てきとうに暮らす日記 3
今日は、「プリンエル」でプリンを作りました。フルーチェは牛乳150mlだったので、あんまり減らへんなあと思いましたが、「プリンエル」は400ml使うので牛乳消費には向いてます。牛乳を鍋で沸かさなあかんので、吹きこぼれる危険、そして鍋を洗う手間が、混ぜるだけのフルーチェよりもあります。こんな簡単に作れるはずのものでも、と思う方もいらっしゃるかもですが、吹きこぼれてコンロ掃除せなあかんのも、牛乳の膜が張った鍋洗うのも、面倒というか、気持ち的にだめなときだったりするとだいぶダメージになります。洗うのはしゃあないとして、吹きこぼれないように気をつけましょう。
冷蔵庫で冷やすのは1時間。これもフルーチェの30分の倍なので、待つのがきらいな人はまずフルーチェからをおすすめします。そしてここでカラメルソースの登場。プリンの素も粉ですが、カラメルも粉です。そしてわたしは水を大さじ1入れて溶かすカラメル粉の粉がちょっと溶け残ってじゃりじゃり感があるほうが好きです。
できあがったプリン。記憶にあるのより、だいぶあっさり味で、食感もゆるめ。モロゾフとかのオーソドックスなプリンよりも、牛乳寄り。モロゾフを例に出したのは、プリンはモロゾフだからです。あのごついガラスの器に入ったプリン。あれがわたしにとってのプリンです。どこのどんなプリンを食べようとも、真ん中はモロゾフのプリンです。もちろん、子供のころの家のコップは全部モロゾフのプリンの器でした。だからプリンだけでなく、コップの真ん中もモロゾフです。
プリンエルのプリンは、あっさりゆるめなので(冷やしとくともっと固まるのかも)、ボウルやどんぶりにたっぷり作ってれんげや特大スプーンで食べるという、やってみたかった場面を実現することもできるかも。
それで、フルーチェ作ったときもそうでしたが、食べものは写真撮るの難しいな! ガラスの器ってちょっと汚れたり曇ったりしててもめっちゃ目立つし、中身を入れるときに縁についたのを取るのも難しいし、取った跡も残る。背景もきれいに片付けなあかんし(それは部屋に片づいてる部分が非常に少ない個人的な問題でもあるが)、おいしそうに見える色味になかなか写らへん。自然光がいちばん簡単にきれいに見えて、太陽すごいなって思う。食べもの写真を撮ってる人、尊敬します。そして、インスタ映えなんて安易に言うけど、Instagramでええ感じの写真撮るの、とても難しいと思う。みんな難しいことやってはるのやな。
プリンのグラスは、純喫茶コラボで新世界のドレミのです。ドレミ、行きたいなあ。
今日もずっと家にいた。昨日の緊急事態宣言のあと、書店も映画館も多くが休業することを知って、あまりにダメージが大きくて、ツイッターやインターネットを夜中も延々と見ていた。自分の仕事と直接関係あるというのも大きいけれど、仕事でなくても生活の一部としてあまりになじみすぎていて、ドイツや外国にいる人の情報でロックダウンでも書店は開いてるというのをいくつか見ていたから、どこかで書店は開けてくれてると思い込んでたのかもしれない。同時に、書店員さんも不安な中で通勤したり接客したりされてたのやなと思うと、負担をかけていたことの申し訳なさと、休業のあいだの書店のみなさんの厳しい状況と、そしてこのあとも営業を続けるお店の大変さと、あるいはオンライン書店の宅配にだってやっぱりリスクに直面しながら出勤して働いている人がたくさんいることと、そして当然出版関連以外の途方もないたくさんの仕事のことと……、外にあまり出ない生活がひと月半ぐらいになるけど、今までない混乱した気持ちになってしまった。
お昼くらいになってようやく、この数日とくに、自分がすごく見える範囲が狭くなってた、家にいると情報ばっかりどんどん入ってきてようさん知ってるようでやっぱり見えへんようになってる、と思って、自分の生活をまず落ち着けなければ、と、我に返った感じになりました。
この「日記」もそう思って書き始めたのになあ。すぐ、不安にとらわれてしまう、というか、とらわれていると思いたくなくて余計に狭いところにはまりこんでしまうのかもしれない。
エッセイを1つ書いて送り、修正を送りますと言っていたのに三日遅れていたのを送り、プリンを作って、これを書いています。これを書くことがいいのか、わからないまま。
ながらくのてきとうな暮らしの中で助けてもらってるあれこれを、牛乳消費おやつ以外にもちょっとずつ書いていこうと思ってて、でも今、いちおしの「一風堂 ホットもやしソース」が半分使ってる中途半端な状態かつラベルがラー油色になってしまっており、新しいのを買ってきていい感じに見える写真を撮るためには、もやしをあと7袋くらい食べなあかんなー。
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