さる話

 猿は眠っていた。
 朝である。
 目覚めると、右の手首から先が猿の頭になっていた。
 種類は分からない。ニホンザルであろうか。常識の外側にある事態になると、人間意外と冷静になるのか、なぜか夢とは思わなかった。
 普段からは想像もできないような機敏かつ最小限の動きでわたしは机の引き出しから麻縄を取り出し、眠っている猿の頭にぐるぐると巻き付けた。これでとりあえず一安心である。
「いつ・なにが・どのように役に立つかなんてわかんないもんだな。」
 わざわざ口に出して、それでまたひとつ思いついた。
 わたしの机の一番下の引き出しには緑色のミトンの手袋が入っている。ずっと昔、片思いをしていた男の子にプレゼントしようと思ってこさえたものだ。不器用のくせ向こう見ずに作り始めたものだから、クリスマスに間に合わず、正月を過ぎ、雪が溶け、桜が咲く頃までかかって出来上がった時には、彼は隣のクラスの女の子とつきあい始めていた。何度も捨てようかと思ったが、なんだか彼を好きだった自分のことも否定するようで、どうにも踏ん切りがつかなかった。
 後悔をしたくなかった。それでそのまま机の一番下の引き出しに封印したのだ。
不器用者製がゆえ大きめのミトンは、ぴったり猿の頭にはまった。
 まるで猿の頭にかぶせるために作られたようだった。

 朝ご飯を食べているとしなつくり君からメールが届いた。
 いつものようにごく短く「ついたよ」と書いてある。
 わたしは一瞬、右手のミトンについてを想ったが、やさしい彼が深く尋ねてくることもあるまいと、上着を羽織って外に出た。

 しなつくり君と歩くとき、わたしの頭の中では「大吟醸」という音楽CDが全曲フルで流れる。そういう仕組みになっている。
 曲が一曲終わって次の曲が始まるまでのごくわずかな時間、わたしは隣のしなつくり君の横顔を盗み見る。何度見ても、しなつくり君の横顔は変わらない。
 おだやかな顔をしている。
 わたしはそのことを。 いつもここまで思って、
 わたしはそのことが。 と助詞を換えてみても、
 後は続かない。

 道を歩いて駅に果て、電車に乗って映画館に入った。二人で映画を観るのはこれで三本目である。ロシアの、かなり古い映画だった。

 とある詩人の男が、踊り子に出会う。踊り子は男が歌をうたうといつもそこにいた。
 彼女は常に赤いワンピースを着ていた。踊り子は男の歌に合わせて体を揺する。いつしか踊り子は男と暮らすようになるが、男はいっこうに彼女の顔が覚えられない。彼女の正体は孤独な男が生み出した幻であった。幻の踊り子は男にしか見えないはずだったが、次第に他の男の目にも映るようになる。あるとき詩人が歌をうたおうとすると、彼は出現した踊り子の顔をはじめて「見覚えのある顔」と思うのだった。そしておしまいに、詩人は踊り子の歌をうたう。

 そういう映画であった。あまり良さは分からなかった。わたしもしなつくり君も初めて観る映画だったが、初めて観た気がしなかった。映画の最後に流れる歌を、わたしは何度も聴かされていたからだ。映画が始まる前、もしかしたらこの歌が流れるところで泣いてしまうんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。
 なつかしいような、心細いような、物足りないような気持ちだけ、あった。
 しなつくり君の横顔をそっと見ると、彼はいつものように穏やかな顔をしていた。
 そこで。
 はじめて悲しくなった。
 だけど、なぜ悲しくなったかは分からない。
 いやだ、と思ったのだ。
 なぜかはわからない。

 映画館を出て喫茶店に入った。私たちはさっき観た映画の話をしなかった。
 ではなんの話をしたかといえば、別になんの話をしたというわけでもなく、お互いが思いついた言葉をまばらにぽつぽつ発声し、相手は相づちをうっていたのだ。
 楽しいとは思わなかった。
 つまらないとも、思わなかったが。
 ただ、楽しいとは、思えなかった。
 コーヒーを飲み終え、帰路についた。

 三日後も、しなつくり君と出かけた。いつものように「大吟醸」が流れる。
わたしたちは二人で歩いている。「大吟醸」が流れている。二ヶ月前までは三人で歩いていた道だ。三人で花火をしたし、映画を観に行ったし、落語を観に行ったし、詩や小説を読んだし、ファミコンをしたし、貧乏なごはんをこさえて食べた。時々は、安居酒屋で酒を豪勢にあおった。
 この道を歩くとき、いつも三人の頃を思い出す。
 そして三人の頃を思い出しているときだけ、しなつくり君と二人でいても「大吟醸」が流れることはない。

 あのころ。わたしは楽しかった。本当によく笑っていた。
 おもいでを懐かしむだけにならないようにと思っていた。
「またこんなのがあればいいな」
「またこんな一日があればいいな」
 三人そろう日の帰り道ではいつもそう願っていたし、そうなるように毎日お祈りをしていた。
 りくろうそうの方が、ほんぜんいんからわざわざわたしの部屋に運んできて下さったういしゅいだんに手を合わせ、毎夕十五分、もくしょうだいを唱える。

 まきめきまんめい もきゅめんめい
 まきめきめきめきめきまめまっきょめきゅまめい
 まきめきまんめい もきゅめんめい
 まきめきめきめきめきまめまっきょめきゅまめいようまきめきまいな
 ゆめきまきまね
 あゆめきまっきょ めきまめき
 ようまきめきまいな ゆめきまきまね
 あゆめきまっきょ めきまめい

 欠かすことはなかった。
 だけど三人で過ごす時間はそう長く続かなかった。半年で、三人は三人ではなくなり、そしてその頃から、わたしの体には「大吟醸」のCDが埋め込まれたのだ。
 しなつくり君に告白されて、わたしが受け入れてから、次第にわたしの周りから人が離れていった。わたしには理由がわからなかった。
 理由がわからないままに連絡の取れない友達の数が増えた。
 しなつくり君は、やさしい。
 口数は多い方ではないが、静かな居心地の良さがある。
 ポプラの林道のようだ、と思う。夕時間の浜辺のようだ、と思う。友達が多い。さみしがり屋なのだ。二人でいるとよく分かる。

 さみしがり屋というのは、しかし。
 わたしは、けっこう、一人も、好きだったり、するのだけどもね。
 だけど、やさしい。
 居心地は、いい。
 林道、浜辺、わたし好きだしね。
 だけど、林道や浜辺を、一緒に歩きたいとは。
 それは。また。別の。なんか。

 やさしく、居心地が良く、さみしがり屋の男の子は、しかしながら、わたしの役には立たない。「役には立たない」と思うとき、わたしは自分の残酷性を垣間見る。残酷性なんて、けっこう直視したくないものなので、わたしはあまり彼について深く考えないようにしている。
 あー。
 あたたかく愛されているのであろうということはわかるのだ。
 だけど。わたしは。
 だめだ。やめよう。
 違うことを考えよう。

 冷たい人を知っている。
 というより、「冷たい」と周りに言われがちな人であった。
 なぜそんな言い回しをするのかというと、わたしは彼を冷酷とは思わなかったからだ。
 分かり合うことを強制しない人だった。葛で満たされた薄暗い浴槽に身をやつしているような人だった。それでもお酒が入るとよく笑い、わたし達の知らない古い映画の歌をよくうたっていた。お世辞にも上手いとはいえない歌唱だったが、なんども聴いていたからすっかり耳に馴染んでしまった。
 彼はいつもなにか書き物をしていた。
 一度だけ、手紙などではないものの、紙に書かれた文章を貰ったことがある。
「ときどき思い浮かべる歌詞なんだ」と、彼は言った。わたしはそれを、机の引き出しにしまった。
 そしてその日以来、彼は会ってくれなくなった。なんど家に行っても扉が開かなかった。連絡をしても返事が返ってこなかった。
 ときどき、机から紙を取り出し、歌詞を眺める。

 彼が会ってくれなくなって三人は二人になり、まもなくもう一人もいなくなった。
 もう一人は、明るい人だった。
 人を笑わせるのが好きな人だった。わたしは彼に笑わされるのが好きだった。
落語が好きな人で、調子がよくなると短くアレンジして演じてくれた。わたしは落語の楽しみ方なんてまったくわからないが、彼の噺は素直に面白いと思えた。
 怪談噺が一番得意で、わたしも好きだった。
 最期に会ったとき、彼は三人でよく聴いた中島みゆきのCDを一枚くれて、去り際こんなことを言っていた。
「本当に怖いことは周りではなく自分自身の変容だよ。きっとあいつもそうだったはずだ。」

 果たして、かつての三人はついに一人になった。
 三人だったころ周りにいた人たちもみんないなくなった。しなつくり君と二人で過ごしていても、言いようのない後ろ暗さが心を曇らせる。
 わたしは思う。
 自分自身の変容より、わけもわからないまま周りが変容してしまう方がずっと怖い。急変でないにせよ、「いつ・なにが・どのように」の推移や兆候が分からないのでは、馬鹿なわたしには対策がうてない。どうすればよかったのかという反省もできないのでは、後悔すらできない。なんだかずるいように感じるのは、わたしがそういうレベルの馬鹿だということなのか?

 その日の帰り道、しなつくり君とキスをしながらわたしは泣いてしまった。
しなつくり君は慌てて「どうしたの?」と尋ねてきた。
 そんなことを尋ねないでほしかったから、もっと涙が出てきた。
「なんか傷つけちゃったのなら、ごめん。」
 しなつくり君はそう言ったが、謝ってほしくなかったので、ついに声をあげて泣いてしまった。
 どうしたのか、なんて。
 傷ついたのか、なんて。
 分からないのだ。わたしはなにも分からないのだ。どうしたらいいかも、謝られるようなことなのかも、分からないのだ。

 分からないのだ。
 古いロシア映画の楽しみ方も、
 落語の味わい深さも、
 毎日唱えるもくしょうだいの意味も、
 やさしい恋人の横顔に悲しくなる理由も、
 自分がどうしたいのかも、
 なにも分からないのだ。

 どうしてみんな去ってしまったのだろうか。
 どうして二人は去ってしまったのだろうか。
 どうして二人は変わってしまったのだろうか。
 それともわたしが変わってしまったのだろうか。
 いつ変わってしまったのだろうか。
 どのように変わってしまったのだろうか。
 なにも分からない。
 いっこうに分からない。

ある時わたしがうたっていたら
おまえは床に腰掛けていた
いままで見覚えのなかったその顔が
見覚えのある顔になっていた
あれからおまえは踊らない
あれからおまえは踊らない
わたしとずっと一緒にいるけど
あれからおまえは踊らない
わたしのたいせつな踊り子よ
もしもわたしがたったひとりで
うたいながら遠くまで行こうとしたら
この手を取って引き止めてくれ

 一週間、家の中で過ごした。
 あらゆる予定を休み、しなつくり君からのメールにも電話にも応答せず、ただじっとしていた。そんなことをしても、なにもカワらず、なにもワカらなかった。
 なにも変われず、なにも分からない一人だった。

 ふと。
 右手のミトンを眺めた。
 猿はどうなっているだろうか。
 手袋を外してみると、猿の頭はもうそこにはなく、ただ自分の右手があるだけだった。猿の頭になんて変わらなかったのかもしれない。寝ぼけた頭が見せた幻だったのかもしれない。

 なつかしいような気持ちだった。
 そして
 心細いような気持ちだった。
 そして
 物足りない気持ちだった。

 眠る猿の顔を思い浮かべた。
 いつ・なにが・どのように役に立つかなんて分からない。
 もしかしたら、話し相手にでもなってくれたかもしれない。
 すぐに縛ることなんてなかった。

 わたしははじめて、後悔をした。

引用:友部正人「私の踊り子」/JUDY AND MARY「ラブリーベイベー」

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