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人付き合い

わたしは人付き合いが苦手だ。

人見知りの定義はよくわからないが
人見知りというわけではない。

道に迷ったら知らない人に聞けるし
グループで話している輪の中にも入っていける。

初対面の人とでもある程度話せると思う。

だが、人付き合いが苦手なのだ。

学生時代は自分の口から出てくる言葉が鋭すぎて、心とのバランスを取ることが難しかった。

大人になってからやっと心に合う言葉が見つかってきたのかもしれない。

心に合う言葉が少しずつからだに馴染んでくると、性格も穏やかになれたように思う。

しばらくすると人と人の間に挟まれる現象が増えた。

簡単にいうといろんな人から愚痴なのか相談なのかを気軽にされる相手になってしまったのだ。

わたしが寄り添いたい相手からの愚痴や相談は大歓迎だし、むしろ自分から関わりにいくのだが、そうではない相手から一方的に伝えられる時間は結構苦痛だった。

苦痛だと思いつつ、「少しでも良くなれば、、」と相手の言葉をまろやかに変換してはみるけど、わたしの言葉が届かないことも分かっている。

八方美人と思われているだろうな。


間に挟まれるようになった原因は、わたしの働き方にもあるのだろう。

ひとつの職場で長く働くというより、新しい環境にいくことが好きで短期の仕事をたくさんしていた。

数ヶ月後にはいなくなる相手には吐き出しやすいものだ。

そんな日々を過ごしていたので人付き合いは苦手、というか、めんどくさい、と思っている。

なのでともだちも少ない。
少なくていい。


先日友人と話していたときに話の流れで
「あんまり人と深く関わるの嫌やねんなぁ」と言った。

真意としては"人と関わるのがめんどくさいから"だった。

そんな想いで吐いた言葉への返事に、わたしは心が震えた。


「そうやんなぁ。相手のことをたくさん知って人と深く関わると離れるとき辛くなるもんなぁ。
男女とか関係なく、離れるってさみしいもんなぁ。」

あぁ、素敵だな、と思った。

心が洗われた気がした。

人付き合いを"めんどくさいもの"として見ていたわたしだが、見方を変えるとなんとも優しい世界に見える。

単純なわたしは
「そうかもしれない!
深く関わると離れるときにさみしくなるから深く関わることを避けてたのかもしれない。」
と思った。

過去のいろんな出来事がフラッシュバックして、なんだか泣けてきて、ほんとに「そうかもしれない」と心から思えた。

ありがとう。

心が洗われたわたしだが、誰とでも仲良くなりたいわけではない。

でも大切にしたい相手、大切にしてくれている相手と丁寧に向き合おうと思う。