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砂糖テンプラ

 変なやつがいた。高校の同級生だった。二年生の時に同じクラスになった。
 当時の私はめちゃくちゃにバカで、バカというのはつまり勉強ができなかったし勉強するぞという気概もなかったし勉強しなければという危機感も持っていなかった。
 彼、須藤くんは同じクラスになる前も名前だけは知っていて、それはなぜかというと学年で一番勉強ができるというので有名だったからだ。
 二年生のクラス替えをした際に隣の席になった。「これがかの有名な」とまるで芸能人でも見かけたかのような驚きをおぼえたが、もっと驚いたのは彼がすべての授業中、ずーっと居眠りをしていることに気づいたときだ。
 彼はマジで、登校してから下校に至る時間の殆どを机につっぷしてすごした。勤勉だったのが春休みに何か心の変化があったのか、それとも今までもずっとこんな調子なのに学年一位をキープする天才なのか、私は判然としないまま、彼に興味を持った。
 その答えが出たのは一学期の中間テストの答案返却の際で、彼はまたしても学年一位を防衛した。天才だったか、と赤ペンによって切り傷を致死量くらいつけられた自分の答案用紙に視線を戻していると、須藤君が私の方を見ていた。
「見ないでよ」と私が素早く答案用紙を折りたたんで机に押しやると須藤君は「ごめん」とそんな気もなさげにつぶやき、また机に顔を伏せた。彼の声をはじめて聴いた、と思った。

 梅雨の金曜日。帰り道に、須藤君を見かけた。
 家の近所の空き地に立っていた。正確には、背の高い女と一緒に空き地で抱き合っていた。
野次馬根性で眺めていた恥ずかしいツガイの片翼が須藤君だと気づいたのは、時々見かける男女よりも長く彼らを見ていたからであろう。そしてそれはなぜであろうかと考えるまでもなく答えははっきりしていて、彼らは雨の日にもかかわらず傘を差していなかったのだ。
 須藤君と女は抱き合い、長い時間をかけた接吻をした。わたしはそのすべてを見た。自分の身体が火照っているのを、雨の冷たさによって感じた。家に帰っても、火照りはひかず、うなされるように見た夢の中では須藤君の姿が反芻された。

「昨日、三ツ境の空き地にいた?」と私は翌日須藤君に話しかけた。なぜそんなことをしたのかは分からないけど、前夜の火照りがかかわっているであろうことはその時も分かったし今も見当している。
 須藤君は驚いた顔をした。ソレが私には新鮮で思わず「キスしてたよね」とまで言ってしまった。
 すると須藤君はさっきよりもっとずっと驚いた顔を私に見せ、「白石さん、彼女が見えたの?」と言った。その言葉で、今度は私が驚いた。
 須藤君と抱き合っていたあの女は、年の離れた彼の恋人で、初体験のお相手で、誰もがその名を知る有名大学の学生で、一年前に死んでいた。
 ずっと居眠りをしながら学年一位をキープする秘訣とは何であろう、自身に取り憑いた恋人に答案用紙を埋めさせていたに過ぎないのだ。「信じなくても良いよ」と須藤君は説明を終えてから付け加えたが、信じないも何も私は抱き合う彼らを見ている。「喜んでるよ」と須藤君は自分も嬉しそうに言ったが、彼の背後にいるというその女の姿はなぜか私の目に映らなかった。
 夏休みを終えた一学期の復習テストにおいて事件が起きた。須藤君が全教科まったくの落第点をとったのだ。職員室は音を立ててゆれたという。
「どうしちゃったの?」と須藤君に尋ねると
「別れたんだ、夏休みに」と彼はしょんぼり言った。
「ドーナツをどちらが余分に食べるかなんてことで喧嘩になったんだ。お彼岸にね。」
 原因たるドーナツよりもむしろお彼岸という言葉が私を大きく笑わせた。笑うべきではないとは思ったけどよりによってと思ったらこみ上げてきてしまった。
「笑うなよ!」と須藤君が怒った。怒った顔を初めて見た。
「須藤君、じゃあさ、一緒に勉強しない?」私の口からそんな言葉が出たものだから、須藤君も、そして私自身も驚いた。それでも続けた。
「勉強して、彼女さんとおんなじ大学に行って、幽霊のメカニズムを解き明かすんだよ。まだ未練があるんでしょう」
 きょとんとしたのち、今度は須藤君が大声で笑った。私だけでなく、クラスの全員が、そんな彼を初めて見た。
 それから私はものすごくものすごく勉強して、須藤君の恋人と同じ大学に入ることができた。当の須藤君は大学受験の日に家の前で車にはねられて死んだ。手には食べかけのドーナツがあった。金曜日だった。彼の死を知ってから悲しみが押し寄せてくるまでの短い時間、私はなぜか大声で笑った。
 よりによってかい。

 須藤君が死んでしまったことで目的を失ったかに思えた私だったが、どっこい勉強を続けて、誰もがその名を知る有名企業に入社した。正確には、有名企業の傘下として設られた、超能力や超常現象を扱う研究所に入所した。再会させたい相手が再会したい相手になったからだ。
 須藤君が死んだ日から、私の体に妙な変化がある。ときどき無性にドーナツが食べたくなるのだ。いったんそうなると仕事中でも食事を済ませた後でも男と抱き合っていたとしても、駅前のドーナツ屋に駆け込まずにはいられない。同僚にも恋人にも話したことはない。多い日は8個入りのをふた箱買うこともある。


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