見出し画像

てきとうに暮らす日記 19

 『きょうのできごと』を書いたのは、1999年のことだった。正確に言うと、5つの短編から成る『きょうのできごと』の1話目「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」を書いたのが1999年の確か4月で、それが初めて世に出たわたしの小説だった。原稿用紙でたった15枚の短編で(パナソニックのワープロで書いていた)、そのときはその1話だけだったのが、続きを書くことになり、その年の終わりまでに残りの4話を書き、単行本が出たのは2000年の1月。わたしの1冊目の本。
 それから、ちょうど20年。行定さんから電話があったのは、1週間ほど前のことだった。今の状況でできることをやろうと思っている、と。
 今日、その時間、わたしは友達とオンライン飲み会をやろうと約束していて、近所でお惣菜と度数が低くて甘い缶チューハイを買ってきて、画面越しに彼女と話しながら、その時間を待った。普段は家では飲まないので1か月以上お酒は飲んでいなくて、このあいだ書いたオンライン飲み会は人数が多くてわたしはホストだったのでお茶だけですごしたのだけど、今回は一人とだし、まあ、やっぱり今日は「きょうのできごと」だから、と思った。飲み会の話。飲み会の一日の、そこにいた人たちの話。
 時間が来て、

『きょうのできごと a day in the home』

https://www.youtube.com/watch?v=c_27tUZTOGI

が始まった。そこには、今自分が見ているのと同じように、分割された画面に一人ずつがいて、同じように飲みながらしゃべっていた。彼らは、好きな映画の話をしていて、一人が、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』をあげた。「a day in the home」なのは、『きょうのできごと』を行定さんが映画にしたのが『きょうのできごと a day on the planet』だからで、そしてそのタイトルになったのは、映画化の話をもらって行定さんと対談したときに、わたしがジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』が好きで、ああいうふうに時間がずれて1日のできごとで、と話したからだ(ちなみに原題は『Night on Earth』だ)。
 どうでもいい話、ええなあ、とわたしはポテサラを食べて缶チューハイを飲みながら、画面の向こうの友達に言う。友達も、どうでもいい話すごいしたいよね、と言った。20年間、わたしはどの小説でも友達とどうでもいい話をする場面を書き続けてきて、それは、自分にとってだいじなことだからというか、自分の人生はそれで成り立っているからなんだと思う。
 (このあとネタバレというやつです)

『きょうのできごと a day in the home』は、後半、5人がある一人の女性について話していて、そして彼女が登場した。見終わったあと、わたしは行定さんの初期作の『ひまわり』を思い出した。行方不明になった一人の女性をめぐって同級生たちや元恋人が彼女のことを語る。それから井上荒野さん原作の『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』のことも。こちらは、「つや」という女と関係のあった男たち、と関係のあった女たちが語るという、さらに多層的な構造になっている。誰かが語る誰かのこと。誰かがある人のことを語るとき、そこにその人の存在も、愛も、感情も現れてくる。その人自身よりも、語る言葉の中に、語る声の中にこそ、その人がいる。そしていっそう、その人自身は謎めいていく。そうかー、そう考えると『リバーズ・エッジ』の原作にはないインタビューシーンもすごく腑に落ちる。そして、『きょうのできごと』は、飲み会に居合わせただけの誰かがほかの誰かのことを語る、複数が複数を語る話なのだ。行定さんは、今の日本の映画監督の中で現代日本文学をいちばん読んでるんじゃないかと思うのだけど、この数年、わたしは小説は畢竟、伝聞、誰かが語る誰かの話なのだと考えていて、『きょうのできごと a day in the home』が終わって、友達とのオンラインをオフにして、そういうことを考えたのも楽しかった。 
「彼女について語るとき我々の語ること」、という行定勲論をそのうちに書こうと思った。
『きょうのできごと a day in the home』を作るほうにはわたしは関わっていなくて、シンプルに見て楽しませてもらう側で、ずっと家にいて人と会わなくて世の中の不安やじりじり抑圧されるような感じも増してくる中でやっぱりすり減っていくような感じがしていて(それでこの日記的なものも書きはじめたのだけど9、その日々の中に久しぶりに心が浮き立つような時間で、タイムラインを見ているとそう感じている人たちが、『きょうのできごと a day on the planet』をずっと好きでいてくれた人たちも、全然知らなかった若い人たちも、この数十分を楽しんで、そこで起きたことを語っていて、それが、20年前にわたしが書いたほんの短い小説から細々ながらもつながってきたことなのだと思うと、あのときまだ会社勤めをしていた25歳の自分に、今の自分が助けてもらっているような気持ちになった。
 『きょうのできごと』は、行定さんの提案で登場人物たちが30代になった『きょうのできごと、十年後』を2014年に書いて、そろそろ、『二十年後』を書き始めるときなのかもしれない。

(4月24日のぶん)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?