この事実は墓場まで持っていこうと思ってました。

そんな強烈な罪悪感を抱えながら進んだオーディションのうち、複数のグループから合格をいただきました。

事務所の良し悪しなんて、今ならまだある程度の判別がつくけど、当時は未経験だったから本当に何も分からなくて。
いろんな面を考慮した結果、ベルエージェンシーへの所属を決めました。

一番大きかった理由は、パフォーマンスの審査の場をちゃんと設けて下さったから。



アイドルを志す理由、そこで表現したいものは色々あると思うけれど、私にとっての一番のモチベーションは「ステージに立つことをお仕事にしたい」ことからだったので、自分が表現する歌にもダンスにも一番ちゃんと向き合ってくれたベルエージェンシーへの入所を決めました。



ちなみに、歌の審査は、ソラネルカンパニーさんの「僕は弱い虫」が課題曲で、
ダンス審査はフリーだったので、IZ*ONEさんの「幻想童話」の間奏を踊りました。


最後に「ポニーテールをしてみて下さい」とプロデューサーさんに言われ、たまたま手につけていたゴムで髪を結えた私を見て、プロデューサーさんが強く頷いたことを覚えています。


その後合格の連絡をいただき、ベルエージェンシーへの所属を決めたものの、最初は本当に疑心暗鬼で、「いつまでなら辞退できますか?」ってプロデューサーさんに確認したのを覚えています。(本当に失礼^^)


決められた期日を過ぎて、あぁもう後戻りできないな、と思ったあの瞬間から、私のアイドル人生は始まりました。



あの時思い描いていたように、「自分だから表現できるもの」をちゃんと届けられたかな。
みんなの人生を少しでも明るくすることができたかな。
それが志田千鶴だったって、ずっと覚えておいてもらえるかな。



できてたらいいな。






2年前、普通の大学生だった自分にとって、新しい世界に踏み出す決断をすることはとても怖かったけど、
2年間かけて沢山の人と作り上げたこの思い出とさよならをするか否かを、こんなにちっぽけな自分一人で決断しなきゃいけないことは、もっともっと怖かったです。



経験も実力も背丈もちっぽけな対して、自分が愛するもの、自分にとって大切なものが、あまりにも大きくなっていきました。


自分が小さく思えるくらいの大きな愛を届けてくれて、本当にありがとう。

LoveCherishの赤色担当として愛してくれて、ありがとう。

私のアイドル人生を華やかにしてくれて、ありがとう。



君と過ごした時間、君が届けてくれた愛、君が掛けてくれた言葉、全部が私の宝物です。



沢山のアイドルがいる中で志田千鶴を見つけてくれたこと。
生きる上で色んな選択肢がある中で私を応援することを決めてくれたこと。
私のために有限なものを割いて、いろんなものを届けてくれたこと。
何より、志田千鶴に、LoveCherishに、無償の愛を届けてくれたこと。



絶対に忘れません。

私が一番未練たらたらな自信があるくらい、この思い出はずっと強く胸に刻んでおきます。


こんなに幸せなアイドル人生が待ち受けてるなんて思ってなかったよ。

あの頃決断をした私と、出会ってくれたみんなに、ありがとうの気持ちでいっぱいです。


私なんかには贅沢すぎるくらいの、一生分の宝物をありがとう。


みんなのことがずっと大好きだよ!!!


またね🌺


志田千鶴

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