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小児病棟で、25年間、毎週必ず、事故なく子どもたちと遊び続けてきた実績が、日本の医療と市民の関係を再構築していく

ゲスト/坂上和子さん(NPO法人 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア理事長)

聞き手/嵯峨生馬

──ゲストでお越しいただいてるのは「NPO法人 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア」の理事長でいらっしゃる坂上和子(さかうえかずこ)さんです。坂上さんは今年の6月に25周年を迎えるという遊びのボランティア活動を長く続けていらっしゃるんですね。

医療現場にボランティアと聞くと、違和感を感じる人も多いかもしれません。医療現場・病院などにおいてボランティアの人たちがどう関わっていくかというのは、医療を市民がどのように支えるか、医療における市民参加をどう実現していくか、という大きなテーマにつながっていきます。

どうしても医療現場においては、お医者さん・看護師さんといった方たちが中心的な役割を担い、患者さんやその家族が実際の医療行為を受ける、ということになる。ここにボランティアの方たちが入ることによって、医療現場がどう変わるのか。もうすぐ25周年を迎えられるという節目の年で、ここ最近お感じになってる変化などあれば、お伺いしたいのですが。

坂上:病院というところはまず患者さんが病気を治すことが一番重要ですけれど、「小児病棟」となりますと小さなお子さんが入院されていて、そのお子さんが幼稚園児であったり、小学生や中高生であると、お勉強のこと・遊びのこと・成長発達のことが同時に並行していなければならないと思うんです。けれどお母さんも働いていて、たったひとり個室で白血病の治療を受ける、そういう子はいなくはないんですね。

それが仕事でなくても、例えば2人目のお子さんの出産のためにお母さんがどうしても来れないとか、やむを得ない事情ってすごくあるんです。白血病患者さんとか3ヶ月とか半年、再発すればもう少し長くなるという中で、誰かが助けてくれる、それが閉ざされた環境であればあるほど遊んでくれたり勉強を教えてくれる人が必要で。

もちろん最近は保育士さんが病院の中に入る、先生たちが勉強を教えにくることもあるんですけれど。それでも足りないことや、お母さんたちに対するちょっとした時間を提供するとか、そういうことはまだまだ医療スタッフ以外の手が足りないわけですね。そういうところにボランティアが「遊び」を通して入っていくというのが私たちの活動です。

ボランティアが病院に入るのは、実はすごく難しい。それは感染の問題だったり、責任の問題だったり、プライバシーを守ってほしいとかありますよね。そこが家族・社会・女性の地位・就労問題とかいろいろ変わってきて、20年前だったら「ボランティアなんてとんでもない」というところが、今は「ボランティアと一緒に良い環境を整えていこう」と、病院全体の中で土が耕されていくふうに育ってきていると思います。

── 確かに医療現場を考えたときに、ボランティアの人が入って来るということに対してちょっと違和感があるのが、日本の一般市民感覚であると思うんです。ですから、医療現場にボランティアは本当に必要なのか、むしろボランティアの人が医療現場に入ってこられたら、ちょっと邪魔と思ってもおかしくない、という考えはあると思うんですよね。

坂上:そうですよね。最近の動きなんですけど、全国の小児病棟やこども病院で働いているボランティアたちの全国交流会をして、どうやってボランティアが病院に入っていって、どんな課題があるかっていうことを情報交換してるんです。

誰が小児病棟に「遊び」や「学習」、あるいは「楽しいこと」「イベント」を運ぼうとして、白い巨塔(病院)に挑んでいるかっていうと、お母さんたちが圧倒的に多いです。その中でもお子さんを亡くされた家族が「後から振り返れば、あの子はあそこ(病院)で成長していて、2年3年と生きて、その時間が子どもらしい日々ではなかった」と。

「どうやったら病院が、子どもらしく成長しながら治療も受ける場になるんだろうか」ということを考えたときに、遊びや医療スタッフ以外の学生のお兄さんお姉さんが来てくれるとか、紙芝居をよく読む人が来てくれるとか…そういう外の風を運ぶことがどんなに大切か、お母さんたちが感じて「これをきちっと組織として、継続的にやっていこう」っていう意識を持ってきたと思うんです。
私自身は保育士の仕事で病院に入ってボランティアを立ち上げた経緯はあるんですけど、全国の動きの中で市民がそういう形で病院の中に入っていって、子どもたちを笑わせたり楽しませたりっていう動きの背景は、お母さんたち当事者の「親の声」がすごく大きいなって思ってます。

──坂上さんは保育士で病院に入って、どういった経緯でボランティアを始めるようになったのですか?

坂上:今私は61歳になるんですけど、30歳過ぎぐらいの頃、1980年代に新宿区の障害児通所訓練施設にいたんですね。新宿区って高度医療病院がすごく多くて、最初は「人工呼吸器を付けて、知的には問題ないけれど寝たきりなので、幼稚園に行く年齢になったことだし、来ていただけませんか」という依頼が大きな病院からあって、そこに入っていくと医療者のかかわりと全く違うことをするので、お母さんからも医療者からもすごく感謝されました。

でもその対象となるのが新宿区在住のお子さんなので、ほかの区から来る患者さんには対応できないんですね。そういうことで、ボランティアで来てほしいと言われたり、他の高度医療の病院から「新宿区にそういう保育士を派遣する制度があるなら、ここの病院でもお願い」と。

いずれにしても白血病や重い心臓病のなどのお子さんで、難しい病気を抱えている中に入って行きながら、医療スタッフが言うには「こんな笑顔を見たことがない」と。
スタッフが入ってくるときは「来ないで痛いから」とか泣いたり「いやいやサイン」をするわけです。ところが私たちは絵本を持ったり、音楽運んだり、人形劇を持ったりして行くもんだから本当に子どもの顔が輝く。子どもの表情を見て、病院の人たちも「ぜひ(来て欲しい)」ってなるんですけど、正直最初は寝たきりでまぶたの動きしかできない。

呼吸器を付けた筋萎縮症(ウェルドニッヒ・ホフマン病)のお子さんを見たときに、「この子をどうしろと言うんですか…」と、そう私自身思ったんですね。ただ、子どものそばにいたら子どもが教えてくれる、目でいろんなサインを教えてくれる。こんな賢いんだったら「あいうえお」もわかるかなと文字を教えていくと覚えていき、色やかたちの認知もして、すごく面白い経験だったんですね。

だから最初は「なにも教材もないベッドの中だけで、どうしたらいいんだろう」と思いましたけれど、見た目と違ってその子のそばに行くと、保育士としてはその子の成長発達を助けるためになにが必要かって、向こうでサインを出してくれるのでキャッチすればいいって分かったんです。白血病の患者さんでも「感染」って言われると、おもちゃをどう扱って運んだらいいんだろうって、そういうところからドキドキ(心配)するんですよね。ただそのドキドキとか多少冒険をしなきゃならない部分は、子どもが力を授けてくれたと思います。

──新宿区在住の患者さんはそういうサポートが受けられるけど、区外からのお子さんもその病院にいらっしゃるので、ぜひ手伝って欲しいっていう気持ちに周りはなりますよね。

坂上:私たちが子どもと遊んでると看護師が見てますから、手作りのおもちゃを教えてくださいとか保育の狙いなど質問を受けるので、お話する場を設けていただいたりします。すると私たちも「感染予防を徹底させるためにはどうしたらいいですか」とか、その子にとって良い状況を医療と保育で互いに話し合えるんですね。そうなってくると、高度医療の病院は(患者が)区民に限定されないので、隣の渋谷区や遠く北海道から来たりする(区外在住の)お子さんのために、私たちの「遊びの技術」を提供してもらえないかという要望が、病院と親から出てきて。

私たち新宿区の職員なので「区の職員が新宿区にある病院に保育士を派遣する」という考えで、お母さんたちは区長さんに働きかけてくださったんですけど、やっぱりそれは区の職員としての限界があるということで、ボランティアとしてなら病院もなんとか受け入れましょうということに持っていったんですね。ただ、正直ボランティアをすると生活が変わりますから、それを継続して責任を持ってやって欲しいと病院から言われたんですけど、それってどういうことだろうと考えざるを得なかった

私たちは音楽や人形劇でなくて、毎週土曜日に90分子どもと遊びながら、付き添いで部屋から出られないお母さんたちを開放してコーヒータイムみたいな時間を提供してるんで、継続の責任ってすごく重要で・・・。そこを考えると、私は保育士ではあるんですけど、「ボランティアコーディネーター」というものにならないとこの活動は継続できないし、病院の信頼も得られないだろうと、途中から勉強し直して社会福祉士の資格を取って、保育士兼ボランティアコーディネーターというかたちでこの活動を運営し、広報もしているという現状です。

──保育士ということで新宿区から派遣されたことを淡々とやれば、それで仕事としては務まったんだと思いますけれども、そこではなく、周りにいらっしゃる親御さんたちの坂上さんへの期待が厚く、それに応えようとされたんでしょうか。

坂上:保育園では子どもと遊んだり成長発達を助けるのは当たり前で、私は障害児の通所訓練施設にもいたので、子どもたちが障害を持ちながらも、ひとつひとつ課題をクリアしていくためにスピーチセラピストの人とか、OT(作業療法士)・PT(理学療法士)がいろんな形で関わってるわけですね。それらは全部成長発達のためになんですけど、病院ってそこがストップしてて、それに対する私の驚きがひとつあるんです。こんなに痛い辛い思いしてる子どもたちが「楽しみがない」っていうのは、どういうことなんだろうと。

もうひとつは、そのお母さんたちが区長さんに「ぜひ保育士さんを継続して入れて欲しいです」って言われたときに、お子さんを亡くされたお母さんたちも複数いらっしゃって、一日千秋の思いで週1回の(保育士の)先生たちが来る日をカレンダーにしるしをつけて待ってます、なんてことが書かれてあって。それは区として対応できないのはわかるんですけれど、それをおろそかにしないためにはボランティアしかなかった

当時は私もボランティアに対する考えが甘く「ボランティアなんだから」みたいな感じで、ボランティアの奥深さに気づかなくて・・・。依頼があればその重要性を考えて、「なんとか続けようかな」って感じだったんですけど、「遊びのボランティア」には保育士として相手をする以上のおもしろいものが重層的に潜んでいるなと、25年たった今では思ってます。

──ボランティアを始めるとかNPO活動を始める人っていうのは、それを誰かから言われてやるのではなくて、そこにニーズがあるからやるという事で坂上さんも飛び込んでいかれたと思います。週1回の土曜日は何人ぐらいのボランティアが参加されているのでしょうか。継続的にやっていくという運営は決して容易ではないと思うんですが。

坂上:私がなんでボランティア組織を立ち上げたかっていうと、ひとりじゃできないからなんですよね。私が新宿区のひとりのお子さんのとこに行くならひとりでもいいです。でも小児病棟って病床の数だけ子どもがいる。長期で入院が2〜3割、そこが生活の場になっている。呼吸器を付けているとか、個室から出られないっていうと、保育園のように1ヶ所でみんなでなにかやりましょうができない。年齢も違う、病状も違う、1ヶ所に集まれないとなると、病床数の数に対してボランティアが(同数)必要になりますよね。

今うちに60人ぐらいボランティアがいるんですけど、毎週動ける人ではなくて、学生半分・社会人半分、退職した保育士さん、現役の幼稚園の先生といった方がいます。そういう人たちが交代で組織をつくるときに、30床の病棟に30人いるかっていうと、入ってきたばかりの患者さんはそれどころではないので、その半分の約15人が付き添いが無かったり、個室から出られなくて退屈していたりということなので、目安としては1回に病棟の半数がボランティアとして1グループを作るという感じです。

──先ほどこの活動をやっていく動機のひとつに子どもたちに「楽しみがない」という驚きがあったと。確かに病院にいるからといって遊びを諦めることは、子どもはできないですよね。

坂上:そのうえ柵があって、点滴に繋がれて、(尿の測定もあるので)トイレひとつ自分で行けないですよね。保育園に勤めてると、特に指先を使って遊べる3歳以上ぐらいだったらいいんですけど、0〜2歳児だと雨が3日降ると外に出してあげられない。するととても喧嘩が増えるんですよ。子どもたちにとって、外に出て体を動かすということはとても大事なことなんだけど、それが24時間ベットの中だけで動けないってどういうこと?と。

保育士時代は保育園で遊んで当たり前の世界の子どもたちをずっと見てたんですね。遊べない子に対するケアの認識(の違い)っていうのかな…「まず病気を治して」とか、お母さんも「今ちょっと頑張って静かにして、治ったらどこかへ(遊びに)行こう」っていう。今ここで遊びながら癒され仲間を作り、それが子どものために「病院がすごく嫌だった」じゃなくて、「病院で同じ仲間に出会えて、そういう経験を通して成長できた」ってなるためにも、遊びや仲間づくりが重要なんです。だから「保育士としての気づき」というのも、大きかったかなって思います。

──実際、医療現場でも基本的にそこに入院している人たちは患者さんであり、患者さんは人間であって、病気であっても子どもであることは変わらないと。今の日本の小児医療の現場において、子どもに遊びが必要であり、その遊びができるようなスペースやボランティア、それを見守るような職種の方が必要であるというのは、どれくらい認識されていますか?

坂上:2000年ぐらいからようやく保育士が診療報酬で認められるようになりました。その時も全国の病院に調査をしてますが、小児科を有する病院はすべての病院の1割程度なんですね。こども病院とか高度医療の病院の中には、保育士という職種の人がだんだん入ってきていますが、何人いるかとなると一番多いのがひとりなんですね。例えば30~40床ぐらいの病床にひとり保育士さんがいて、非常に手薄でありますけれども、そういう人が入ってきたのは大きな変化かなと思います。

その点、訪問教育や院内学級は国が義務教育として認めていて、転籍とか不自由はありながらも、長く入院することになったら先生が来て学習の遅れを補ってくれるという、(就学前の)小さい子に比べて整っていますね。

──ゼロから1というのは大きな変化だと思いますが、今言われたようにたくさんのお子さんを相手に保育士さんひとりですと、どうしても手が回らないということがあると思いますが。

坂上:私たちは5年ぐらい前に、どんな状態のお子さんをどう見ていたかを細かく調査して分析しました。例えば土曜日に600人の子どもと遊んだとします。そしたらそのうちの6割が小学校就学前の乳幼児。本当に小さなお子さんがそういう状況で遊びたがっているとデータで示したときに、その子たちの10人中8人が点滴を付けていたり。

付き添いのお母さんが部屋からほとんど出られなくて、ボランティアが来ると、お子さんが元気に遊び始めた様子を見てから、5割を超えるお母さんが外出していたんですね。普通いきなりボランティアが来ても、なかなか人に託すことはないと思うんですが、そういう切羽詰まった状況というのが出てますね。

──そういった重篤なお子さんの親御さんがつかの間かも知れませんが看護から離れることができると。それが繰り返し行われることで、子どもたちも遊んでくれるお兄さんお姉さんたちが来るのを楽しみにする、というようなかたちになっていくと。これは医療現場にとっても、良いことだと認識されているんでしょうか。

坂上:そうですね。患者さんの「声のポスト」があって、そこに「小児病棟に入院したけれど、こういうサービスを受けて本当に助かりました」と。エレベーターを待ってどこか行こうとすると、病院から出て入るだけでも時間がかかるので、1時間では足りないため私たちは1回90分という時間を設定していますが、買いものや食事・ATMで必要なお金を下ろすこともできなかったお母さん方からの感謝の声が医療者に届けられる。そうすると医療者も「医療と市民が一緒に活動していく」のはこういうことなんだと理解できる。

だから最初はボランティアが外から来ると、病院は請求したり、運動を要求したりするような団体になられるのは困るという声を実際聞いたことありますが、そうではなく、絶えず視点を患者である子どもたち中心に据えていると、病院からも「市民と一緒に良い病院をつくっていこう」という活動に育っていくと思います。

──こういった活動について、最近全国の団体との交流会を活発にされているとのことですが、ほかの地域でどんなことが行われていて、また交流を通じてどんなことを発見されているのですか。

坂上:ボランティア団体が全国で集まるにはお金がかかるし、そこに企業さんなどが助成金を出してくれたりして、1回目は知り合いだけに声をかけて20人ぐらいで。

地方に行くようになって今まだ4年目なんですけれども、4回の交流会を通して、例えばコーディネーターがいないところはボランティアがコーディネーターもしながらやっているとか、高額なおもちゃを買うなどどうしてるかとか、皆さんが悩んでらっしゃることをお互いに情報交換して、ここの財団さんが助けてくださっているよといったことをお互いに情報交換してスキルアップを図っているところです。

──今ネットワークで繋がっている医療機関、特に小児医療の現場でボランティアをしている団体は全国でどれくらいあるんですか? 坂上さんの活動は25年前からやってらっしゃるけれど、ほかの地域はいつ頃からこういう動きが出てきているんでしょうか。

坂上:絶えず連絡を取ったり、お互いが情報交換できる子どもの入院に特化した団体は30くらいです。うちが25年ですけれど、次に古いのが20年とかで。ただそういう組織を表に公表しないで、例えば病院から依頼があって、親類など身内でやっているのはもっと前からあったと思います。

──組織的な団体ができて、全国的なネットワークでコミュニケーションができるようになったのは最近の動きなんですね。いろいろ地域の人たちが利用することで、どういった学び合いや刺激があるのでしょう。

坂上:入院している子どもの遊びで入っていくと、「お母さんたちが困ってるんだな」ということで視線がお母さんに広がりますよね。そうするとお母さんを助けるボランティアもいるんですが、その親御さんが病室にいるあいだ中に入れない兄弟とかかわりを持つボランティアの人たちもいます。

患者さんは病院の中でいろいろと声をかけてくれる人がいるけれど、そのあいだ家でポツンとしている兄弟を遊ばせたり、お花見やキャンプに連れて行ったり。全国組織でやると、そういう兄弟とかかわりを持つことをとおして、小児の医療というのはニーズがその子(患者)のことだけでないことに気づかされます。

あと継続的になれば、ボランティアはお金がかかるということで助成金の情報交換をしたり。なんといってもボランティアの人たちを束ねるためにはコーディネーターという人が必要で、ただ病院によってコーディネーターも文化や歴史からあり方が違うので、そのコーディネーターのスキルアップをしていくために、ボランティアたちのどういう声を届けたら良いか整理したりしています。

──専門のコーディネーターを置く医療機関というのは全国にどれぐらいあるんですか?

坂上:これから調査しようと思ってますが、例えば小児がん拠点病院は全国に15あるんですが、そこには遠方からの子どもさんが長く闘病する場合に、絶対必要なものとして置かなければならない条件があるんですね。それが教育であり、学校の先生や保育士であり、プレイルームであって、学び遊ぶ場が必要です。

あと遠距離から来るので宿泊施設が必要なんですね。そうすると小児がん拠点病院なものですから、「がんの子どもを守る会」という組織がボランティアで入ってお母さんたちを助けたりするためのボランティアルーム、そしてボランティアの人たちを働きやすい環境に導くコーディネーターを指定要件に入れて欲しいという要望を出していますが、それはまだ厚労省の中で認められていない。

まだコーディネーターやボランティアがいると、どういう効果があるか知られていないということもあり、そこが海外に比べて非常に大きく遅れているところですね。

──(プレイルームや宿泊施設という)ハード面や資格者の設置が整ってきているのは一歩進歩と思われますが、そこから先のボランティアの参加というところはまだ理解が十分に得られていないという…

坂上:ボランティアはいろいろな特技・職業を持つ方がいらっしゃるけれど、休むとか家庭の事情があったり、コーディネーターの方もそういうところの扱いが難しいので、「必要とされながらも一番手をつけにくい」のではと思います。

──先ほど「日本は」という話がありましが、海外ではボランティアコーディネーターが活躍しやすい環境がある、あるいはボランティアの人たちがたくさん実際に医療現場の中で活躍している、そういう状況というのがあるんでしょうね。

坂上:アメリカの「ジョーンズホプキンスこども病院」「フィラデルフィアこども病院」カナダの「トロントこども病院」と実際に2度ほど海外視察に行っています。あちらは1800年代にこども病院ができていて、日本は戦後1960年代ぐらいにできた。

こども病院の歴史が違うので一言では言えないんですが、子どもの入院に特化したときに「親・子ども本人・教育保育・兄弟」とあり、外国でもそれは同じですが、いろいろな言語の方が現場にいるので、その通訳ボランティアが必要とされます。だからボランティアサービス部門がどこの病院にもあって、ボランティアをまとめたり企業からの助成金を働きかける常勤スタッフが専属で必ず3人ぐらいいらっしゃるんですね

日本はそういう部門は無く、居るとしてもコーディネーターさんが看護部の別の仕事をしながらボランティアのことも兼任して、それだとどうしても片手間になってしまう。ボランティアのサービス部門を病院の中に設置するという意識が、まだまだ希薄で遅れているところです。

カナダのトロントこども病院だったら1,200人のボランティアを3人のコーディネーターが担当していますが、日本で私たちの中で一番ボランティアが多いこども病院で同じ規模でも300人ぐらい。100人でもすごい、というところですので、まだまだ及びません。

──カナダで3人のコーディネーターが1,200人のボランティアをコーディネートしているというのは驚くような数字ですが、アメリカやカナダはコスト意識がはっきりした国ですから、そういうボランティア部門をちゃんと設置することが医療現場で専従のスタッフを増やすことより、はるかに効果が大きいということがわかっているんですね。

坂上:あちらは職員よりも良い場所にボランティアの駐車場があるんですよ。「病院の宝」であると。ところが日本でこういう話し合いをすると「誰がここに車置いたんだ。ボランティアの車邪魔だ」と病院から言われるって。もちろん病院の職員の駐車場があるけれど、ボランティアの駐車を病院が認めないなんていうようなことがあると・・・都会と地方で事情は違うと思うんですけれども、そういった扱いのひとつでも考え方がわかるような気がしましたね。

──ボランティアはちょっと物好きな手伝いたい人、という捉え方をするか、病院という場を一緒に作っていく仲間と捉えるかは大きな違いですね。一番大事なことはボランティアの活動によって、患者さん・その家族の医療・生活のクオリティーが高まるかどうかですが、その視点もはっきり海外では持っているということなんでしょうか。

坂上:私も最初始めたときに、病院の中のことを「守秘義務」とガチガチに自分で縛りをかけてたように思うんですが、10年たった時に「ありがたいって医療スタッフも思ってる。でも事故が起こった時が私たち怖いと思ってるんです」って率直な意見を院長先生がおっしゃって、海外ではどうだろうと思った時、病院の中にきちっとそういう組織を作ってるんですね。

だからそこら辺はボランティアが有効に活動しやすく、その人の持ってるスキルを患者さんのために役立てるために、これから整えていく、また整えていくように啓発をしていくのが私たちが全国ネットワークを作る役割だと思っています。

──そういった中で、今目指されていることはありますか。

坂上:目の前でお母さんたちに「遊びが欲しい」と言われてぼちぼち仲間を募ってやった活動なので、25年前はこういう形で小児医療を市民も一緒に交わってよいものにしていこうという大きな目標があったわけではないんですね。その時その時にきっかけがあって今のようなかたちになったので、将来的にとなるとすぐには思いつかないですね。

ただ海外に比べて日本はボランティアが理解されてないし、遅れているし、病院が慎重なのはわかるのですが、そこに手をつけなければなにも変わらないので、どういうふうに医療と連携していけるのかと。

今まで私たちは25年一度も事故を起こしていないんですが、それはどうしてなのかということをきちっと考えながら提案したり病院と一緒に考えていったり。来年はカナダの「トロントこども病院」にもういちど、そういった病院の視察と交流というのを今目標に掲げているところです。それをやると、変わっていくのではという予感はしてますね。

──25年間事故なくやってこれたというのはどうしてなんですか。

坂上:事故の可能性ってどういうことかというと、感染とか、点滴をつけている子どもの点滴がひっくり返りそうになるとか、実際にプレイルームで子どもが10人来れば8人は点滴を付けているわけですから。そうすると、マンツーマンでひとりの子どもにひとりのボランティアを付けるというのを徹底する、ボランティアは無理な人数を引き受けないということだと思います。

──ボランティアのマネジメントというのは蓄積されたノウハウやスキルがあって、なおかつボランティアというものが公式なものとして位置づけられることによって、医療現場とボランティアとの信頼関係が生まれていくということですね。
本日はありがとうございました。

坂上:ありがとうございました。

(放送日 2016年 5月 10日 「渋谷時事問題部」)

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テキストライター/土谷 君枝さん

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