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てきとうに暮らす日記 14

 晴天。富士山がくっきり見える。昨日の大雨は富士山では吹雪だから、真っ白。まだあのへんは冬。
 天気がいいと、だいぶ気分が違う。ときどき、小説に書いてある風景を心象風景みたいな言い方で天気だとか場所の様子が登場人物の気持ちを表していると解説されることがあるけども、わたしは逆だと思う。天気が悪いと落ち込むし、晴れると気持ちが上向くし、人間の心が天気に影響はしなくて(勝手に解釈することはあると思う。悲しいときに雨が降ってるとこの雨は自分の気持ちみたいと思うこと)、天気や場所が心に影響する。
 日記的なもの、とはいえ、日記というタイトルで、最初は1日ごとに更新していてここに来て間があいたのは、毎日にしないことにしようと思ったのもあるけど、仕事の締め切りがあったからです。わたしは一日に複数のことするのが苦手で、ある程度一つのことを集中してやるので、仕事の文章を書いているときは、生活のこまごましたこともできなくなる。そういうのも、長いことなんとかしようと思ってたというか、できない自分があかんみたいに思っていたけど、ここのとこはこの状態で生活を維持するにはどうしたらいいか方向に考えるようにしてる。それに,最初のほうにも書いたけど、できないのにやってきた自分まあまあがんばってるやん、と思うことにした。
 昨日の料理でなにがめんどうか問題もそうやけど、きっちり毎日家事をかたづけるほうが心の負担が少ない人もいれば、やらなあかんと思うこと自体が心の負担になる人もいて、どういうやり方でも心の負担が少ないほうにしたらいいと思う。
 今も、情報を知りたいっていうのと、入ってきすぎてしんどいっていうのと、人によっていろいろやし。ちょっと休んだり、休んでまたはじめてみたり、やり方はたくさんある。インターネットが難しいなと思うのは、自分の見てる風景と、別の人が見てる風景が全然違って、それを共有しにくいこと。以前なら、テレビとか新聞とかある程度共通してる風景を他の人が横から見ても知れたけど(でも、やっぱり見てるものは違ってたと思うけど)、家族とか身近な人でもどんな風景を見てるのかなかなかわからない。同じできごとも違う風景に置かれたら違う意味に見えるわけで、その違う風景のあいだの言葉が今は少ないというか、すごく伝わりにくくなってると思う。伝わらないっていうのもあるし、自分が見えてないことに気づかないで言ってしまうこともあるし。それもあって、今、直接のウイルスや感染や危機的状況そのものに加えて、どうなるかわからない不安、この先が見えない不安が余計に大きくなってるんとちゃうかなと。だからこうしたらいいみたいなことは、今の自分には全然言えないのやけど、そんなこともあってこれを書いているのかもしれない。短い言葉じゃなくて、ある程度の長さのある言葉のほうがええかなと思って。
 言葉はしんどいし、難しい。でも、言葉でやっていかなあかんこともある。
 言葉でやっていかなあかんこともある。でも、言葉はしんどいし、難しい。
 同じ言葉やのに、順番入れ替えるだけで変わってくる。ただ並列することってできへんのかな、と小説書いてるときにいつも考えてる。
 フルーチェ ミックスピーチを作りました。フルーチェ 贅沢マンゴーを作ったときに、なんか少ない、大人になったからそう感じるのか?と書きましたが、実際少なかったです。基本のフルーチェは牛乳200ml使用、記憶のフルーチェと同じ量、同じ味ができました。おいしかった。フルーチェは1976年発売やそうで、ものごころついたときにはあったということやね。

(4月19日のぶん)


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