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居場所探し症候群から抜け出すためには…

私が所属しているコルクラボで居場所の作り方の本を作成している。
初めて「居場所の本」と聞いた時、違和感を覚えた。

いつからだろうか、居場所という言葉をよく耳にするようになった。
私はそれに対してこんな風に思う。

そんなにみんな居場所がないのか?居場所を求めているのか?
居場所というのは正直どこにでも作れるし、見つけることが出来る。
しかしなぜそんなに居場所を求めるのか?

正直、みんな「居場所」を求めすぎではないか?
居場所探し症候群と言ってもいい。
居場所があれば幸せになれると思っている。
しかし居場所は誰かが与えてくれることはないし、探し続けても見つかるとは限らない。

とか何とか、通称ラボ本に対してアンチな意見を持っていたが、作成過程を間近でみていたら、私のアンチな考えはどこかにいってしまった。

すなふがラボメンバーに向けて収録してくれたラジオトークの内容はラボ本を作る目的と流れを説明しているが、それだけでコミュニティの勉強になるくらいのものだった。

ああ。。。
私はこんなに細かく設計されたコミュニティの中にいるのに「居場所」という言葉、しかも多くは自分の先入観だけでアンチな意見を抱いてしまっていた。。。と反省した。


私が考える「居場所」は安全基地secure baseである。

自分が何もしなくてもいい場所、そのままでいい場所。
それがみんなが求めている居場所ではないだろうか。

幼い子どもが母親の元に戻るのは、母親が安全基地になっているからだ。
でも、これが成り立つのは母親が子どもを見守っているからである。
つまり母親は自分が子どもの安全基地になろう!と思っているのではなく、子どもに焦点(スポットライト)が当てているからだ。

そう。
「自分の居場所」を求めても自分に焦点があたっているうちはきっとみつからない。

コルクラボのキャッチコピーは「あなたが好きなあなたになる」。
ここにヒントがあった。
「あなたが好きなあなたになる」って自分ではなく「あなた」に焦点(スポットライト)が当たっている。

あなたが好きなあなたになるようにみんなが相手にスポットライトを当てる。するとスポットライトを当てられた人は、「ああ、私はここにいていいんだな、このままでいいんだな」と感じる。するとそこを居場所と感じる。
こういうことなんだろう。

居場所探し症候群から抜け出すには、相手にスポットライトを当てる。
それが一番効果的なのかも?

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