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渋谷社会部 多世代共生、コミュニティ、心動くデザイン

出演/
 小林幸一郎さん(NPO法人 モンキーマジック代表理事)
 水谷理さん(NPO法人 モンキーマジックコーディネーター)
 中村俊介さん(NPO法人バブリング スタッフ)
 磯村歩さん(株式会社グラディエ 代表取締役)
 
編集/
 西山真莉絵
 
テキストライター/
 株式会社アスカ21 https://www.asca-voitex.jp
 
2017年2月14日(火)9:00-11:00放送
 
小林:おはようございます。ここからは渋谷社会部ということで、毎月第2火曜日は私NPO法人モンキーマジックの小林がここ渋谷駅新南口からすぐですね。渋谷のラジオのスタジオから生放送でお届けしています。
87.6メガヘルツ、ここから2時間またをお付き合いいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。きょうもですね、ゲストの方を一人お迎えしております。後ほどご紹介しますけれども、放送自体はですね、私モンキーマジックの小林とそれから。
 
中村:モンキーマジックのファン、ナカムラシュンスケです。
 
小林:ファンって分かりにくいけどファンです。ナカムラくんです。よろしくお願いします。
 
中村:はい。よろしくお願いします。
 
小林:私は、NPO法人モンキーマジック、一体なんなんだろうという方もいらっしゃると思うんですけれども、主に視覚障害者の方が今は中心になっていますけれども、障害をお持ちの方を対象としてですね、クライミングの教室を開いたり、それから障害のある方もない方もいろんな方が参加できるクライミングイベントを開催したりというようなことを行っているNPO法人がモンキーマジックです。
私も視覚障害で目が今あんまり見えなくてですね、どうもここのスタジオっていうのは目の前に大きなガラスがあってですね、外がよく見えるらしいんですけれども、私はそんな外がなんとなくちょっと明るいくらいが分かるくらいの見え方でして、私にとってラジオはとっても大事な生活の情報源となってるものなんですけれども、そんな自分がこんなラジオに出させてもらってて、またお伝えする機会ももらえててですね、去年の4月から始まったんですけれども、毎月毎月楽しい時間を過ごさせてもらっておりまして、聞いておられる皆さんとってもちょっとは楽しい時間だったらいいなというふうに思ってます。毎回ですね、このコーナーの中では最初に私たちの法人の活動の事をちょっとだけお伝えさせてもらってるんですけど、きょうは。
 
中村:はい。二つトピックスがございます。一つ目が先日行われました日本選手権のお礼ということで。
 
小林:そうですね。これ何かというと、実は先月の放送の時とかに何度もですね、1月の22日東京の明治大学で障害者のクライミング、パラクライミングの日本選手権というのが開かれますと。
ぜひ皆さんたくさんの方に応援しに来てもらって盛り上げてくださいというお願いしてたんですけれども、それがたくさん盛り上がってですね、大成功に終わりました。私も無事にですね、視覚障害視覚障害のですね、クラスっての三つ視力の程度に応じてあるんですけれども、そのあの Bワンっていう一番視力の悪い。悪いというか、見えにくいBワンっていう全盲のクラスでですね、おかげさまで金メダル取ることができました。
 
中村:お。おめでとうございます。
 
小林:(中村)シュンスケ、これ金メダル。
 
中村:あ、すごい。目の前に今金メダルありますけども。あ、パラクライミング日本選手権大会2017優勝。おお。おめでとうございます。
 
小林:なんかね、ずっしりと結構重いメダルで。
 
中村:本当ですね。
 
小林:クライマーが登ってるデザインが。
 
中村:そうですね。
 
小林:されてるそうですね。
 
中村:はい。おもて面にクライミングの形がありますね。
 
小林:はい。ということで、毎年1回、私たち障害を持つクライマーのですね、発表会というような形のコンペです。来年も、2018年も開催されるもちろん予定になってまして、この毎年行われる大会は海外の大会に日本代表として出れる選考大会にもなってますので、緊張感を持って頑張れるというふうに思って頑張りましたので、これ金メダル取れてとっても嬉しい。いい報告ができましたので一安心という感じです。本当に皆さん応援いただいてありがとうございました。
 
中村:ありがとうございます。そして二つ目のトピックスは、交流型クライミングイベントということで。
 
小林:さっきモンキーマジックどんな団体なのというご説明したんですけれども、主に障害持ちの方に教室を開いたり、それからもう一つ、障害のある人もない人も一緒に参加できるイベントいうことだったんですけど。
実は私、前回のこの渋谷のラジオの放送の時は、大阪から夜行バスで帰ってきて朝着いてそのままこのスタジオに来ました。
 
中村:うん。ハードでしたね。
 
小林:いやいや、ね。そのあとちゃんと風邪ひきました。
 
中村:あ、そうですか。すごい。
 
小林:それで今回はきのう高知から帰ってきて、それで夕方から毎月やってるイベントに参加して、で、今朝を迎えてるという形なんですけど。
これなんのためにそんなあっちゃこっちゃ飛び回ってるのかっていうふうに言うとですね、私たち、実はきのうの夜やってたイベントもそうなんですけれども、障害がある人もない人もクライミングを通じてお互いの理解を深めるような機会を持とうよというようなイベントをやってます。
クライミングっていうのは障害があってもなくても、おじいちゃんでも子供でも、男の人でも女の人でも、外国人でも、みんなが一緒に楽しめるスポーツです。スポーツっていうと、どうしても早くできたらいい、相手に勝てばいいとイメージがあると思うんですけれども、そういうものがなくて、自分の目標に向かってそれぞれが頑張ることができる。だからみんなで応援し合えるし、みんな悔しがれるし、そういう気持ちの共有ができるスポーツなので、なのでその人の持っている体の能力とか、それから例えば背の高い低いとか、そういうものもそうですね、が関係なく楽しめるということでやっていて、それこそがダイバーシティって最近言われるようなものの理解にもつながるんじゃないかな。
 
いろんな属性の人がですね、一緒に暮らしていけるような社会に近づけるんじゃないかな。で、クライミングがそういうあるべき社会の縮図になってるんじゃないかなと思っているので、そういうことが経験できる機会、場所を増やしたいなということで、今そのイベントの場所を僕ら全国で増やしていて。なので、先月も大阪から、きのうは高知から帰ってきて、東京でもそういったイベントをやってました。
これからの全国でまたこういう場所を増やしていきたいなと思ってます。具体的には今、札幌、仙台、そして東京、茨城のつくば、それから名古屋、大阪、高知、福岡と各地でこのモンキーマジックの仲間たちが交流型のクライミングイベントを増やしてますので。渋谷っていうとやっぱり全国からいろんな方が集まってる街で、例えばご実家が今お話したような地域の方もいれば、それからたまたま来て聞いてもらってる方、それから今だったらアプリを通じて全国でこのシブラジ聞いてもらってる方いらっしゃると思うので、クライミングに興味がある方、それからクライミングやったことがあるんだけど、もっとその世界広げてみたいなんていう方は、ぜひモンキーマジックにアクセスしてもらってですね、情報を取って、それぞれの地域で皆さんが参加できる場所として、この交流型のイベントを楽しんでもらえたらうれしいなというふうに思ってます。
 
ちょっと長くなっちゃったんですけど、私からの今月のモンキーマジックのトピックは二つ。日本選手権、応援ありがとうございましたということと、交流型のクライミングイベントっていうのをモンキーマジックでやってます。皆さん参加してくださいっていうお願いが二つでした。ありがとうございます。お聞きいただきました。メインゲストの方、お話はまだかよと思ってらっしゃる方たくさんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども、改めてのご紹介したいと思います。
今月のゲストはですね、磯村歩さんがゲストです。ちょっとじゃあ、磯村さん。改めまして、おはようございます。
 
 
 
磯村:
 
おはようございます。
 
 
 
小林:
 
よろしくお願いします。磯村さんとの出会いはもう10年近く前になるんですけれども、たまたま私がこのモンキーマジックの活動始めて本当に間もなかった頃だったと思うんですけれども、ある勉強会というのに共用品ネットワークというところが主催している勉強会があると。そこで毎回ゲストスピーカーにちょっとだけの講演会チックに話をしてもらうので、あなた出てくれませんかとお声かけをいただいて、たまたま行った先に、その講演会のあとに毎回分科会みたいな形でテーブルを分けてワークショップやってて、僕がたまたま「小林さん、こちらに座ってください」っていって座らされたテーブルにいらっしゃったのが、磯村さんで。その勉強会を仕切ってらっしゃるし、横にいた外国の方に英語で全部それを通訳してるし、なんてすごい人がいるんだろうと思って出会ったのが磯村さんでした。ここまで話すると一体どんな人かよく分からないと思うので、すいません、磯村さんちょっと自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
 
磯村:はい。株式会社グラディエの磯村と申します。デザイナーです。どんなデザインをしてるかというと、ユニバーサルデザインだったりとか、さっき出てた団体の共用品というのは、共に用いるしなと書くんですけどね。障害者も健常者も共に用いられる商品を考えるという、そういう市民団体の出会いだったんですけれどもね。そういったことをテーマにしたデザインをしています。あと何話しましょうかね。あとは話の流れに応じて。
 
小林:そうですね。そのグラディエっていう会社の中で、その共用品っていうのと同じようなテーマでいろいろな開発をされてらっしゃるということなんですね。
 
磯村:そうですね。
 
小林:もともと磯村さんはご自分でその会社を立ち上げてやってらっしゃったわけではなくて、前職がおあり。
 
磯村:はい。以前は富士フイルムのデザイナーをしてまして、20年ほど勤めてました。プロダクトデザインで、デジカメから医療機器とか、当時、印刷機器といって、実際は印刷するうえでの輪転機のちょっと手前ぐらいの商材を結構富士フイルム持っていて、そういったもののデザインとか、そんなことをしていて。富士フイルムの後半はユニバーサルデザインの提案だったりとか、あとはユーザビリティというふうに言うんですけど、使いやすさの研究だったりとか、そういったものを富士フイルムのキャリアの後半ではやってましたね。
 
小林:今のお話の中でいくと、ちょっとその使いやすさとか、ユニバーサルデザインとか、そういうところからなんかさっきご紹介いただいた、株式会社グラディエの中で共用品という言葉が出てきましたけれども、そこにちょっとつながってくるのかなというふうに思うんですけれども。
 
磯村:グラディエという会社の名前は、実はグラデーションから取った造語なんですけれども、いろんな、多様な色が混ざってグラデーションって成してますよね。そういった社会に貢献したいというのが会社の思いとしてあって、そういった意味では富士フイルム時代ユニバーサルデザインとか、そういったものがずっと今現在も一つの僕の思いとしてはつながっていると。
もう7、8年前に会社辞めて、独立開業するまでの間に実はデンマークのほうに留学をしていて、当時、富士フイルム時代、ユニバーサルデザインを推進をしていながらも、どちらと言えば便利さだったりとかね。それこそ文字を大きく、ボタンを大きくすればなんとなく使いやすくなるだろうって。それも一つあるんだけれども、ただ一方でそれによって逆に使いにくかったりとか、逆にそういうふうな形状にした途端違うユーザーにとってみればあまり好ましくないような現状になったりとかね。そのユニバーサルデザインというのは、いろんな多様な人たちに使ってほしいが、ただ通常の商品というのはあるセグメンテーションしてそこに向けて企画を立てていくもので、いろんなユーザーに使えるっていった途端、実は誰にとっても、誰に向けた商品なのかが曖昧になるっていうね。
だとするならば、そのユニバーサルデザインって果たしてどういった方向に向いていくべきなんだろうかみたいなことをちょっと少し若気の至りでいろいろ悶々とすることがあって。でね、デンマーク世界一幸せな国だといわれてたんです。今も社会保障が充実していて、自己決定権が尊重されてる、そういう理念も国にあって、ユニバーサルデザインとは高らかには言っていないが、誰しも幸せになることが一つの目的だとするならば、そういったいろんな取り組みがされていて先端事例だといわれてる国は一度やっぱ見ておかないと、今後の僕のある意味デザイナーとして進むべき方向みたいなものを考えてくためのなんかレファレンスにしたいな、参考にしたいなということで行ったんすけどね。
 
小林:ちょっと僕今の話聞いてて、僕が磯村さんにお会いして間もなかった頃に、磯村さんによく、僕分からないんで教えてくださいって聞いてた質問をちょっと思い出してたんですけど、もともとはが富士フイルムにいらっしゃって、デジカメのデザインをしたり、さっきの印刷機器のデザインをしたり、使い勝手を考えてたり、プロダクトデザインという言葉でさっきそういうのをお話ししてくださったんですけど。
今のだんだんデンマークに留学してっていうお話の中で、ただものをつくるとかそういうものだけじゃなくて、なんかデザインていうものの考え方、幅が広がってきたような感じ。だからつまり仕組み、社会の中流れとかそういうものになんかデザインって言ってた言葉が広がってきたような気がしたんですけど、僕が磯村さんに伺ってたのって、デザイナーって一体何やってる人なんですか。でも僕らが思うデザイナーっていうのは、例えばモンキーマジックのTシャツのデザインを考えますとか、それこそデジカメの形をかっこ良くしますとか、あとかっこいいスポーツカーつくりますとか、そういうのがなんかデザイナーっていうイメージなんですけど。なんか今のお話とか聞いてても、なんかデザイナーってもっとなんか幅の広いイメージが出てきたし、一番最初に磯村さんもご自身のお仕事のことをデザイナーですっておっしゃってくれたんですけど、そもそもデザイナーっていうのは一体どんなことをお仕事にしてる方たちのことを指してるんですか。
 
磯村:学校で勉強することは例えば図面の書き方だったりとか、それこそスケッチだったりとかね、そういったことはベースとしてやっぱり習うんです。ただ次のフェーズになってくると、一つのプロジェクトを簡単にその市場調査をして、セグメンテーション、ターゲットを決めて、コンセプトを決めて、ようやくものの形みたいなことに入っていくんですよね。もともと今のデザインの解釈っていうのは、車のフォードだったりとか、GMだったりとかが、いわば設定者が全て外観も含めてやっていた時代から、マーケティングの手法としてデザイナーという職種がどんどん確立されてきたのが一つ背景にあるんですね。結局中身はさほど変わらないんだけれども、その外観を変えることで需要を喚起させたりとか、また買い換えたくなったりとか。
 
小林:かっこいいものをつくったらちょっと欲しくなる。
 
磯村:そうですね。ええ。そういうマーケティングの手法としてのデザイナーの役割が比較的分かりやすいもんだから、そういう認識が広がってるというふうに思うんだけれども、ただちょっとその視点を広く捉えるならば、デザイナーっていうのは例えば車というものに対して、人にどういうふうな感じ方をして欲しいか。コミュニケーションとってほしいか。というものと人との関係性を作り上げていくのが仕事だというふうにちょっと広義で捉えると、その売らんがためのマーケティング手法としてのデザイナーもそれも一つ役割としてありながら、やっぱり違う目的のためにデザインを使うというのも当然あり得るわけですね。
 
小林:ものが売れるっていうことのためだけにデザインではなくて、もっともっと広範囲の見方がある。
 
磯村:ええ。
 
小林:なるほど。はいはい。
 
磯村:それで僕自身は富士フイルム時代に結構印象に残ってるエピソードがあって、ユニバーサルデザインやっている頃に視覚障害の方、いろんなその、「写ルンです」のユニバーサルデザインを考えるようっていうそういうテーマがあって。
 
小林:売れましたね。みんな旅行に行くっちゃそこらで「写ルンです」買って、とりあえずカメラ忘れたからって言ってね。使い捨てカメラですよね。
 
磯村:女子高生、女子大生含めて結構はやったんですよね。そのユニバーサルデザインを考えるというときに、当然そこにはいろんな特性の人を想定しなきゃいけないでしょうと。視覚障害者、聴覚障害の方、高齢者。それで調査してく中で、視覚障害の方が「写ルンです」を使ってるということ聞いて、いろいろヒアリングをしてみたところ、そもそも何でこう視覚障害の方が目が見えないのになぜ「写ルンです」使うんだと。
 
どうやら旅行先で「写ルンです」を持って行って撮影して、撮影したものを家族に見せるっていうコミュニケーションツールとして使ってるっていうんだよね。そうすると、こんな所行ってきたんだよとか、「えー。結構すごい天気良かったのね」とか、言葉では伝えきれないいろんな視覚情報がコミュニケーションとして使えるみたいなね。「あ、綺麗なとこだったね」みたいな。
 
そこでなぜ「写ルンです」だったかというと、「写ルンです」ってを巻き上げの時にギーギーギーって。さらにシャッターを押す時にガシャっていう触覚と音とで全ての操作が分かってしまう。かつ、通常のカメラはオートフォーカスでピピッとある対象に向けてきっちり向けないとピントが。逆に対象向けてピント合わせることで撮りたい対象がきれいに写るっていうための機能なんだけど。
 
小林:半押しっていう。
 
磯村:そう。半押しですよね。半押し。ただ視覚障害の方半押ししたら全然合わない。
 
小林:何にピントが合ってるか分からないですからね。
 
磯村:そうなんですよね。それで旅行先で視覚障害の方、お友達と一緒に行くと。「磯村さん向こうのほうの景色きれいだよ」って、「あ、そうなの。じゃあ、ちょっと家族に見せたいからとりあえず1枚撮るね」って。当てずっぽうでそっちのほう向けてガシャって撮るわけです。
「写ルンです」は手前から奥までピントがパンフォーカスといって機械的に電動で動くような機構がないのがある意味幸いして、どこに向けてもシャッターが下りると。その時に思ったんですが、僕は目の見えない人の不便さを調査してたつもりだったんだけど、新しい「写ルンです」の可能性を気付かせてくれたというのが、なんか印象としてとても強くて。
 
だから障害者のため何かデザインをしてあげるというなんかちょっと上から目線的なものづくりではない、お互いインスピレーションを得ながら新しいそのイノベーションというか、クリエーションが生まれる可能性がなんかその多様な特性の人との関わりの中で生まれ得るじゃないかっていうのがね、デザイナーとして可能性を感じたんですよね。
そこからユニバーサルデザインだったりとか、さっきの使いやすさ、ユーザビリティーだったりとか、そもそも幸せな国といわれてるデンマークはどういうふうに生活していてとかね、いうふうに多様な特性の方に対する興味から、それに類するいろんなキーワードの活動に興味が広がって今の活動につながってるって感じなんですけどね。
 
小林:そうすると、磯村さん自身はもともとプロダクトデザイナーとしてやっていたところから、いろいろな「写ルンです」の結構経験とかがあって、気付きがあって。その単なるプロダクトデザイナーとしてではない形のものにいろいろ関わってくわけですけど、そうするとデザイナーってどんなことをやってる人たちなんですかって。
全然さっき言ったTシャツの絵書いてる人がデザイナーなんですよねとか、スポーツカーデザインしている人がデザイナーなんですよねって言ったとすると、デザイナーっていうのはほかにどんなことを考えやってる人がデザイナーなんですかね。
 
磯村:それぞれのデザイナーの役割があるので、どれも否定するものではなくて、それぞれの存在意義があるとは思うんですが、例えばね、最近コミュニティデザイナーっていうのがあるじゃないすか。
 
小林:コミュニティデザイナー?
 
磯村:コミュニティデザイナー。いろんな人とのつながりを。
 
小林:地域づくり。
 
磯村:そうですね。つくり上げて、あるまちづくりの活動にどんどん展開をしていく。デザインする対象はいろいろあっていいと思うんです。グラフィックやってもいいし、さっきの人づくりっていうのでコミュニティをつくってもいいし、ユニバーサルデザインで多様な人たちの使いやすさだったりとか、そんなことをしてもいいと思うし。
 
核となるデザインのバリューって何かと言うと、それはビジュアルを見たときのその人と物との関係性に収斂されるんだけど、何かを見たときにいいねとか、魅力的だねとか、ちょっと心を動かされる瞬間って対象に限らずいろいろありますよね。そういったものを生み出すのがある意味デザイナーだと僕自身解釈してるんです。
 
小林:なるほど。
 
磯村:そうすると、コミュニティデザイナーでいってるその魅力的なものっていうのは何かと言うと、あ、あの活動面白いね。いいねっていうね。
 
例えば同じ高齢者の就労機会提供という社会的な目的に対しても、切り口によって興味が湧く湧かないってなんかあると思うんですよ。例えばおばあちゃんが1点1点オーダーメイドで帽子を作るとかね。単純におばあちゃんが毛糸で手作りをします。それをいろんなお店で売りますじゃなくて、あなたの好みだったりとか、思い応じて、おばあちゃんが1点1点手作りで唯一無二のものを作ってくれますとかね。そうすると、ちょっと単純に毛糸の帽子を編むのにでも、それを受ける側の感覚ってちょっと変わってくる気がするんですよね。
 
コミュニティカフェもいっぱいあるとは思うんだけれども、それも例えば単純に多世代が集まるじゃなくて、そこに行くと例えば高齢の方が何か先生としていろんなものを、ノウハウを提供する。それを例えば若い世代は無料でそのノウハウを得られるとかね。単純に人集まりましょうじゃなくて、何か一つ魅力的なコンセプトすっと真ん中に立ててあげると、いいね、面白いねっていう。それで人が集まってくる。
だからそういう結局はデザイナー何かってるかっていうと、ある対象、デザインする対象に対して、人がどういうふうなインタラクション、関係性を用いるかっていうところをクリエイトしてるというふうに定義すると、別に絵を書いてるだけがデザインじゃなくて、コミュニティもデザインの対象になるし、ひょっとしたらデザイナーっていうのは、その関係性生み出すためには、絵を描くこと以外の手段を選ばざるを得ないよね。
 
小林:逆に言うと、絵を描くだけではなくて、さらにそこに付加したものを付けてくことで、それがさらに大きなデザインの力になって社会に歩いてくっていうような感じになっていくわけですよね。
 
磯村:そうなんですよ。もう一つね、デザイナーというのは例えば絵を描いて、それでコミュニケーションを取れて極めてベーシックなプロセスを勉強として学んでるんだけれども、実はそこには今言った要素がかなり収斂(しゅうれん)していて、集約されていて、絵を描くって行為っていうのは、あるいはそのロジックではなくて結論をそこで提示しているということね。かつ、その結論をパッと一目で見て人は判断するというそこをコントロールしようとしてるっていうことね。
 
小林:良し悪しをとか、好みをそこで判断。なるほど。
 
磯村:いわばエンジニアリングだったりとか違う領域の方々は、ある意味ロジックでいろんなものを積み上げていって、それがいいか悪いかっていうのは市場調査がこうだったからいいでしょうとか、会社のコアコンピタンスがこうだからいいでしょうとか。
 
小林:コアコンピタンスというのは?
 
磯村:技術のドメインというかね、その技術の一番核となってる、競争力を持っている事業領域だったりとか、テクノロジーのことなんすけれども。ある理屈を持って相手に理解をいただくというのがほかの領域の方々だとすると、デザイナーっていうのは繰り返しになりますけど、パッと見ていいねっていう一瞬のインタラクションでその気持ちを変化させなきゃいけない。
 
それは絵を描くという行為に収斂されていて、だから比較的デザイナーといわれてる職種の人はそういうどんなものを対象にしたとしてもパッと見ていいね、ワクワクするねというそういうことを現場でやってるという意味で、デザイナーという職種が最近いろんな場面で注目されてる。
 
小林:なんかやっぱりそれでも多くの人は、何多くかですけど、さっき言ったかっこいいスポーツカーだったりとか、いけてるTシャツのグラフィックだったりとか、そういう絵だったり形だったりとか、そういうようなものに「いいね、このデザイン」っていうふうな言葉を使ってしまうから、それこそそれってある意味目に見えているものだと思うんですけど。
 
世の中の仕組みとか、今のコミュニティだったりとか、社会、ソーシャルだったりとか、そういうもののデザインって目に見えなかったりとか、時間がたってまちが変わってきてとか、なんか人と人との関わりから生み出される別の形になって目に見えてきたりとかするものだから、そこにデザイナーが関わってる、それがデザインの力だっていうふうに言われても結構ピンとこない人のほうがやっぱり多いような気もするから、僕らが思ってる以上にデザインって、デザイナーっていうのって、すごい深いものなんだなってこうやって説明されると初めて分かっていく気もしますね。なるほど。面白い。
 
ちょっとまたどんどんと掘り下げていろいろ聞かせてもらいたいと思うんですけど、ちょっとここで曲をいつも大体30分ぐらいするとですね、1曲ちょっと流させてもらおうかなと思うんですけど。この渋谷の社会部、この4月から始まって毎回毎回1曲目は、私たちNP法人モンキーマジックいつか必ずコラボレーションしたいと思って、それは実現すると信じてやまない皆さんご存じのボーカルが、カナダ人の皆さんのアーティストですね。
モンキーマジックの曲を流すんですけど、きょうはですね、モンキーマジックで「木を植えた男」。
 
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モンキーマジックで「木を植えた男」とうことでお送りいたしました。渋谷社会部、私NPO法人モンキーマジックの小林が毎月第2火曜日送りしております。ここはですね、渋谷駅新南口からすぐの渋谷のラジオのスタジオです。87.6メガヘルツ、ぜひ皆さんこれからも引き続きですね、お聞きいただきたいんですけれども。
 
毎月ゲストをお呼びしてまして、きょうは株式会社グラディエの磯村歩さんにお越していただいてます。引き続いてよろしくお願いします。ここまでですね、磯村さんどんなお仕事してるんですかっていうお話とか、ここまでのどんな仕事をしてきたんですか、それからデザイナーって一体どんなことをするお仕事なんですかなんていうことをちょっといろいろ分かりやすく紐といていただいたんですけれども。
前職は富士フイルム、誰もが知ってる一部上場大企業で約20年お勤めだったということだったんですけど、そこ辞められて起業されたっていうことなんですけど、なんでそんな荒波にこぎ出したのかっていうのはすごく興味のあるところなんですけれども、なんで会社辞めてご自分で起業しようと思われたんですか。
 
磯村:なんででしょうね。でも、少しずつ自分の気持ちが高まっていって、その会社の組織としての魅力もあるんですけどね。大きな資本で全国に展開できて、それによる社会的な影響もやっぱりそれなりに大きくて、それもそれでとても魅力あったんです。
ただ一方で、会社ってやっぱ組織としていろんな職能で分かれていて、その職能での役割を演じることがやっぱり組織運営上は求められますよね、当然。でも一方で、デザイナーというのが対象はなんでも良くて、ワクワクするものを生み出すっていうことになった時に、そうするとデザイナーとしての手段はもはやグラフィック以外のいろんなものが手段になり得てしまうわけです。
ワークショップやったりとかね、事業コンセプト考えたりとか、ロゴ考えたりそういうの。そういう動き方をやっぱり大きな組織だと難しくて、もっと自分としてデザイナーの領域を広げてチャレンジしてみたいっていうので独立して起業してみようと。
 
小林:一番最初に僕、磯村さんにお会いした頃はまだ富士フイルムの人だったと思うんですよね。やっぱりその最初にお話した共用品ネットワークというところのワークショップでお話しした当時っていうのをちょっと思い返すと、もうその頃からやっぱり着々と約20年っていう企業人だからできることっていうものを経験として踏まえて、次にその20年を生かして自分自身で新しいチャレンジというか、をしていく準備を積み上げてたのかなって今思うと思うんですけど、やっぱりそんな感じだったんですか。
 
磯村:そうですね。確かコバちゃんと最初にあった共用品の団体のときも、話し合ってるテーマは確か障害の方にどう伝わる、プレゼンテーションがテーマだったと思うんですよね。
当時はまだ富士フイルムにいて、実は僕は障害の方に伝わるプレゼンテーションの本を構想していて、そのための打ち合わせだったの。その本はちなみどんな本かというと、「感じるプレゼン」というタイトルの本で、ページを開くと左側にプレゼンテーションしてる僕がいて、右側に視覚障害者、聴覚障害者、高齢の方、色弱の方がいらっしゃる、そういう特性の方を演じてる僕が4人くらいてって本だったんだけどね。
そうすると、そのいろんな特性の人が、僕のプレゼンテーションをいろいろ「ちょっと。ちょっと。文字が小さい」とか、「僕は口の動き見てるんだから、もうちょっと顔上げてプレゼンテーションしてください」とか、そういうことをツッコミを入れるんです。右側のね、いろんな。ページをめくっていくと徐々に良くなってくるっていうプレゼンテーションが。でもさらに新しい課題が出てきてとか。そういうプレゼンテーションの本を在職中に出版しましたかね。
 
小林:あ、あれは在職中に出版されたんですか。
 
磯村:ええ。そうなんです。そこからやっぱり本っていうのは自分のプロフィールがある意味自動的にいろんな方に手に取ってもらう。そうするとね、ネットワーク広がるんですよ。付き合いが広がる。通常の会社の関係性の中では得られないようなお付き合いとかが生まれて、それでちょっといろんな刺激を受けて魔がさしてしまったみたいな。
 
中村:つい魔がさして起業。
 
磯村:会社の中にいると起業っていうのはもう全然想像すらできないことなんだけれども、そういった人が外に出るといっぱいいるでしょ。当然ね。当たり前のことなんだなみたいな。今いるシェアオフィスもある意味全員起業している人たちですよ。
 
小林:あ、もともとは企業に勤めてるらっしゃって。
 
磯村:企業勤めていて、それで自分で会社を起こしてフリーランスやってたりとかね。そんなのが何十人、何百人といるわけですよ。
そういう環境の中にいると、別に同じ会社にいることが唯一の選択肢ではなくてというふうな感覚に徐々になってしまったんでしょうね。
 
小林:僕だから、磯村さんが「感じるプレゼン」を出版されて、しばらくしてちょっと磯村さんとご一緒にちょっとお仕事できたらいいねって回ってた時期に、名刺代わりにって言ってご自分の本を差し出してたのをすごく印象的で。なるほどって思って、やっぱりご自分のことをごあいさつして、お世話になりますって名刺を渡すだけよりも、「これぜひお読みになってください。私こういうことしてます」っていうふうに渡すことで、相手に自分のこと伝えるっていうのは、ある意味そのサラリーマンではない自分だから、自分のことを分かってもらうのは、すごいバックボーンを理解してもらうのは大変なわけで、それを分かりやすく伝えるツールとして、うわ、めっちゃ分かりやすいと思って。しかもあの本のタイトルですよね。分かりやすい。「感じるプレゼンテーション」ですもんね。ぜひ見てもらいたいです。
 
中村:見たいです。はい。
 
小林:超面白い。だからすごく独立される、起業するに向かってくプロセスが、今こうやってどんどん話してくといろんなことが思い出されて、本当に荒波にさっきは出るって言ったんですけど、でもなんかこう着々と準備されてた感じがすごいしたんですけど。
 
中村:企業内に勤めながらもそういう本を出せるとか、一見すると結構自由に働いていたのかなっていう気持ちもして、企業に勤めながら自分のやりたいことをやるっていうこともできていたんじゃないかなっていう気もしたんですけど。
 
要は今で言うプロボノという形で、平日は会社員、土日は自分のそういう活動したいことみたいな。そういう活動じゃなくてあえて起業っていうのはなんかあったんですか。
 
磯村:あとは僕自身の好みだったりとか、やりたいことだと思うんですけどね。
ちょっと繰り返しになりますけど、組織に中にいて大きな資本でやれるその自己実現も、これは魅力的なんです。僕自身はそれを全く否定もしてなくてチャンスがあればぜひそういったこともしたいと思ってる。
ただ、大きな人生の中で20年間一応そういった組織にいさせていただいて、そういったチャレンジをやらせてもらってたんですよね。そうしたときに、そのままいるという選択肢も当然あるが、やっぱり自分自身で何か事業起こして展開するというのもやっぱりやってみたかった。単純に。そういったものが会社の中で活動しながら徐々に自分の中で芽生えてきた感じだと思いますけどね。
 
中村:なるほど。
 
小林:いざ、その会社に退職願を出して、引き継ぎじゃなんじゃかんじゃして辞めることになりましたと。たぶんお辞めになる前から準備されてたのがあったと思うんですけど、一番最初にやったことってなんだったんですか。
 
磯村:ホームヘルパー2級の資格を取ったんです。なんでかと言いますと、デンマークに行くことはもう決めていたんですよ。
 
小林:そうですね。さっき最初にお話出てましたよね。デンマークに留学だったんですか。
 
磯村:留学ですね。その行ってる学校もまた非常に面白いんですが、それでデンマークに行くと。デンマークで学校に行くんだけれども、デザイン学んでも仕方がないなっていうのはあって。
 
小林:もう20年ガッツリやってきたから。はい。
 
磯村:うん。何をしたいかっていうと、デンマークの生活を見てみたい。できれば多様な人たちが混ざってる生活を見てみたい。
 
小林:その世界一幸せだっていう国の暮らし、人々を知りたい、見たい。なるほど。
 
磯村:その時に日本人を受け入れてるエグモント・ホイスコーレという、これが別名スクール・フォー・ライフと呼ばれてる、デンマーク人大体18歳ぐらいになると、大学行くか、就職するか、そのホイスコーレっていうスクール・フォー・ライフって行くんですけれども、大体デンマークに80校ぐらい確かあると思うんですけどね。
 
カリキュラムとしてはカルチャークラブみたいな感じなんですけどね。もう陶芸やったり、ガラス細工やったり、ハイキング、スポーツいったり。学校によってはミュージックに特化、デザインに特化、インターナショナルな国際紛争に特化みたいなテーマあるんだけど、行った、僕の学校は、障害者と健常者が一緒に学び暮らし。かつ、障害者はデンマークってアシスタントヘルパー制度っていうのが当時あって、障害者は自分がヘルパーを雇って、雇うんですよ。
 
小林:お金を自分で払うわけですか。
 
磯村:払うのは自治体です。勤務管理を全部障害者がやるんです。この人はこの日に来てとか、この人はこの日に来てとか、自分のアクティビティ、目的に応じて、ヘルパーの特性に応じて就業管理をしてというのが、アシスタントヘルパー制度があるんだけど、それをその学校の中で体験をしてもらおうという。
 
大体160人学生の中で60人が障害者。結構しかも重度。それで入学すると、障害者は同級生を面接して誰を雇うか決めるんです。例えば3人とか4人とか雇いますよね。そうすると、この授業のときはこのAというヘルパー。でも同級生ね。そういうことが運営されてる学校で、カリキュラムとしてはさっきのスクール・フォー・ライフで、これからの人生を考えるための学校だから、どっちかって言うと広く浅くいろんなカリキュラムが用意されてるという。
 
小林:具体的にはそのスクール・フォー・ライフ、ホイスコーレはどのくらい期間が、例えば1年とか2年とか自分で選ぶんですか。
 
磯村:大体ね、半年タームくらいかな。そのまま長くて1年とかずっといる学生もいるみたいですけれども。だからちょっと、やっぱりこれからの自分の生き方を考えるモラトリアムの期間にそういう学校に入って、全寮制っていうこともポイントなんだけれども、それこそ寝食を共にして、対話をして、いろんな刺激を受けながらみたいなね。
 
中村:すごいですね。大学行くか、就職するか、そこに行くか。まだ自分の専門性とか、やりたいこと決まってない人とかが行かれるようなことが多い。いいですね。
 
小林:もともとそのホイスコーレの存在っていうのはご存知だったんですか。
 
磯村:いや、知らなかった。世界一幸せな国デンマークっていうことだけは結構残っていて、それで単純な旅行じゃつまらないし、ある程度長期で滞在するためにはっていうのでいろいろ手段を調べていく中で、そのエグモント・ホイスコーレが日本人を受け入れてたっていうところもあったんですけどね。それでも僕の目的にも合致して。
 
小林:なんか今や世界一幸せな国っていうと、僕の中ではブータンしか出てこないんですけど、確かに北欧っていうのは社会の仕組みとしての成熟していて、暮らしている人たちが幸せに。
で、みんなで支えあってるっていうイメージはとっても強いですよね。行ってみてどうだったんですか。
 
磯村:とても印象的なエピソードがあってね。障害者が一緒に暮らしてる。てんかんを持ってる学生、障害の方がいて、24時間で介助が必要なのね。いつ発作が起きて。その子は、一人で寝たいと。その日はちょっとヘルパーなしでいこうと。周りも分かった、っていうことで、ヘルパーがない時に限って発作が起こって死んじゃったんですよ。
 
日本だとそういったのって管理側の責任取られますよね。でも彼らは自分が自分の意思で生き方を決めた、その結果なんだというふうな捉え方するのね。自己決定権の理念っていうのが彼らの中でベースであって、社会保障とは違うそのある理念が彼らの中にベースであるから、実はそれがね、幸せの自己肯定感につながってるんですかね。
 
小林:なるほど。なんか今ね、日本だと、まさに今の話と逆のことが起きますよね。なんでもかんでもちょっと問題が起きると、なんか学校とかいろんな場所が申し訳ございませんでしたみたいな、そのシーンがテレビに映るみたいな。
僕、小学校の授業とかに呼んでもらうことがよくあって、最近子供たち雪降っても雪触っちゃいけないって言われるんですって。雪合戦禁止なんだって。
 
中村:なんでですか。
 
小林:雪がぶつかってけがするとか、擦り傷ができるからとか、痛いからとか。そうすると親からクレームが来るから。
 
中村:へえ、そうなんだ。
 
小林:雪で子供たちが遊ぶっていうのを禁止されてる日本っていう国と、今の、自分で判断して、自分で決定して起きた出来事も、社会も本人も周りの家族も受け入れるっていうところと、全くなんか幸せっていうものの考え方が違う感じがしますね。
 
磯村:うん。そうなんです。さっきデンマークは社会保障もベースにはなってるが、結局幸せというのはどんな状況であっても自分が幸せだと思えば幸せでしょ。自分の中にあるんですよ、幸せのコアは。肝は。
 
だとするならば、幸せになるためにはいかに自分自身が自分の意思を持って自分の行動を決められてるか。そういう社会環境を整えるかが幸せになる。
 
中村:あと30秒ぐらいでお知らせですけれども。
 
小林:めっちゃ面白い。僕なんか磯村さんが会社を辞めて独立してシェアオフィスに入って、みんな自分で決定してきた人たちの中に入ってったっていうのと、今なんかのデンマークの話とかちょっとずつかぶるところがあって、今のなんか磯村さんにつながってく感じがすごいある。
ちょっと後半の話がかなり面白くなってきました。サラリーマンのシュンスケくん、どうですか。
 
中村:もう勉強させていただきます。
 
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小林:改めましておはようございます。ここからは9時台から続きまして渋谷の社会部、きょうも第2火曜日は私NPO法人モンキーマジックの小林がお送りしております。
 
きょうのゲストは株式会社グラディエの磯村歩さん。そしてモンキーマジックからもう一人、ナカムラシュンスケくん。この3名できょうはお送りしております。そしてきょうもですね、この渋谷駅新南口から徒歩すぐですね。この渋谷のラジオのスタジオから生放送で2時間ですね。ちょうど今半分過ぎました。これ、ラジオはチャンネルって言う?
 
中村:チャンネルって言うんですかね。
 
小林:ねえ。87.6メガヘルツです。どうぞこのまま動かさずに、そしてアプリでも聞けるのでどうぞ遠方の方も、渋谷にいるうちにですね、ぜひダウンロードして聞いていただきたいと思います。
 
今ですね、お知らせの間もめっちゃ面白い話が、デンマーク話が続いてたんですけど、なんの話してたかって言うと、学校でどんな教育されてるのかっていう話をしてたんですけど。
日本と全然違うよっていう話で、一斉に前を見て日本式の授業みたいなのがないとか。それから試験をするかしないかっていうこと一つにおいても国民の議論が起きると。EUの中の一つですから、EUの仕組みをある程度利用しなきゃいけないんだけど、そこの一つに対しても議論が起きると。学校の先生に磯村さんがその試験は必要なんじゃないかって聞いてみると、いや、そんなの普段から見てれば分かるだろうっていうふうに先生に言われるというふうなことで、その試験っていう客観性と先生の主観とかが交錯するんじゃないのかなんていうような話をちょうど今してて、もうこっち3人、これちょっと今この話を聞いてほしいんですくらいの感じだったんですけど。磯村さん、本当にみんなそんな感じなんですか。
 
磯村:うん。主観、客観でいくと、先生にも主観があって、僕が驚いたエピソードで、僕二つ目の学校で今度はね、インターナショナルをテーマに、国際紛争をテーマにしたホイスコーレに行ったんですけどね。
 
小林:はい。国際紛争か。
 
磯村:それもそれで面白いんですが、そこでそれこそアメリカ、日本、ネパール、エジプト、パレスチナ、いろんな国から学生が来ていて。そのいろんな国の学生がいろんな例えばエジプトの女性は参政権がないとか、そういうイシューをみんなで議論するみたいな授業をずっとするんだけどね。その中でたまたまデンマーク語の授業があったの。
 
小林:デンマーク語の授業。はい。はい。
 
磯村:せっかくデンマークにいるからデンマーク語を習おうよみたいな感じで。
でもね、みんなデンマーク語を習う気さらさらなくて。っていうのは、英語が通じる国だから英語でコミュニケーションを取れるわけですよ。そうすると、みんな正直やる気はなくて、十五、六人いたかな。先生、デンマーク語の先生ね。デンマーク人。で、5回くらいやったあたりで校長が出てきて、この授業はキャンセルになりましたとかって。なんでかというと、皆さんが要するにデンマーク語を習う気がない、やる気がない、モチベーションがないと。そういう環境下で先生たる責務は担えないみたいな。
 
中村:えー。
 
磯村:で、キャンセルになったの。代わりの授業がそれであるわけじゃないんだけど。
 
小林:えー。
 
磯村:だから、先生にも主観があって、先生にも決定権があるの。日本って全然違うじゃん。なんとか学ばせようとするでしょ。
でもそうすると、なんかその主体と客体っていうのなんか逆転しちゃうじゃない。本当は学生が学ぶ環境で、学生が主体にならなきゃいけないでしょ。でも、そのうち学ばせなきゃいけないという、先生が一生懸命生徒を気を使って鼓舞するという、しまいにその授業の主体が先生になっちゃうみたいなね。
でも、主体は学生であって、その主体がやる気がないんであれば授業をやる意味がないっていうね。極めて合理的なんだけど、ただ日本人の感覚からすると、ただそれはさすがにほかの国学生も結構驚いてた。えー。授業なくなっちゃうの。先生。
 
小林:先生それで給料もらえなくなるんですかね。
 
磯村:それに関してどうなのかちょっと分からないけど、ただね、デンマークっていうのは昔はね、実は辞めても失業保険が確か6年くらい、以前はね、もらえるんですよ。しかもね、前の給料の半分保障。
 
小林:すげえ。
 
磯村:生活できるでしょ、そうすると。だからね、デンマーク人は大体5、6回平気で転職するわけ、人生の中で。職に対する捉え方が日本人と全くある意味真逆で、自分の人生の自己決定に応じて選択肢なんだよね、職業は。だからそういう感覚の中にいると、今授業をキャンセルするっていうのも、あんまり違和感がないかなって。
 
小林:なんなんだ、この国っていう感じですね。富士フイルムを退職されました。なんかやっと話が戻ってきました。
 
磯村:はい。すみません。
 
小林:いやいや。超面白い。シュンスケもさっきも聞いてたんですけど、もともとはベネッセにいて教育関係の仕事をしてたっていうから、すごいこれ面白いんじゃないかな。
 
中村:すごい興味深かったです。はい。
 
小林:磯村さん、富士フイルム退職されました。一番最初にやったことはホームヘルパー2級の資格を取り、そしてデンマーク約1年行かれたんですか。
 
磯村:はい。1年弱いました。
 
小林:約1年行かれて、私も実はその間に一度デンマークに会いに行ったんですけど。
 
磯村:はい、そうですね。
 
小林:で、日本に帰って来られて、さあ、いよいよお仕事が始まるわけなんですけど、最初はどんな感じの事業を動かし始めたんですか。
 
磯村:実はデンマークに行く前ホームヘルパー2級の免許を取ったっていうのは、日本の福祉とデンマークの福祉の環境をちょっと比べてみたかったってあったんだけどね。
日本で介護施設行くじゃないですか。もう高齢者しか当然いないよね。なんか生気のない。ちょっと申し訳ないですけど、どんよりした雰囲気なんですよ。俺、将来こういったとこ来るのかなってちょっとやるせなさというか。それでデンマーク行ったら障害者と健常者が混ざってるとか、そういう多様な社会がやっぱりいいなって思ったんですよね。
 
デンマークに行くホームヘルパーの資格を受講してる間、実は一方で起業の準備は進めていて、その時に最初あったプランは1960年代くらいの団地がいっぱいできて、当時の団地は結構間取りは小さくするのがトレンドで、でもそれが高齢化になると途端に使いにくい環境なの。だって広くてトイレまでの動線がスムーズのほうが要介護になったらやっぱり暮らしやすいでしょ。でも暮らしにくい環境が1960年代にできた団地はいっぱいある。それに対してリノベーションの事業をしたらどうかというのが最初のビジネスプランだったの。
 
小林:あ、そんなだったんですか。
 
磯村:それで、ある標準のサービスつくってすれば、リノベーションのコストも下がる、ユーザーにとってもいい、市場はいっぱいあるみたいなことでやったんだけどね。
 
小林:あ、そうなんだ。
 
磯村:ただ、デンマーク行って帰ってきて、じゃあそれやろうと僕の気持ちがね、あんまりのらなかったんだよね。実はデンマーク行って、さんざん自分が何を考えて、何を決定して、どう感じてるかっていうのを彼らの環境の中にいる中でそういうある意味いい意味での癖ができちゃったの。理屈じゃなくて、自分が本当にワクワクしてやりたいって思えること何っていうね。
 
小林:デザイナーのなんかさっきのね、話で、魂にいいねって言わせる感じなんだ。
 
磯村:うん。そう。結局自分がいいねって思わないと、人にもいいねって思わせられない。
 
小林:そうですよね。
 
磯村:それでデンマークでいいなと思ったことが二つあって一つが、パーソナルモビリティっていって、電動車椅子とかそういったものがね、いろんなところで活用されていて、またかっこ良くて。
 
小林:具体的に言うと、パーソナルモビリティってどんなものを今さしてかっこいい。
 
磯村:ウィキペディアいわく、一人、もしくは二人乗りの電動小型移動機器がパーソナルモビリティです。
 
小林:電動車椅子とかもそういうのに入るんですか。
 
磯村:入るね。
 
小林:なるほど。
 
磯村:どこで区切るかは結構その語る人によって違います。
 
小林:あれだ。立って乗るやつ。
 
中村:セグウェイ。
 
磯村:それも入りますよね。
 
小林:ああ。なるほど。
 
磯村:もう一つが、多世代共生っていうか、ダイバーシティの住環境。最初に行った学校が、障害者と一緒に暮らし学ぶ学校。
実はその次に行ったのが、多世代で一緒に暮らすエコビレッジに一月弱ぐらいアルバイトしてたんです、住み込みで。その次に行ったのが国際紛争をテーマにしたインターナショナルなホイスコーレ。いろんな国から学生が来て対話するみたいなね。
そこの三つ共通したテーマがダイバーシティ。身体特性のダイバーシティ、世代のダイバーシティ、国際インターナショナルのダイバーシティ。それがさっきのホームヘルパーで高齢者しかいない環境に対する強烈な違和感に対して、いろんな世代が、いろんな特性が混ざってるっていうのがいいなと思ったのね。で、二つ目のテーマがそれだったの。どうしたらそういう関係をつくり得るのかなみたいな。
 
小林:まさに共生。なるほど。で、そこに対して日本をたつ前に持っていたこれのビジネスアイデアと、向こうで学校の先生も辞めてしまうような、そういう自分で判断する、自分でいいねと思えるものを、こっちに行ったほうが正しいと思える動きの中から、そして向こうで見聞きしてきたものから、日本でこういう方向だっていうふうになってきたわけですよね。具体的にどんなことを始めていったんですか。
 
磯村:パーソナルモビリティに関しては、全く知見も何もないところからどうやってスタートするかだったんだけどね。
 
小林:でも私、ごめんなさいね、途中で。すごいよく覚えてて、磯村さんにある時あったら突然、「パーソナルモビリティデザイナーの磯村です」ってめっちゃ自己紹介にそれを付けるようになって、磯村さん芸風が変わったんだってその時に思ったのがすごい印象的だったんだけど。
でも完全にシフト、その二つのこれだと思ったものの一つとして、ある場所によってはきちんと自分のことをそういうふうに表現されてたのが印象的だったんですけど。でも実際には日本では何もつながりもなくてどうしようかっていうところから始まってたんですね。
 
磯村:うん。そうです。
 
小林:なるほど。
 
磯村:たまたまいろんなつながりの中で、二子玉川にシェアオフィスができると。そこには東急電鉄さんとか、あるコンソーシアムが組成されていて、そこに名だたる企業が名を連ねていて、かつ、フリーランスというか、起業家みたいなものもそこの空間に入って、一緒にイノベーションを起こそうみたいな、そういう場だったんですよね。
ちょうどその内覧会、僕自身も行って、その場で決めたんです。もともと企業にいたので、企業とのコミュニケーションは比較的やりやすいだろうと。あとフリーランスとして出てきていて、何の実績のないそこのシェアオフィスの会員だったとしても、その場所をコンセプトを立てた事業者側からしてみれば何か生み出したいですよね。
 
中村:そうですよね。
 
磯村:そうすると、ほかとそこで一緒にやるよりも、できればそこの会員とまず一緒にやったほうがそのコンセプトとして合うわけで、そこにチャンスがあるかなと思ったわけ。実績のない僕が、そこの会員であるっていうその唯一の属性をきっかけに。そのシェアオフィスの中で、友人のデザイナーとパーソナルモビリティのCGを貼り付けさせてもらったりとか、そんなことである事業者から声がかかって、今度コンソーシアムでパーソナルモビリティをテーマにした文化会をやるから入りませんかと。それがこの活動のきっかけだったの。
 
そこにはセグウェイさんとか、東急電鉄さん、三菱総研とか、今海外に拠点待ってるウィルとかね。そこにうちの会社のグラディエが資本でいったら雲泥の差の、ある意味でダイバーシティだっただけど、そこにあの名を連ねさせてもらって活動が始まった。そこでいろいろ学ばせていただいた。そこで実績を積ませていただいたのがこのパーソナルモビリティ事業のうちの会社としてのきっかけ。
 
小林:そこってまさにピンとくる、内覧会で決めて、その時点でその先の絵を磯村さん自信が持ってたから、なんでしょう。
 
形に向かっていけたわけですよね。その内覧会で見て、うーん。どうしようかな。ちょっともしかしたらほかにいい話あるかもしれないからとかなっちゃったら、次になんなかったりしたわけで。
変な話たった一人、もしかしたらご家族、奥さまとかなんかそのくらいで始めた小さな会社が、三菱総研ですか、東急電鉄ですかっていうところに名を連ねてっていうのはすごいことですよね。
 
磯村:あとはそもそもエコビレッジに行ってた、デンマークのね。そこはある意味シェアする空間だったんですよ。だからシェアオフィスとかシェアハウスとか、そういった文脈にはどちらかと言えば積極的に今後やってこうっていう思いもあって、いろんな要素がちょうど僕のデンマークで感じたことと結構シンクロしてというのはありましたけどね。
 
小林:興味があるのは、一番最初冒頭のデザインってなんだろうのところなんですけど、今のパーソナルモビリティの話でいくと、なんかそのものを作るっていう。
イメージとしてですよ。北欧って言うと、かっこいいなんかそういうのがありそうなイメージがあって、磯村さんたくさんそういうのきっとご覧になってきただろうから、そのものをつくるっていうことにも取れるし、パーソナルモビリティデザイナーとしては。もう1個は、例えばセグウェイがなんか日本の法律とかで引っかかって日本で広がらなかったように、そのパーソナルモビリティっていうものを使って高齢化が進む社会の中で、仕組みそのものとか、社会のコミュニティデザイナーってさっきおっしゃった。
そういうもののほうに積極的に関わっていこうとされたのか、いろんなことが素人なりに想像できるんですけど、どんなことを具体的にされたんですか。
 
磯村:やっぱり僕自身のキャリアでいくと、形に落とすところ。そこの文化会みたいなところでの関わり、役割ではあったんだけれども。
ただ、実際本当にそういったものを使っていただこうとするには、先ほどセグウェイの事例のようにいろんなプロセスが、法の問題だったりなんかも含めてね。そうすると今の社会環境に新しい乗り物を使っていただくためには、当然のことながらかっこいい形だけだと当然それで終わるわけで、いろんなステークホルダーとその道路環境含めてちゃんと整備をクリアにしていかないと、やっぱりそのもの自体が活用されない。
 
それでもののデザインをすることもあるが、そういったものを地域に導入したい自治体とか、商店街とか、ショッピングセンターに向けて、そこにおける移動の課題だったらこういった車両がいいですよねとか。その車両を導入するためには、地域の人たちがみんなで支え合わなきゃいけないからワークショップやりましょうとか。単純に自転車のようにステーションに置いといて勝手に使ってねっていうわけになかなかいかなくて。
 
というのはね、パーソナルモビリティは操作方法がバラバラなの。立ち乗りのセグウェイ、ジョイスティック、ハンドル型、それから速度も大体6キロ以内なんだけれども、もう少し出るものもあったりとかしてね。トヨタとかホンダとか出してる超小型モビリティっていうそういった商材は五、六十キロくらい出るんですよ。
 
小林:そんな出るんですか。
 
磯村:軽自動車よりもう少し近距離で活用する商材なんですけどね。そういうふうにいろんな種類があって、使い方もバラバラだとすると、誰かがそれを教えて安全に運用し得るためのなんか準備が必要なんだけど、それって事業者がやるの、地域の人たちがやるの、免許制度みたいなのを作ってお金払って習ってもらうのとかね。
いろんな選択肢がある中で、その地域においてどれが必要なのかということをみんなで考えて、みんなで実行しなきゃいけないっていう。
 
小林:さっきステークホルダーっていう言葉が出てきたんですけれども、つまりただ単に乗り物としてのパーソナルモビリティを考えて使う人に対してどうしたらいいかっていうことだけではなくて、それを世の中に動かすために関わる全ての人。
例えば行政であり、法律であり、地域に暮らしてる人であり、もしかしたらもっともっとですよね。いろんな関わる全ての人たちとの関わり方を包括して考えていかないと、これ前に進まんということなわけですね。
 
磯村:うん。そうですね。
 
小林:実際にそのものをつくるだけではなくて、地域を巻き込んだ何かのモデルをつくったりとか、そういった感じが?
 
磯村:そうですね。例えば
 
岡山県の赤磐市は数年お手伝いをしてるんですが、そこではやっぱりベッドタウン。山を削った山坂ある住宅地域。1970年代に造成されたところ。みんな車に頼ってる。100メートル先も車に頼ってる。高齢化になります。バスの本数減ってます。鉄道も少ないみたいなね。
 
そういうところで新しいモビリティを考えようっていうところで私がお手伝いで入って。で、まず住民の方と一緒にここの地域の移動の課題ってなんだろうみたいな。いろいろ車両を用意して試乗してもらって、どれがいいねってみんなで決めて、それを自治体が補助金を落としてみたいな。そういうふうな移動の課題の抽出、それに対する解決策を共想、共同で考えて、そのプロセスがあるから実際導入されたときも活用が進むみたいな。
 
小林:共想っていうのは、共に想像するっていう。
 
磯村:そうですね。共に想像する。
 
小林:なるほど。なんか聞いてると、パーソナルモビリティ特区とか出てきそうですけどね、ドローンじゃないけど。
 
磯村:うん。セグウェイとか、つくばとかね、二子玉川、ある意味特区の制度を使って運用してるので、あとゴルフカートを商店街、輪島のほうだったかな、そこで活用したりとか、今いろんな特区制度を使った導入実験はありますけどね。
 
小林:なんか今の本当岡山の話とかっていうのが、ちょっとつくばのセグウェイとかとはまた違う、本当日本の社会課題にぐっと近付いていくようなイメージですね。僕は見えないから想像がつかないんですけど、これからどんどんかっこいいものが増えてく感じがしますね。
便利だからっていうのって、高度成長期の言葉のイメージで、なんかバブルが終わって氷河な日本がどん底にいた時期があって、でもなんかこれから次の時代に向かって世の中がかっこよくなってって、そういうのがもっと世の中に広がっていく感じがしますね。すごい楽しみ。でもなんかそうすると、もう1個さっき磯村さんおっしゃってた、二つ事業を始めて、最初パーソナルモビリティって、もう1個ありましたよね。
 
磯村:もう1個はね、共生をテーマにした最初はね、シェアオフィスとかシェアハウスを、妻が建築家っていうこともあってやろうと思ってるんですが、ユルツナというウェブサイトを作ったんですよ。そこはデンマークで私が行ってた共生の環境を取材して記事にする。かつ、日本のそういったシェアハウスとか、シェアオフィスをね、記事にするってやってたんですけどね。
 
小林:ゆるくつながるでしたよね。
 
磯村:そう。ゆるくつながる。
 
小林:ユルツナ。
 
磯村:そのメディアを起点にいろんなそのリノベーションだったりとかコンサルティング事業をつくりたくて、そういったをスタートしたんですけどね。ただ、結果的にはなかなかうまく転がらなかった、そっちの事業は。
結構プレイヤーが強力で、例えば多世代共生って住環境をつくるってなると、基本的にはその建築設計の会社だったりとか、それからそれ専門の業者もたくさんいるし、なかなか0からそこに食い込むには、実際受託事業もいくつかあったんだけど、本当にさわりのコンセプトレベルまで関わりしかなかなかできなくて、いざ設計施工管理っていうところに踏み込もうとするとやっぱり大手が出てきちゃうのね。
 
小林:特にやっぱり施工が入ってくるとなんかそんな感じしますよね。
 
磯村:そうなんだよね。だからそれもウェブサイトは公開してるんだけれども、事業として集中することはちょっと控えていて、一方で、デンマークにいた頃は全く想像してなかったんだけど、たまたま僕がいたオフィスの目の前の広場で世田谷区の福祉作業所が自主生産品という。
 
小林:じ?
 
磯村:自主生産。
 
小林:はい。はい。
 
磯村:なんか、ポーチだったりとか、クッキーだったりとか、そんなものを販売してたんですよね。
 
小林:よくフリマとかあるじゃないですか。フリーマーケット。あんな感じのイメージですか、今おっしゃってるのって。
 
磯村:そうです。
 
小林:自主生産、なるほど。
 
磯村:それを見て、デザイナーとしてやることあるなと。当然プロフェッショナルが商品づくりをしているわけじゃないので、福祉作業所のものはね。
 
何かしら関わりがあるかなというのが、今思い起こせば、それがうちの中では一つの大きな事業に育ちつつはあるかなっていう気がするんですけどね。
 
小林:っていうことは、今なんか第3の話が出てきたんですけれども、磯村さんが会社を立ち上げて、デンマークに行って、デンマークから帰ってきて、当初は二つパーソナルモビリティの事業、そして多世代共生の事業、これ特に建築関係絡むようなお話っていうので始めようとしたんけれども、そこだけではなくて、実は今磯村さんの会社の柱になりつつあるのが、福祉作業所の商品のへの関わりが結構今大きいわけですね。
 
磯村:そうなんです。
 
小林:しかもそれってたまたま、ふらっと見たものにピンときたわけですか。
 
磯村:うん。
 
小林:へえ。具体的にはどんな関わりを今は持ってるんですか。
 
磯村:ちょっとね、商品持ってきてる。
 
小林:お。
 
中村:ありがとうございます。
 
磯村:これはプレゼントしますね。
 
中村:そもそも福祉作業所っていうのはなんなんですか。
 
磯村:例えば障害を持ってる子が養護学校ね。成人になりますよね。企業に入れない。企業に入れないそういった子を受け入れる作業所、施設を福祉作業所と。
 
中村:なるほど。
 
磯村:いくつかレイヤーがあって、就労移行支援っていう、就労継続支援B、Aみたいな形で、障害の状態に応じて施設がカテゴライズされていて、就労移行支援っていうのはちょっと頑張れば就職できるかも。就労継続支援B型は、最低賃金1時間900いくらだったかな、今は。それを保障しなきゃいけないっていうところなんだけどね、そういったのが就労継続支援B型。ごめん、逆だ。
 
中村:今おっしゃったのがA型。
 
磯村:うん。A型。B型というのは、最低賃金を保障しない。保障しなくていい。その作業所に通って、職員の方がアレンジした梱包のお手伝いとかね、清掃とか、そういったことをやるっていうのがB型。B型の大体月々の平均工賃が1万数千円くらいなんです、一月ね。それだと生活できませんよね、当然。
 
ただ、障害者年金も給付されてるから、大体作業所で5万円とかそれくらい収入があれば自立できる得るだろうといわれていて、だからその1万数千円を5万円にどう上げるかという工賃向上というのが一つの社会課題をされてるんです。
その工賃はどうやって得てるかというと、官需といって官公需、役所の公園清掃みたいな需要を引き受けて作業所がやるっていうこともありつつ、あとは自主生産と言いましたが、福祉作業所が自主的にこういったお菓子とかアクセサリーとかを障害者が作って販売した、その販売売り上げで工賃に転化するって、そういったことをしてる。
 
中村:なるほどですね。きょうはそちらの作っていったものをお持ちいただいているんですけど、これね、3種類のね、お菓子ですかね。
 
磯村:そうです。
 
小林:3種類?
 
中村:色が3種類あって緑とピンクっぽいのと茶色と。
 
小林:緑とピンクと茶色。
 
磯村:はい。きな粉、抹茶、イチゴなんですよ。
 
小林:なるほど。のごめんなさい。クッキー?
 
磯村:はい。クッキーなんです。
 
小林:クッキー。なるほど。
 
磯村:福祉作業所でクッキー作っているところありまして、そこと共同開発。パティシエにレシピを提供してもらって、お菓子を販売して工賃向上をしている。
 
小林:これは今、磯村さんご説明いただいたところの就労移行と就労継続の、継続のほうの方たちがやってらっしゃるわけですね。
 
磯村:はい。継続のB。そうです。
 
小林:なるほど。
 
中村:小林さん、目の前に箱あるんですが、箱の中にね、3種類のお菓子が入ってると。
 
小林:あ、ここから見えるわけですね。
 
中村:そうですね。窓が開いてて中が見えるようになってるんですけど、ほろほろクッキー。
 
小林:ほろほろ?
 
磯村:はい。ほろほろ。お口の中でほろっと崩れるからほろほろです。
 
小林:へえ。手で持った感じはこれなんて言うんだろう。色付きの細めのマジックが10本入ってるくらいの感じの大きさの箱ですかね。違う?
 
中村:そうですね。
 
小林:なんとなくそんな感じの大きさに、横にしてみたときに真四角の穴がちっちゃく三つ開いてて、三つのその色が見えるようになってる感じですか。
 
中村:はい。
 
小林:緑? 違う?
 
中村:そうです。緑、ピンク。
 
小林:真ん中がイチゴ。
 
中村:イチゴ、はい。で、きな粉。
 
小林:きな粉。
 
中村:はい。抹茶とイチゴときな粉っていう三つの味が入ってるんですけど、6種類のフレーバーがあるみたいです。
 
小林:左側には手提げになるような紐がひっかけられてて、かわいい。
 
磯村:ちょっとおもたせで使ってっていう感じで。
 
小林:ああ。
 
中村:中ね、4個入りの焼き菓子なので、一口サイズで食べられるっていうのがね。一つのね、フレーバーが4個入りっていうので、2年の歳月をかけてできあがりましたってパンフレットに書いてますね。
 
小林:へえ。
 
磯村:こだわりました。最初は世田谷区のその福祉作業所、社会就労センターパイ焼き釜というところなんですけどね。そこでやってるんですが。
 
小林:え、ちょっと待ってください。パイ焼き釜っていうことは、もともとそこの就労継続、就労移行支援のそこの施設っていうのは、こういう何かお菓子を焼いたりとか、パンを焼いたりっていうのが得意だったわけですね。
 
磯村:そうです。
 
小林:なるほど。
 
磯村:福祉作業所の実製品、さっきの工賃を上げていくためには、ものがどんどん売れていかなきゃいけないっていう話と、あとは実はもう一つ課題がありましてね。地域社会における障害者の理解なんです。いまだに例えば自宅の近くに障害者を受け入れるグループホームができるとなると、反対運動が起こる。
 
小林:起きるでしょうね。
 
磯村:結局、違う特性の方が自分の領域に入ってくることに対する抵抗感みたいな。それはどうやったらなくせるかというと、やっぱり普段からそういった人たちを感じられるきっかけを用意しておかなきゃいけない。
 
中村:そうですよね。
 
磯村:そうすると別に普通なんですよ、話してみれば。付き合い方さえちょっと工夫するだけで全くコミュニケーション問題なかったりして。相手の特性を知ってればなんら違和感も感じない。だからその福祉作業所にとっての課題は、ものを売って工賃工場に加えて、地域社会におけるその商品が受け入れられて、あそこで作ってるんだね。意外とおいしいねみたいな。
なんかそういった地域理解のために商品を拡販してくっていうことが二つ目の大きなテーマなんですよね。ちょっと続けて話しちゃいますと。
 
小林:ぜひぜひ。
 
磯村:いろいろ福祉作業所、ものを作ってるんです。アクセサリーとかお菓子とか、パンやってるとこもある。僕らがやろうといったときに、お菓子やってるところと組んだのは、ギフトとしてお菓子って起こり得る商材。
 
中村:うん。そうですね。
 
磯村:お菓子って差しさわりがないでしょ。とりあえずどこか持っていけるじゃないですか。さらに、こうやってお渡ししたらみんなでシェアするでしょ。そこの中に全部その福祉作業所で実はやったんだよみたいなのが織り込まれるわけじゃないですか。地域におけるギフトシーンって意外とあって、この企業が竣工するってなると、竣工式のお祝いに引菓子を用意するとかね。実はこのお菓子、二子玉川ライズがオープンする竣工祝賀会に採用されたんですよ。
 
小林:これですか。
 
磯村:ええ。ちょっと違う大きさの箱ですけどね。あと中学校とかそういったところでちょっとお菓子を配るとか。それから大学生が入学式とか卒業式で販売するとかね。一定量の大体100とか200とか、それくらいの数のギフトニーズっていうのは地元にあって、そういった人たちはできれば地元から買いたいって思ってる。思いますよね。
 
中村:そうですね。
 
磯村:さらにそれが社会貢献になってると競争力になり得ますよね。そういったところにこの商材を届けてこうと。そうすると地域の方々買って、地域の人たちに流布してもらえる。そこにひっそりと箱を見ると、あ、世田谷のあそこで作ってるのみたいな。
 
小林:でもね、外の人間からすると、でも障害者の福祉とかそういう施設がやってるのって、そういうじゃあギフトで200個作ってほしいんだけどって言ったら、いやいや、うちはそんなまとめてやれませんよとか、期日守ってっていうのはちょっと難しいんですよとか、そういう問題っていうのは起きなかったんですか。
 
磯村:それで中間の組織が必要になってくるんです。
 
小林:なるほど。
 
磯村:福祉作業所はやっぱり基本的には障害の方をケアする環境で、ものづくりに決して長けてるとは言えないんですよね。そこに僕ら外部が入って、お客さんから例えばこういった条件でどうですかって言われたときに、それは例えば商品をちょっと工夫してあげるとか。このラインアップにすれば短納期でできますよとか。じゃあ、その値段じゃなくてちょっと新しいアートカードを添えるともうちょっと高くなりますよとか。
ある意味商社的機能が間にあって、ようやく実はいろんなお客さんに届け得るんです。なんとなれば複数の作業所と連携して数を稼いでたりとかね。だから単体の福祉作業所にオーダーがいったときに、確かにね、作るのに一生懸命でそういった営業機能っていうのはあんまりないから、やっぱりなかなかそこで受け入れ難い状況はやっぱあるんですよね。
そこを僕らが中間組織としてま商社機能を持って、当然僕らの売り上げ乗っけるんだけれども、維持していくためにはね。そういったことをしながらいろんなギフトシーンに展開してくと。
 
小林:デザイナーって何やる人ですかっていう話をちょっと冒頭にしてた中で、やっぱり絵を描く人、形を作る人、グラフィック、プロダクトって出ましたけれども、もう1個やっぱりコミュニティデザイナーとか、ソーシャルデザイナーっていうようなものの、まさになんかそういう社会とか人と人とをつなげることとか、これまで掛け算になってなかったものが掛け算になっていったりとかってするようなものが今の磯村さんのお仕事として広がってる感じになってるんですね。
 
磯村:このお菓子はいろんな掛け算ができるように実はプラットホーム化されていて、きょう持ってきたのはね、ちっちゃな箱なんだけど、メインで販売しているお菓子の箱は、大体30センチ角ぐらいの箱の上ポストカードがのっかっていて、それがラフィアって紐で縛られてるっていうのをスタンダードなパッケージ構成として展開してるんだけど。
 
そこのポストカードのっかってるアートを実はいろんな人たちに関わっていただいていて、例えば障害の子が書いた絵をデザイナーがアレンジして印刷したものとか、アーティストが1枚限りで書き下ろしてもらったりとか、子供たちがカボチャの絵を書いたりとか、大学の卒業式向けの記念カードを添付したりとか。単純なお菓子の箱なんだけどそこにハガキ1枚のっけるだけで、そこのカード、いろんなアートだったりイラストが印刷変えられて、結果いろんな人たちが関わるみたいな構成にしてるのね。かつ、お菓子として送られてきました。そのカードはカードだけばらけるんですよ。
 
小林:え。あ、なるほど。
 
磯村:のっけてるだけなの。そうすると、作ったお菓子福祉作業所で作っている。実はそのカードも牛乳パックをリサイクルして福祉作業所が作ってるカードなの、手すきで。
 
小林:どこまでも話が尽きない感じの商材なわけですね。
 
磯村:そのカードを箱からはがして普通にはがきとして使えるです。そうすると、もらった人はカードとして誰かに送ると、また誰かにそれが伝わるでしょ。
 
小林:伝わる。
 
磯村:作業所で作ってるんだ。あんま高々には言ってないんだけど、調べてけばちゃんとをサイトには説明してるの。
 
中村:先ほど磯村さんが本作ってね、それが知らない人にどんどん行き渡るっておっしゃってましたけど、まさにね、そんなイメージで自分の作ったものがどんどんいろんな人の関係のつくってくんだなっていう。
 
磯村:さっきのお菓子、なんでお菓子にしたかっていうと、一人が50個、100個、会社が1000個、5000個みたいなまとめ買いしてくれるでしょ。そうすると、一人のお客さんつかまえればそこからバーッて広がる可能性あるじゃないですか。いろいろプレゼントする商材あるが、例えば時計とか服とかそんなのプレゼントはするけれども、それってワン・トゥ・ワンで一人しか送らないでしょ、他人に。でもお菓子はバーッと広がる。
 
小林:やっぱり食べてなくなるものだし。
 
磯村:そう。また買うでしょ。お菓子おいしいとなれば誰かにおすすめしてくれるでしょう。
 
中村:そうですね。
 
磯村:それで物が売れていって地域の福祉作業所の理解が進んで。それでお菓子を選択してでギフトというターゲットを選択して、パッケージをいろいろをカスタマイズできるようにして。
 
小林:はあ。今、僕手でさっき三つの色。お抹茶とイチゴときな粉のやつが入ってるっていう箱を持ってるんですけど、さっきプレゼント用にいって、手提げというかあるんですけど。なんかね、この紐もうたぶんちょっとかわいい感じがしたりとか。これパッケージは何色なんですか。
 
磯村:これね、クラフト紙ってちょっと茶色っぽい。
 
小林:生成りの残ってる感じの。
 
磯村:そうそう。いわゆるだんだんボールの色。
 
小林:へえ。
 
中村:すごいかわいいですよ。
 
小林:なるほど。
 
中村:あと11分くらいなんですけど、2曲目いいですか。
 
小林:1曲いきますか。せっかくだしいきましょう。
 
中村:そうですね。曲挟んでから。リカさんで「ハナ」です。どうぞ。
 
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小林:渋谷の社会部、きょうもですね、モンキーマジックの小林が第2火曜日お伝えしております。87.6メガヘルツ、もうちょっと皆さんお付き合いください。きょうのゲストは株式会社グラディエの磯村歩さんです。よろしくお願いします。
 
磯村:よろしくお願いします。
 
小林:今ですね、お持ちいただいた、僕らが食べちゃいました。めっちゃおいしいです。ちょっとこれ皆さん、もうすぐですね、これヒカリエでこういった福祉作業所の展示会があって展示されるそうなんですけど、ちょっとでもその前にね、1個だけ。今皆さんにお聞きいただいた曲、リカさんの「ハナ」なんですけど、きょうのたまたまのモンキーマジックのナカムラくんがこれ持ってきてくれたんですけど、なんとたまたまなんですけど、磯村さんのお嬢さんもお名前がハナちゃん。
 
磯村:はい。そうなんです。
 
中村:びっくり。狙ってません。
 
小林:なんか狙ったかのように「ハナちゃん」とちょっと最後に流れたんですけれども。磯村さん、福祉作業所の展示会?
 
磯村:はい。
 
小林:ヒカリエでやるの。
 
磯村:展示会のイベント名が「Good Job! 2016-2017」で、全国の福祉作業所との共同プロジェクトを全国から公募して、10点ぐらい入選したものをこのヒカリエで展示をするという企画にフタコラボもお選びいただいて、全国のいろんな取組みの一つとしてご紹介いただく。
 
小林:それは2年もかけたんだから当然だろうくらいの勢いじゃないですか。
 
磯村:いやいや。全国にはもう結構いろんな取組みがあって、いろんな地域性でいろいろ特徴があるものがあるので、どれが優劣というよりもその地域における資産うまく活用したそれぞれ個性のある取り組みなのかななんて思いますけどね。
 
小林:具体的には日にちはもう決まって。
 
磯村:2月の今月ですね。24から26。
 
小林:24から26の3日間。金、土、日ですか。
 
磯村:そうですね。金、土、日。ヒカリエ8階。
 
小林:ヒカリエの8階で。
 
磯村:ぜひ。
 
小林:これ無料で誰でも入れる。
 
磯村:無料です。誰でも。
 
小林:なるほど。ぜひ皆さん24日の金曜日から26日の日曜日まで、今月ですね。渋谷のヒカリエ8階で無料どなたでもご覧になれる全国の8選?
 
磯村:11選かな。あと企画展でいくるかあるみたいですけど。商品も買えますので、ぜひこの時に来ていただければ。
 
小林:ぜひ食べてもらいたい。めっちゃおいしいです。ということなんですけれども、きょう1日ずっと磯村さんのこれまでとですね、そして今をちょっと聞いてきたんですけれども、事業を始めた時からパーソナルモビリティ、多世代共生、そしてこの今の福祉作業所とのコラボレーション、フタコラボを伺ってきたんですけど、磯村さん、なんかここまで聞いてると絶対今もういくつも玉抱えてるんでしょうくらいのイメージなんですけど、これからグラディエは磯村さんはどんなことを考えてらっしゃるんですか。
 
磯村:大きなテーマはやっぱりフタコラボを今世田谷区でやっているんですが、全国に広げるというのを今準備してまして、何を広げるかというと、結局いろんな人たちが関わるパッケージングのプラットホーム、それを全国の福祉作業所に活用いただきたい。
 
小林:パッケージングのプラットホーム、もうちょっと分かりやすくお願いしてもいいですか。
 
磯村:パッケージングではがきがのっかっていて、それいろんな人たちがアートで絡むわけですね、どんなもの印刷しようか。
 
小林:あ、パッケージングって具体的なお菓子を包むほうのそういったパッケージングっていう意味ですね。なるほど。
 
磯村:そうですね。それが例えばキットになっていて、それを地元の福祉作業所のものを中入れ替えれば、フタコラボでいろいろトライしたものがそれぞれの地域でやっていただく。かつ、いろんなギフトシーンに展開するうえでのパッケージングとか価格帯っていうのは、やっぱりあるセオリーがあるんですよ。いろんな人たちに配りたい場合は個包装になってたほうがいいし、香典返しとかそういう返礼品として使う場合は、半返しといって1500円、3000円とか、ある価格帯で商材が欲しかったりとかするし、あと賞味期限も活用するギフトシーンに応じてやっぱり必要な賞味期限ってあるんですよね。そういったギフトで使うためのノウハウも含めていろんな全国の福祉作業所の方に提供して、それぞれの地域の福祉作業所のものをそれぞれの地域でギフトとして活用していただく。そういった姿をこれから展開していく。
 
小林:コミュニティギフトデザイナー、磯村さんだったりしてね。
 
磯村:ああ、はい。そうね。コミュニティーギフトデザイナー。
 
中村:いいネーミング。
 
磯村:どこかで使わせてもらうかも。
 
小林:その全国に向けて仕組みがどんどん外に広がってくこと、すごいワクワク、そしていいねっていう感じのですね。
 
磯村:はい。ワクワクしてます。
 
小林:ありがとうございました。めちゃくちゃ楽しい時間でした。
 
中村:うん。あっという間の2時間。
 
小林:ぜひ皆さん、24日から26日、ヒカリエの8階のほうにも足を運んでください。ありがとうございました。
 
磯村:ありがとうございました。どうも。
 
中村:ありがとうございました。
 
 
(テキストライター/株式会社アスカ21 https://www.asca-voitex.jp

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