わたしたちはわたしたちの人生の長さを本当のところはどう思っているのだろう

一カ月ほど前、大横山飴『落ちない雨』(茜新社、二〇一九年)という短篇集を読んだ。成年コミックなのでいずれの作品もその本義はセックスを描くことにあるが、いまはふれない。かといって作品全体を覆うナイーヴな抒情性、あるいは敢えてより浅薄な言い方をするならば一瞥だけでもわかる「文学的」な感じ(帯にいわく「土と精液のにおい」のようなもの)をここでほりさげたいとも思わない。もちろん、この短篇集の魅力が実際そういった印象の指し示すほうにあるということは決して否定しないものの、しかしこちら側が予めそのような(文学的とか抒情的という)入口を設えたうえでそれらの作品を読みとこうとしたところで、きっとうんざりするほど眠たい話になってしまう。だからここではエロとも抒情ともたぶん無縁な、ひとつのほんの些細な(それでいてどうしても忘れがたい)やりとりについて思うところを書き記しておきたい。

それは「ゆらゆら」という短篇のなかほどに現れる。ページは上下二段に割られていてどちらも構図はほぼ変わらない。主人公の少女をとなりに乗せて先生(男)が車を運転している様子を助手席側の窓から切り取っている。黒く塗りつぶされた車内、そのなかに二人の姿を浮かび上がらせる光源の具合から夜であることがわかる。夕食の後、ふたりは先生の部屋に向かう途中らしい。「元気ないな」と先生が問う。「私 森田って先生 大っ嫌い」と少女が答える。スカートが短いというので陰険な叱られ方をしたのを根にもっているのだった。だが嫌いな理由はそれだけではない。「こないだ集会で 人生80年なんて言ってたのも森田先生でしょ/でも ニュースで同い年の高校生が交通事故で死んだって どう思う?」

先生はこう答える。「死なない子の方が多いから……/それに森田先生だって本気で人生80年だなんて思ってるわけじゃないよ…多分……」

それに対して少女は「ふうん……」と答えるだけで、軽く流してしまう。しかしこの先生の回答にはどこか、ひどく奇妙なところがあると思う。たとえば森田先生が言ったとされるのが「人生80年」などではなく、なにかもっと普通の罵倒語だったとしたらこれはごくありふれた慰めの言葉だったにちがいない(「森田先生だって本気できみのことを馬鹿だなんて思ってるわけじゃないよ」等々)。あるいは「80年」のところが「50年」であるとか、反対に「120年」というふうに極端な数字であっても、まだもう少し意味をもっていただろう。しかも直前の「死なない子の方が多いから」というのは、たまたまひとりの同い年の高校生が事故で死んだことをもって「人生80年」に反論しようとする少女に対し、常識によって、むしろ森田先生の言い分を擁護しているように聞こえる。

したがって先生のあの言葉はそれ自体としても意味が空虚であるうえ、文脈的にも筋が通っていない。この奇妙さをどう考えるか。最も簡単なのは、先生はただ単にうわの空なのだという解釈だ。少女の稚拙な反証に対して、うわの空のまま常識的な(つまらない)ツッコミを入れてしまい、すぐになにか慰めの言葉を添えなければという思いに駆られたものの、なおもうわの空のまま形式だけでほとんど意味のないフォローをつけ加えただけにすぎないのだと。実際、この解釈はかなり妥当な線だと思う。

しかしからくりはどうあれ、現に発された言葉が及ぼす効果そのものまでを否定することはできない。森田先生が「本気で人生80年だなんて思ってるわけじゃない」のだとすれば、人生の長さについて本当のところはどう思っているのだろう。そんなふうに考えずにはいられなくなってしまう。もとの文脈を補うならば彼が集会で述べたのは「今どき人生80年 みんなは15 16歳ですからやろうと思えばなんでもできます」ということだった。もしかすると車のなかで先生がいったのは「やろうと思えばなんでもできます」というそのことについてだったのかもしれない。それであればなんとなく理解はできるが、そうだとしても別に「人生80年」そのものを否定することにはならないし、むしろ「やろうと思」ったことをなにもできないままだらだらと80年人生が続いてしまうことこそ、たんなる早逝よりもいっそう、当の建前を裏切る恐怖ではないのか。だとすれば「人生80年」を本気で思わないということが結局のところどういうことなのか、やはりうまく想像できない。

といいつつ、それでは本気で「人生80年」だと思うとはどういうことなのかと訊かれると、実はそちらもよくわからないのだ。わたしたちは自分の人生が80年も続くことを、果たして「本気で」信じているのだろうか。そう考えると、今度は森田先生ばかりかだれひとりとして「本気で人生80年だなんて思ってるわけじゃない」ような気がしてくる。わたしたちは人生の長さについて、本当のところはどう考えているのだろう。本気で人生80年だと思うこともなく、人生80年だと本気で思わないこともなく、そこにはただ本音のない建前だけがゆらゆらと浮かんでいる、ような気がする。

先生と少女はそのあとセックスをする。この短い会話は当然、そこになんの影響を及ぼすこともない。

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