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二〇一八年三月一八日 阪神大賞典

ナリタブライアンの崩壊と最終戦

 今週は天皇賞の前哨戦・阪神大賞典だがメンバーは小粒で、武豊のクリンチャーが実績上本命に押し出されるだろう。しかしつけ込む余地は大いにありそうだ。僕の狙いは有馬記念組のサトノクロニクルとレインボーラインだ。枠連の6‐6を厚めに6‐7、6‐8を抑えた馬券を買ってみた。単勝はレインボーラインだ。で、結果は単勝・連勝ともばっちり当たり、小躍りした。勝利の美酒は相変わらず美味い。
 阪神大賞典といえば一九九六年のナリタブライアンとマヤノトップガンの一騎打ちという、壮絶な歴史がある。僕は今でもそのレースの様子を鮮明に脳裏に思い描ける。
 競馬ファンにここ20年ぐらいの間、記憶に残る名勝負は何か? と聞けば、このレースを上げるファンが少なからずいるはずである、と思う。注目の2頭はともに年度代表馬である。昨年の菊花賞と有馬記念を連覇し、絶頂期を迎えようとしていた4歳馬マヤノトップガン、そして一昨年の三冠馬、有馬記念も制したナリタブライアンである。奇しくも両馬の父はブライアンズタイム。サンデーサイレンスに次ぐ名種牡馬である。人気もきっちり二分していた。
 ナリタブライアンは前年の秋の天皇賞で12着という大惨敗を喫した。休み明けだとしても負け過ぎである。ジャパンカップは1番人気で6着、有馬記念はマヤノトップガンの4着。それでもファンは復活を信じて阪神大賞典では差のない2番人気に支持したのだ。一番人気はマヤノトップガンである。レースは両雄のマッチレースとなった。4コーナーにかかる前から、ピッタリと馬体を並べ一歩も譲らない。後ろの馬は離される一方である。まったく並んだままゴールに飛び込んだが、ゴール前わずか数メートルでナリタブライアンの頭がぐいと伸び1着。さすがの貫録である。
 天皇賞も両雄の一騎打ちになるかと誰もが思ったのだが、このマッチレースに疲れたのか、勝ったのは長距離巧者のサクラローレル。ナリタブライアンは離された2着。マヤノトップガンはさらに離された5着に終わった。しかしマヤノトップガンは翌年の天皇賞・春ではサクラローレルに雪辱を晴らすのだから、競馬は面白いね。
 長々書いたが、僕が声を大にして言いたいのは、ナリタブライアンの次のレースである。天皇賞2着の一ヶ月後に1200メートルの高松宮杯を選ぶのかい? ということなのだ。今だにどうしても理解できない選択である。4歳になってから皐月賞トライアルのスプリングステークスの1800メートルが最短で、あとは中長距離路線で良績を残してきた馬なのだ。絶対にぼろ負けするぞ、と思っていたら案の定1秒弱離された4着だった。そして引退。
 僕はひねくれ者で、ナリタブライアンを負かす可能性のある馬からの馬券をいつも買っていたので、ナリタブライアンには良い思い出はない。でもあれほど強かった馬が崩れ、やっと復活しそうな時に、1200メートルのレースを選ぶのは、あまりにも可哀そうに思ったのだ。なんで宝塚記念でないの?まだ高松宮杯に出ずに引退した方が有終の美を飾れたのではないかな。
 完璧な実績を残して引退したシンボリルドルフやディープインパクトには、ロボットのような安定した強さだなあと、僕はあまり感慨を持たない。でも一世を風靡した超人気馬・ナリタブライアンの最後には、関係者に対する憤りが今でもあるのだ。もちろん何らかの合理的な理由があり、自分は競走馬そのものに関しては素人だと分かっているのだが、この感情は今でも阪神大賞典のレースになると沸き起こるのだ。怒りと共に僕の胸には、あの阪神大賞典は、滅び行くナリタブライアンが最後に名残の輝きを放った渾身の勝利ではなかったのだろうか、ということだ。蝋燭の火が消える直前に一瞬炎が大きくなるように。

 ナリタブラインは成績だけ見ると「晩節を汚した」のだが、馬が知るわけもないので、調教師などの関係者の責任だろう。自分も晩節の入口あたりにいるので、この言葉には敏感にならざるを得ない。年を取ると人間は円熟し、穏やかになるといわれてきたが、自分の周りを見回してみると、それは善意の誤解であると感じるのだ。特に男性老人の「おれ様」態度が目につく。何か不平不満が貯まっている人が多いのだろうか。
 ある夜、有楽町で映画を観て築地のビジネスホテルに向って自転車をこいでいたら、横断歩道の赤信号を無視して渡る初老の男性がいた。僕が彼の前を横切った時「コラあっ」と大声で怒鳴られてしまった。自分の前方を遮られたので怒ったのだ。僕は悪くないので、自転車を止め「何ですか」と声をかけたのだが、ちらりと僕を見てすたこらと逃げ去ってしまった。
 またある時は、築地場外の観光バスの駐車場からバスが出ようとして、信号待ちで歩道を塞いでいた。僕はバスの後ろを回って反対側に出たのだが、そこに老人夫婦がいて、夫がバスに向かって怒鳴っているのだ。「何だ道を塞ぎやがって、どうしてくれるんだ」と大声で運転手に向かって叫んでいる。僕はご婦人に「後ろから回れますよ」と教えてやったのだが、男性は「このバスはけしからん」と怒りが静まらない様子なので、僕は「まあ、怒らないことですよ」と言ったら、「何だお前はこの野郎」と怒りがこちらに向けられてしまった。くわばらくわばら。
 こんな体験から、自分は晩節を汚すまいと思うのだが、愛妻君に言わせると「あなたも危ないわよ、今のように他人のことばかりあげつらっているのだから」とあざ笑われてしまった。

 晩節を汚すな名馬が手本なり



赤城斗二男『馬券と人生』収録
発行:七月堂

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