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餌遣

 湖底 という名前は、のちに継母となる女が名付けた、ということを父は死の間際に私に教えてくれたが私はそのことを弱々しく語る父がその身を横たえる布団の皺をこそ見つめながらなるべく見つめながら、ただの音として聞いていたに過ぎないので父が死に遂げた後も継母が死んだ時も別段思い出すことはなくかといって忘れ尽くすこともないつまりは一片の情報として頭の中のたんすに仕舞っていた。
 私が生まれたのとほとんど時を同じくして私を出産した女はまるでもともと丈夫ではないその身へのとどめを刺されたかのように死んだ。私が私の、戸籍上母にあたる女のことをどうしても「私を出産した女」としか認識できないことは、多少なり思春期の私の背後 で時期特有の意地悪な自我がその意地悪さを発揮するにあたり用いられたが、思い煩ったところで何も答えは出ないという答えが十九の時に出て、今はもう考えることはない。秋の金曜日のことだった。父が死んだのはその一年後だったので私は十九・二十という何か意味ありげな期間に体験として出自を失うという感覚を得たことになる。すぐ後に継母がトラックに撥ねられた時に至っては大学の研究室にいて、ともかく病院に行くようにと中継役の教員にせっつかれたがまず初めに頭に浮かんだ言葉は「何故?」だった。 この「何故?」は「私がすぐに病院に行かなければならない理由」に係る。私はそれでも結局病院に行ったが継母である女はほとんど誰なのかわからないくらいに頭が潰れていて、どう轢かれたらこのような状態になるのだろうかというようなことを考えているうちに通夜も告別式も四十九日も済んでいた。形状への過程に思いめぐらせている間に私と彼女の関係は他人への回帰を完了した。

 すべてが私を通り過ぎていくようだ、と私は二十四の金曜日に勤め先でふと考えた。 父も、母も、継母も、記述されるまでもなく省略されたいく人かの恋人たちも私のあずかり知らぬうちにたち消えている。そういう自覚に至った。 私は勤め先の研究所において、超能力や超常現象にまつわる部署に在籍しており、すべてが自分を通り過ぎていくようだという自覚に至ったその瞬間もまた、とある超常現象にまつわる実験の経過観察記録をつけているところで、しかしてその実態は「変化なし」の四文字を「八時」のらんから「十一時」のらんに記入するというものだが。
 隣のデスクでは同僚の甲さんが同じような書類に同じようなことを記入しており、向かいのデスクの乙さんが私の斜向かいの、つまり乙さんの隣のデスクの丙さんに、昨日まで行っていたという幼馴染との旅行について「何も起きなかった」という報告をしていた。丙さんは「あらあら」と返事をしたように思うが、 私も甲さんも乙さんもそしておそらくは丙さん自身もその返事に何の感情も見出さずに「あらあら」を空中にそのままにしていた。部署の他の人たちはそこにはいなくて、だから知らない。

 それから。

 湖底という名前はのちの継母である女が名付けたということを私は思い出し、今まで何千何万と目にし紙上に記したその名を頭の中 でまじまじ眺めた。なぜかはわからない。ともかく眺めてみた。頭の中で目を凝らすと、深く暗い⻘がたちあらわれた。深く暗く⻘い 光景の中には一羽の鳥が浮かんでおり、氏の見上げる先には光のさす水面が揺らんでいる。 水面を、幾羽かの影がすべっていくのを鳥は見ながら、どんどんと深いところへ沈んでいった。羽ばたくそぶりも苦しむそぶりもなくどんどんと沈む。
あの鳥は自分自身ではない、と私は思った。 鳥を呑み込む、深く暗く⻘い光景こそが、これまでとそしてこれからずっとの私である。
 なぜ女は私にこんな光景を名付けたのだろうか? 答える相手をとうの昔になくした問いかけは光景そのものの中に投げ込まれると、不思議なことに魚のように泳ぎ出した。魚の姿をした問いが鳥に近づいたとき、それまで動かなかったあの鳥はやおらクチバシを開けて問いを呑んだ。無抵抗に沈み続けていても死んでいたわけではなかったようだ。 私はなぜかそのありさまに言いようのないやすらぎを覚えた。そして、これまでどのぐらいの時間、鳥を放っておいたのだろうという後悔めいた想いもまた。

 昼休憩を告げるチャイムが鳴り、私達と、どこぞから戻ってきていた部署の他の人達は屋上への階段を登った。 自分の体がいつもより軽くなっていると思った。まるで浮上するかのように私達は屋上へ吸い込まれていった。 私の前を歩いていた丁さんが振り返って「湖底ちゃんライターって持ってる?」と尋ね、私は持ってますよと答えながら屋上への階段を登りきり、白衣から取り出したライターで丁さんのくわえ煙草に火をつけてから自分の煙草にも点火をした。
 屋上を覆う空は晴れていた。私の中の鳥が見上げていた水面の向こうにあるものだと分かった私は、それからまた、沈む鳥を見下ろした。これからはまた餌をやることになると思う。時々。
 すべてが通りすぎる中で私は立ち止まってそのように思った。


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