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恐れない人もいる。

 同じ駅を利用して居ることが分かった時の絶望感はわかってくれる人も多いだろう。仕事でこれから数カ月関わる相手ともなれば、帰宅の時間も方向も同じということだ。つまり、別々に帰ろうとするときに「理由」が必要になる。

 ある仕事を終えて帰路に就くと、同業の百目鬼(Aとか甲とか置き換えて読むのが得意ではないので、百目鬼(どめき)と呼ぶことにする)と帰路が一致する。お互いの足音が聞こえる距離である。どう考えても、彼は駅へ向かっている。

 この距離感を維持したまま駅にたどり着けるだろうか。いや、足音が気になる。胃液が不必要に分泌されているのが分かる。振り払おうにも、もともと歩きの速い私がこれ以上早くするとほとんど競歩のようになってしまい、大会と勘違いした市民から応援されかねない。かといって速度を落とせば彼が私に追いつき、ぬるりと交差する時間に耐えられない。何より、すでに30秒くらい歩いているので、急にスピードを変えたら不自然だろう。あいつ、俺に気が付いて速度を変えたな、バレバレだぞ、あからさまに避けやがって気持ち悪いとか思われるかもしれない。気持ち悪いと思われること自体はいいのだが、思わせるのがよくない。初印象がキモいになってしまったら今後の仕事に影響が出るかもしれない。こんなことを考えているうちに1分が経過した。何をするにも手遅れだ。イヤホンを忘れてきてしまったことをこんなに後悔した日はない。いや、ある。あれは、夜行バスで隣のおっさんのいびきがひどかった時だ。あの時は——

 「——ダサン。シダさん!」
 対処法に夢中になっていた結果、話しかけられていることに気が付かなかった。百目鬼は小走りで私に追いついたのだった。
 「すみません。全然気が付かなかったです」
 「シダさん、そういうところありますよね」
 初対面の私の何を知っているんだ。教室内での悪口には最も耳ざといと定評がある。
 「シダさんって、家どっちのほうですか?」
 「北のほうです」
 「はは、俺も北のほうです」
 笑うな。面白くないときに笑うな。自我がぶれているぞ。
 
 それから、二人でひなびた大通りを歩く。いつもより私の歩幅が大きくなる。無意識に振り払おうとしているのだ。すこし会話を重ねるうちに、彼の乗る駅も降りる駅も同じであることが判明する。絶望した。これから毎日一緒に帰るのだろうか。同じ時間に仕事を終え、同じ道を歩き、同じ電車で同じ駅まで帰るのに、離れて歩く理由がない。もし別に帰ろうと試みても、その間は必ず半径30メートル以内にはお互いが存在していて、ふとした瞬間に視界に入ってしまうだろう。駅のホームで電車を待つ時間も、電車を降りて一つの改札に並ぶ時間も、お互いに伏し目がちに歩いていたら交通事故にあう確率も高まる。かといって毎日誰かに家の近くまで同行されるのも苦しい。私は帰宅の時間が好きだ。帰宅するためだけに、大好きな家を離れて大嫌いな仕事をしているといっても過言ではない。すべては帰宅のための布石なのである。そのくらい帰宅が好きなのに、私の人生から帰宅まで奪われたら、ミカヅキモしか残らない。つまり私の人生は、帰宅とミカヅキモだけでできているのだ。
 ふと、30メートルほど先にマツキヨが見えた。これは、「マツキヨによるので、先に帰ってください」ができる。しかし、この技は使えても月に2回程度であるうえに、根本的な解決にはならない。それどころか、初回でのこの行動は百目鬼に「俺と居るの気まずかったんかな」と思わせてしまう危険がある。百目鬼は今、知らないの芸能人のゴシップで盛り上がっている。この話があと30メートル歩くまでに終わるとは思えないほどの盛り上がりだ。この話をさえぎる技量は私にはない。観念して、最寄り駅まで相伴にあずかるほかないようだ。
 私が腹をくくった矢先、百目鬼は「あ、おれ、マツキヨによっていくんで」と言い、話の腰を折るどころか跡形もなく粉砕してマツキヨの明かりの中へと消えていった。暗い夜道に私だけが残った。ゴシップの続きが少し気になったが、検索はしなかった。

 翌日から、百目鬼は違う駅へ帰るようになった。「実は俺んち、こっちのほうが微妙に近いんです」と聞いてもいない豆知識をもらった。それからの百目鬼は、そっちで最寄り駅の同じ九頭竜(くずりゅう)と帰っているようだった。みんな幸せになったのだ。その日の帰路はとても静かで心地よく、いつもより距離が遠く感じた。

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