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せっかちとのんびり

 おなじみのアラーム音が鳴り、俺はゆっくり覚醒する。スマートフォンを手に取り「停止」をタップ。よーし寝るぞお。そう思った時、自室のドアが勢いよく開いた。

「朝だ!起きろ!時間がもったいない!今すぐ!」
 手を叩く音がする。俺を眠りの世界から強制ログアウトさせたのは、同居人で恋人の風間だった。
 風間は俺の羽毛布団をべり、とはがす。寒い、おお、寒い。時計を見るとまだ朝の7時じゃないか。今日は休日なのに⋯ぶるぶる震えていると、風間が俺の頬を叩き(!)、一枚の紙を取り出した。
「今日は2人で出かけようって行っただろ!ほら、これが今日を有意義に過ごせるプランだ。見ろ、頭に叩き込め」
 眠い目をこすりながら見ると、おはようからおやすみまでのプランが分単位でびっしり書きこまれていた。水族館開館までに天保山を登り港周辺を散歩する。そして海遊館を見物した後はお洒落なイタリアンでランチを…読んでいる途中で寝そうになり、「寝るな!」と怒られた。よくできたプランだ。
「かざまあ、海遊館開くまではのんびりしてようやあ」
「ダメだ!今日は1日しか無いんだからな!」
 さあ早く朝食を食べるぞ、そう言って風間は俺を布団から引っ張り出した。

 俺がもたもた着替えているあいだ、風間は既に玄関に立っていた。灰色のチェスターコートを羽織いまっすぐ立つ姿はモデルのように美しく、思わず見惚れる。俺の視線に気づいた彼は、ギっと俺を睨んだ。
「俺のこと見てる暇あるんだったら早く着替えろ!」
 風間はスマホを眺めつつ、革靴でコツコツ音を鳴らす。器用なもんだなあ、とぼんやり思いながらパジャマを脱いだ。

 大阪の夜景に囲まれながら、俺たちはナイフを動かす。彼は優雅な所作で魚料理を口に運んだ。風間の選んだレストランはすごかった。なかなか予約が取れないと言われているだけある。彼はこの日のために、何ヶ月も前から予約してくれたのだろう。風間は白ワインを口に含み、「今日はどうだった」と俺に訊いた。
「すごい楽しかった。魚を見れて魚を食べれて、さいこう」
「小学生みたいな感想だな。でも、たのしかったのなら、うん、よかった」
 あれ?少しだけ風間の声がふわふわしている。しかも、いつも早口なのに速度が遅い。見ると、吊り目気味の目はたるんと緩み、頬が染まっている。あ、そっか。アルコール苦手だもんな。
 本当はもう少し居て夜景を堪能する予定だったが、俺は会計を済ませ、くたりとしおれた風間の手を引いた。

 夜のビル群を横目に帰り道を歩く。2人のマンションはもう少し。夜風が気持ちよく頬を撫でた。彼が酔っていることをいいことに、俺は指を絡ませた。いつもよりゆっくりと歩く。風間が俯きながら言葉をこぼす。
「不安になるよ、吉野。…君が、俺と付き合って楽しいのかって。俺は、自分の速度に人を巻き込んでしまう。わかってるんだ、俺は性格がよくない。でも、直せないんだ。俺はほんとは、純粋に、君にたのしんでほしいだけなんだ。俺といて良かったって、思ってほしいだけなのに。」
 顔を覗くと、目が合う。瞳は怯えた色を湛えていた。俺は大袈裟なくらいにっこりと笑う。
「嬉しかったよ。今日が楽しくなるように、風間、ずっと考えてくれたんだなーって。それがめちゃくちゃ嬉しい。俺、風間に巻き込まれるの、たのしいし。俺がぼーっとしてるから、風間にはすごく感謝してる。」
 風間の目が一瞬潤んだ後、またいつもの光を取り戻す。
「本当だ。お前は、俺の完璧な計画にいつも従うだけだからな。実は俺は、10年後を見据えた計画を立てている。親切な俺に感謝しろ」
「うん、ありがとう。」
「…すまない、今の言い方は素直じゃなかった。嫌な感じに聞こえたか?」
「ううん。素直じゃないのもかわいいし」
 誰も見ていないことをいいことに、肩を抱き寄せ唇にキスをする。顔を真っ赤にした風間は、家に着くまでよく回る舌を動かすことはなかった。

 今日は2人の記念日だった。大学時代から今までいろいろあったし、これからも多分そうだろう。隣で眠っている彼の肌を抱き寄せる。なめらかな感触。白い肌が月明かりに照らされていた。

 愛しているよ、いとしの君。ん?これって、意味がダブってるの?まあ、いいか。目が覚めたらそうだな、10年間の計画でも聞かせてもらおう。


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