マウスプロモーションさんの50周年記念公演に行ってきました!
過去と向き合うのは自分しかいない、どうやって生きるかを決めるのは自分しかいない、そんな思いを私はこの舞台を見て感じました。
【ぼくの好きな先生】
ストーリーのネタバレを含み感想を話しています。
厳しい現実と理不尽さにどうやって向き合うのか、をまっすぐに突きつけて来る作品で、かといって明確な答えがあるわけでもなく、最後には主人公の決意で終わるという、小さな光だけがある作品のように感じました。
ストーリーはいじめがあるかもしれない、と悩む学校の先生である主人公─河合さんと、何故か部屋にいる男の子─馬場くんがメインとなって進んでいきます。
そして、主人公がおそらく成長する過程で感銘を受けたであろう小説の「先生」たちが表れ、問題に対するディベートをはじめていくのです。
この「先生」達は当時の時代背景も価値観も違うそれぞれが話しているので、どこか現代のいじめという闇に、はっきりとした解決策をもたらすことは出来ません。それどころか、お互いの考え方にちゃんと怒り、理解できないというような意思表示をします。
ただここでの皮肉なことは、いじめられているこどもは、そうやってハッキリと意見を伝えることはとても難しい、ということです。
「先生」たちはすでに自己が確立され、自分のハッキリとした信念があり、だからこそ他者にどう思うのか?を促す余裕があります。
けれども実際問題、立ち上がるのはその本人の意思に大きく左右されるので、どこまで救いの手を差しのべるのかは重要ではなく、きちんと手をとる勇気を持たせられるか、も大切ではないか、と思いました。
だからこそ、私は観劇中に「先生」がたが一生懸命にいじめを再現しようとしているシーンが一番寒く、理解しようとすることは良いけれども、側だけを知ったとしてもそういうことではなく、根本的な心の有り方として、「先生」たちはいじめをわかることはないんだろうなと思っていました。
ここで、実際に「先生」たちが馬場くんに言いくるめられたりもするのですが、これは「先生」が他者に対してどこまで手を差しのべるかという問題点への切り込みです。
宮沢賢治が誰かを傷つくところをみる痛さより、自分を傷つけてくれたほうが痛くないと極端なことを言い出すシーンも印象的です。
他者への献身は、どこまで行うのが正しさなんでしょうか?
それは主人公にも言える話です。
ここで主人公が冒頭で、学校におくられてきた「いじめがある」という匿名のメールに対して、全クラスをまわり親と話し、なんとかしよう、と行動していることが効いてきます。それどころか、過去の精算をするように後輩の先生であるお疲れちゃんにも迫るのです。
ここで主人公にも一種の狂気があることがわかります。それから自分は幸せになってはいけないのだと溢す心意もわかってくるのです。
脚本が珍しいなと思った点は、主人公が過去にいじめに荷担したと葛藤している、言うなれば「加害者」という立場で、教職についているということです。
いじめをうけたから、あの時助けてくれた先生に憧れて…ではなく、1人が失くなってしまった事実を考えて考えて成長した今がある大人なのが、ミソだなぁと。
ここで一人の命の重さが、どれほどまでに主人公を変えたのか、ということにも繋がるような気がしました。
主人公が何度も、過去の行いが今に繋がるというような台詞を言います。
これは本当にずっとずっと戒めのように彼を縛ってきた思いなのだろうなと思います。
結局、「先生」も馬場くんも主人公の作り出した存在です。だからこそ先生は馬場くんに言いくるめられてしまうのだろうし、馬場くんは主人公のことを一生許さないのでしょう。
けれども恋人と馬場くんのことを話し合った時に変化が起こります。
ここも演出としておもしろいなぁと思ったのですが「後悔」が形をとって生まれた姿は同じ馬場くんでもそれぞれに違う顔があって、その人の前で生きていた馬場くんなのです。
なんだかそれがとっても心に刺さりました。
やっぱり彼だけはずっとずっと中学生のままだということが、彼はもう一生成長できないということが。
この舞台は台詞ひとつひとつがまっすぐな光を放っていて、良い意味で配慮がありませんでした。
なので、私なんかは結構くらってしまい、涙が溢れるシーンが何度もありました。
そう思えているのは自分がこれまでに素敵な人々に会い、暖かい世界のなかで生きているからで、それが今の自分を育ててくれていたからです。
河合と馬場くんのお父さんとの会話のシーンはずっと泣けていました。
償うということ、身近な死と向き合うこと、さまざまな感情がそこにはつまっていて、良い悪いでははかれない重みがありました。
いじめについても、ハッキリとした善とした答えはでないままです。
けれども、その業に向き合えるのは自分だけで、今の行いが未来に繋がることは確かです。
強く強く「生」を感じる舞台でした。とても良かったです。
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