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思い出は未来の残骸なんだよ

 それで僕たちは手を繋いでATMを目指した。

 引き出すお札の枚数を入力する画面で僕は一度振り返って、彼女のつらを見た。彼女──のちにマイ・スウィート・ピアノと僕に名乗ることになる、はガラス戸を開けて酒を何本か選んで小脇に抱えていた。ストロングゼロだった。そういった理由から、僕は「5」と入力して、そのあとやっぱり「3」と打ち直した。
 機械から慶應の校長の顔が三枚、押し上げられて出てきた。「ディグトリオでーす」とふざける三人の校長の口を塞がんと言わんばかりに指ですり潰すように持ち上げて、僕は彼らを財布にしまう。
 「終わった?」と女が僕に期待するような視線で言った。僕はうなずいて、「酒は私が払うから」と言う彼女を残してコンビニから出た。冬の冷気がぬるめられた僕をコートごと冷やす。店内を見やると、レジには列ができていた。

 変遷は省略するが、数時間後、僕は左手にレンチを、右手に女性モノの左脚を提げていた。目の前に左脚以外の女体がベッドに全裸で横たわっていた。左脚以外の女体はしきりに「すごいすごいすごいすごいすごいすごい」とうわ言を呟いている。
「これからどうするの?それ」
「もっと分解する」
「すごい。早く見たい」
 彼女の要望に応えるようにして僕は丁寧に左脚を分解した。アンクレットを外して、皮を剥いで、筋肉を絞って血液をバケツに移し替え、骨と神経を抜いていった。
「魚の骨とりうまそう、ね、そうでしょう」彼女ははしゃいで言った。僕は無視した。時間をかけて左脚をすっかり分解し終えると、それらは部屋に丁寧に並べられた。

 帰り道で名前を尋ねると、マイ・スウィート・ピアノと彼女は名乗った。「言っとくけど、本名よ。」
 わたし井の頭線だからとマイ・スウィート・ピアノは吉祥寺駅で言って、エスカレータに片脚でピョンと飛び乗った。まだ慣れないのだろう、手すりにしがみつくように体を預けながら、それでも体勢を整えると、エスカレータが井の頭線のホーム階にたどり着くまで僕に手を振り続けた。彼女が見えなくなってから僕はJRの改札を抜けた。

 電車が来るまでの間、僕はホテルで教えてもらったマイ・スウィート・ピアノのブログを遡行して読んだ。“ピアノのドレミファソラシ奴(ど)♪“というブログだ。しょこたん☆ぶろぐに準じてヤプログ!だった。

「♪ゼロに戻す 11/3」
 今日はマジ何もかも上手くいかななぁった。ヤンケから着信なし。はいやむ。たまごを割ろうとして床に落として病んだ。楽しいことだけあればいいとかうちは思ってないのにやむことばっかり起きる。死にたいって思っちゃいけないってシスターがいってたから死にたいとかは思わないけど何もかもゼロに戻ってほしいって思っちゃう。
Sweet TripのCD売ろっかな。なんちってさ。うそです。乙。おやすみ。
「♪(無題) 3/26」
頭痛いなって思ってまだベッドでウダウダ。。
ダルおもー。終わったばっかなのにな。
みなさん雨の音が聞こえますよっっ。うちの部屋。知っている人はきてもいいよー。いない なんかまだ昼間なんだけどくらい。
自分はこの景色を好きだと思う。
「♪人工 12/20」
お久しぶり? ブログ忘れてたやー。囲炉裏
最近は。セックスしてお酒飲んで泣いて時効警察みたわ
あとはいちお勉強してる、こう見えても花の女子大生ですからねん。
ほんとかよ。
ヤンケのことほんとすき。ヤのあそこもすき。体にはいってくるかんじが気持ちいいと思う。あんま経験ないけど最近になってわかるようになったかも?
さてプログラミングの授業の何やかんやをやらねばならないわけですが。こうしてブログをぽちぽち書いてしまってるわけで。
現実逃避バンザイ。
でも結構プログラミングっておもしろいかも?って最近思う。人工言語なんだって。
面白いって思ってもいい?
数学のこと全然わからないけど。
それでもいい?わら
「♪しあわせ 10/18」
わたしは幸せだと思う。体いっぱい幸せだと思う。こんな日があってもいいと思う。
アンクレットもらう。そんなんはじめてだよー。洒落てるなあ。わら
脚すきなのかな?ふぇちってやつ?
生まれてきてよかた。

「♪だーくねす 10/3」
演習同じクラスのヤンケくん(普段は苗字で呼んでますわら)となんか流れでタワレコ行った。
うちとヤンケくんだけ休講なの知らなくて顔見合わせたよねわら。
ヤンケくんはオシャレなバンドのCDとかいっぱい知ってて教えてもらって忘れないようにメモメモ。
わたしは嵐とかしか知らなくてヤンケくん楽しくなかったかも?ごッメーん 教えてもらうのは楽しいな。
帰り道になに買ったのってきいたらあげるってゆって白いCDもらった。
うちの名前を似た名前なんだって。artistの名前は。。。秘密!!!!!(どーん)
今聞いてます!ヤンケくん!今聞いています!なんかめっちゃいいです!!アイポッド持ってない自分を憎んでる!わら
ダークネスって曲がお気に入り。ダークね〜す♪ほにゃららら〜〜(おい)

 マイ・スウィート・ピアノとはそのあと半年くらい経って一度だけ会った。吉祥寺で偶然出くわしたのだ。
「わたしのことおぼえてる?」とマイ・スウィート・ピアノはピョンピョン跳ねながら言った。
 僕は「おぼえてるよ」と言って、「また会えるなんて思わなかった」とマイ・スウィート・ピアノが言って、それで僕たちは短い抱擁をした。
 彼女の薄い体は少しだけ汗ばんでいた。たよりない、と思った。
 身体を離す間際、彼女が何か囁いた。あまりに小さい声だったので何と言ったのかは分からなかった。「──る?」と言う、語尾だけ聞き取れた。

 それから数週間して、マイ・スウィート・ピアノは世間で少しだけ有名人になった。僕もその名をネットニュースで見かけた時は驚いた。もしかしたら人違いなんじゃないかとすがるように思ったのは一瞬で、その珍しい名前が二人といないであろうことを僕は思い出した。「出会い系の闇」みたいなタイトルのニュースは一週間繰り返し報道され、犯人の逮捕によって終結し、それで人々はマイ・スウィート・ピアノのことを忘れた。忘れたのは僕においても例外ではなかった。世間よりはそりゃあ少し長めには覚えていたけど、それでも最後の一人ではなかった。


 何年も経った。
 その間に僕がマイ・スウィート・ピアノの左脚を分解したホテルは耐震工事不備が見つかり解体された。分解された左脚は僕も彼女も持ち帰らずにそのまま部屋に並べられていたが、その行方について僕は死ぬまで考えることのないままだった。

 “ピアノのドレミファソラシ奴(ど)♪“はヤプログ!のサービス終了とともに消滅した。
 僕がマイ・スウィート・ピアノに教えてもらって閲覧してから消滅するまでにブログを読んだものは僕を含めて誰もいなかったが、それでも一度だけ更新があった。日付はマイ・スウィート・ピアノが死ぬ二日前で、記事のタイトルは(無題)だった。

こないだびっくりしたー。
こんなん信じる?ちょっとうれしい。
誰も読んでないブログだけど書いときます。
わら


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