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二○一八年三月四日 弥生賞

情緒に流されて初めて馬券を買う

 小学生の頃の通知表には先生が短評を書く欄があり、よく「情緒に流されやすい」と書かれたものだ。僕の父親はゼネコンの土木技師だったので、工事現場が変わるごとに一家で引っ越し、通う小学校も変わるのだったが、どこの学校でも通知表には「情緒に流されやすい」と書かれるのが常で、どうも集中心のない落ち着かない子供だったようだ。姉にいわせれば、小学生時代、教室で前を向いて座っているのを見たことがない、とのことだ。
 大学受験に失敗して浪人をしていた頃、予備校でよく話すようになったY君に「明日馬券を買いに行くんだけれど、一緒に行かないか」と誘われた。競馬というものを全く知らなかった僕は未知の世界に心ひかれ、翌日新宿駅で待ち合わせて場外馬券場に行き、生まれて初めて馬券を買った。受験勉強に専念すればいいものを、情緒に流されて安易に面白そうなことに飛びついたということだね。
 初めての馬券を買ったそのレースは弥生賞で、勝ち馬はパーソロンの仔、メジロゲッコウだった。自分の買った馬券は連戦連勝の1番人気セダンの仔ヤシマライデンの単勝だったが、0・1秒差の2着で外れてしまった。悔しいので皐月賞もダービーもヤシマライデンの単勝馬券を買ったのだが、ともに負けてしまった。特にダービーは大惨敗だったと記憶している。以後ヤシマライデンは一度も勝つことなく引退したのだが、奇特な女性ファンが引き取って死ぬまで面倒をみたというほどの人気馬だったのだ。そんなわけで、弥生賞は僕にとって馬券デビューの特別なレースで思い出深いレースになっている。
 近年、日本経済の低迷とともに「日本はすごい」というテレビ番組や雑誌の特集がメジロ押しである。落ち目の役者が過去の栄光に浸っている感もあるが、僕は「日本の桜はすごい」と本当に思うのだ。西行法師の和歌「願わくば花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃」は、僕も心からそう感じるのである。日本人の生活と文化には桜は欠かせないものだね。ちなみに東京の世田谷にある砧公園の桜は枝が地面近くまで延びていて、その下で弁当を広げ一献を傾けるのは至福の境地である。
 弥生賞は皐月賞の前哨戦で、皐月賞の行われる4月上旬の関東地方は大概名残の桜なので、弥生賞を楽しみ、桜を楽しみ、皐月賞を楽しむというのが僕の春の楽しみ方の流れである。皐月賞の前哨戦はいくつかあるのだが、弥生賞に出走する馬は格上の感じがし、出走頭数が少ないことも度々で、馬券も当てやすく、毎年とても楽しみにしている。今年もディープインパクトの仔ダノンプレミアムが勝ち2着もディープの仔ワグネリアンという人気サイドの決着だったが、3倍の馬連と5倍の3連複をそれぞれ1点で的中したので、「やっぱり僕は弥生賞と相性がいいなあ」と気分も良く、レース後は愛妻君と中華料理店に繰り出し、甕出し紹興酒をたっぷりいただくことができた。

 話は最初の馬券買いに戻るのだが、前述の3レース以後しばらく馬券は買わなかった。受験勉強に専念せざるを得なかったこともあるが、浪人生にはいかんせん馬券に使える小遣いなど無かったのである。しかもY君とは絶縁状態になってしまったので、競馬にも誘われなくなったからもある。彼はもう浪人できないとのことで、入れる大学に入って大学生になったのだが、マルチ商法にはまって僕も仲間に入れようと誘ってきたので、絶交状態になったのだ。友情ともいえない関係はかくのごとくあっけなく消滅するんだね。
 僕が次に馬券を買ったのは2年後の弥生賞だった。前の年に大学生になっていた僕は、父を交通事故で亡くしたこともあり、自分の小遣いは自分で稼ぐと決めバイト生活を送っていた。だから馬券を買う金も少しはあったし、小遣いを馬券で増やしてやろうという欲の皮の突っ張った考えに支配されていた。その弥生賞は地方から移籍してきたハイセイコーの中央初お目見えで、大変注目されたレースだった。今ではどんな馬券をいくら買ったのかも思い出せないが、外れてしまったことだけは記憶に残っている。ハイセイコーは競馬ファンのみならず、一般マスコミもこぞって報道し、少年漫画雑誌の表紙を飾ることもあった。いわゆるブームになったわけだ。
 僕は情緒に流されやすい性格であったが、一方ではひねくれ者で物事に対して斜に構えることも多かった。ハイセイコーが人気を集めるたびに反発し、負けが続くと同情した。実は予想配当の多い少ないがその気分に影響していたのが事実だったのだがね。ハイセイコーが一番人気の天皇賞では、長距離戦では実力断然のタケホープを買い見事に単勝をものにした。以後シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクトといった人気馬には、必ず逆らった馬券を買って、大概は損をしたものだった。
 以来、延々と馬券を買い続けて現在に至るのだが、自慢できることがある。それは競馬以外のギャンブルはしないことだ。もちろん麻雀もしないし、囲碁・将棋すらしない。また、借金をして馬券を買ったことは一度もないし、家計に穴をあけたこともない。それを自慢げに口走ると、わが愛妻君は必ず「当たり前のことでしょ。得意げに言わないでよ!」と鼻白むのである。

 桜咲く弥生の空に馬券散る



赤城斗二男『馬券と人生』収録
発行:七月堂

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