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『カーニバル・リヴ』現地レポ・感想記事

ジョー・力一 1stワンマンライブ『カーニバル・リヴ』の現地レポートおよび感想です。

開演前のグッズ購入や東京散策の話もだらっと書いているので、ライブの感想を読みたい方は目次の「開演」まで跳んで下さい。

また、ライブの感想については、ライブのパフォーマンスそのものを描写した記述よりも、自分が何を感じたかに関する記述が多くなってしまったので、ライブを思い出したい方にはノイズの多い内容かもしれません。
現地でこんなふうに感じたヤツがいたんだな、くらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。


いざ品川

過去のイベントのグッズ販売にて苦汁を舐めてきた私は、朝一番の新幹線に飛び乗り、ひかりの速さで品川を目指した。
私は滅多に新幹線を使えないので、たまに使うと他の乗客が全員金持ちに見えて、なんとなく自分が場違いに思えてしまうのだが、今日は身なりの良い乗客が evian を飲んでいるのを見ても、「おれが今から買いに行く水は600円だぜ」と心の中でマウントを取れるくらいに意気揚々としていた。
戦意を高めつつ、乗車中は眠って体力温存に努めた。

8:10頃

品川駅に到着。この日は平日だったので、通勤時間の真っただ中だった。初めて目にした東京の通勤ラッシュは増水した河川のような迫力があった。
東京の人はタフだ。歩くスピードもすごい。

8:30頃

道中のトイレに寄ろうかな~と考えていたが、思っていたより駅から近くて、すぐグッズ待機列に到着してしまった。
お腹の具合に若干の不安はあったが、既に列が形成されているのを見ると並ばずにはいられなかった。
私が到着した時点での待機人数は40~50人程度だったと思う。上々の位置に着けた。

待機列はビルの陰になっていたので、暑さは思ったほどではなかった。
待機中はライナーノーツを読むなど、ライブの予習をして過ごそうと考えていたのだけど、最も楽な立ち姿を維持するだけで精一杯で、ただ突っ立っているだけになってしまった。
しかし、続々と集まるファンの出で立ちを眺めているだけで、全く退屈しなかった。

ファンの気合の入った装いに、ついつい目を奪われた。
髪色をばっちりキメた方々、素敵なおべべのぬい、自作のアクセサリー、ネイル。
痛バを見るのも結構楽しいと思うようになった。私の見た範囲では、「同種の缶バッジをずらっと並べたタイプ」の痛バよりも「多種の缶バッジ、アクスタを用いて、自作の装飾も施したタイプ」の痛バが多かったように思う。あれは、如何に彩りを美しくを配置するかに苦心していることが伺われ、一種の華道のような趣があった。
男性ファンも負けてなかった。シャツの色、靴の形から、意図するこだわりが伝わってくる。手前に並ぶ方が京まふの舞力扇子で涼んでいるのも風情がある。
おおっ、こちらの方もすごい。ぱっと見た感じでは、グッズや力ちゃんモチーフのアクセは着けていないし、色も直接的にイメージカラーを取り入れてるわけじゃなくて、ふつーにオシャレさんという感じだけど、はっきりとジョー・力一のファンって”理解る”ぞ。ハイコンテクストにジョー・力一を表現し、違和感なくそれを纏っていらっしゃる。すごい。この方が隠れキリシタンだったらたぶん幕府の目から逃れ切っているだろう。

待機列のある坂道を、Leeを履いた人が登ってくるのを見た時は、足に縋りつかれて登りにくそうだな、と思った。

にじさんじのイベントに行った経験は何度かあれど、「ここにいる全員がジョー・力一を好き」という空間に身を置いたのは初めてだった。
そわそわする感じも、どことなく居心地の良い感じもあった。お互いの存在を認識しつつも、あからさまには慣れ合わず。現実世界に普段の配信のチャット欄が顕現したらこんな感じなんだろうか、なんて思わなくもない。

待ち時間の途中からループ再生していたカーニバル・イヴが4周したあたりで、屋内の売り場への案内が始まった。私はめでたく第一陣の案内で入場。扉越しに聞こえてくるインスト版レイテストショーマンに浮足立つ。

そして、ついにグッズ購入。

お水が買えた!!!!

初めて現地限定グッズをゲットできた!!!!

予定より5,000円くらい多く使っちゃった!!!!
まあいっか!!!!!

10:20頃

購入後はその場で会場内のロッカーを利用できたが、開演まで開けるチャンスがなさそうだったのでやめておいた。
メモリアルチケット含む戦利品と共に屋外へ退出。
坂の上を見やると待機列の半ば程まで日なたになっていた。私は幸いにも直射日光を一切浴びずにグッズ購入を完遂できた。みんなも生き延びてくれよ。

開演まで 前

開演まで何をして過ごすかはあまり考えてこなかった。ちょっと前に風邪をこじらせてしまい、主目的であるライブ以外に割ける体力があるか微妙だったためだ。発病が1週間後ろにずれていたらと思うとゾッとする。

とりあえず、荷物をどうにかしたかった。
適当な喫茶店に入って、邪魔にならない席で荷物の整理でもしようかと考えたが、炎天下で適当に動き回るのはリスキーなので、会場近くのエリアに留まって随分悩んだ。結局、まずロッカーを探して、可能であればその場でグッズの整理もすることにした。
品川駅構内のロッカーが埋まっていた時は焦ったが、港南口のロッカーはまあまあ余裕をもって空いていた。場所が開けていたし、利用者もあまりいなかったので、その場で開封作業と整理をさせてもらった。
ペンライトの動作確認は毎回緊張感がある。これってもし点かなかったら交換してもらえるのか? 交換にはまた並ぶ必要があるのか? とか考えてしまう。

東京散策用の荷物だけを持ってロッカーを施錠。
開演前になったら、もう一回開け閉めして、ライブ用の荷物に切り替えるわけか……。

もう5年、いや、3年前だったら、ロッカー代をケチってどうにか1回の開け閉めに収めていたと思う。

私って、ロッカー代の400円よりも、自分の体力を優先するようになったんだなぁ、と若干のもの悲しさを覚えた。

誰よりも早くMV再現(?)を達成

身軽になったら、動き回っても大丈夫そうな気がしてきたので、体力に余裕があったら行こうと考えていた場所を目指した。

開演まで 中

11:45頃

降り立ちましたるは、上野駅。
むかーし旅行で上野動物園に来たことがあるはずなんだけど、全然記憶にない景色だった。

朝が早くてもうお腹が減ってきたので、適当に昼食を済ませることにした。

リーズナブルなメニューの載った立て看板を見つけて入店。
キノコとベーコンの和風パスタをいただいた。
暑さに塩気がうれしい。

ちゃっちゃと食べて出発。

上野公園は平日でも十分すぎるほどにぎわっていた。
中学生くらいの団体がいたけど修学旅行ってこの時期だっけ?

東京暮らしに憧れたことはあまりないけど、大きい美術館、博物館があるのはめちゃめちゃ羨ましい。あと図書館も。
美術に関心はあるものの熱心というほどではないので、今回興味を惹かれた展示も、展示期間が今回の遠征とかぶってなければ諦めていたと思う。そういう意味でも力ちゃんに感謝している。

目的地に到着!

東京都美術館『デ・キリコ展』ですわ~!!

キリコは、美術の教科書で『通りの神秘と憂鬱』を見て以来、なんか好きだなぁと思っていた画家。素寒貧丸出しの庶民なのでそれ以外の知識はギャラリーフェイクで読んだ内容ぐらいしか持っていない。

ライブの前に美術鑑賞という行為を行うことで、鈍ってしまった感受性の準備運動ができるかも、という期待もあった。感度を高めてライブの表現を余さず受信できるようにしておきたかった。
そのため、今回はあまりあれこれ考えずにただ作品を見ることにした。小癪な言い方をすると、“見る”というより“感じる”意識で臨んだ。ムロツヨシの音声ガイドも聞きたかったけど、ライブで上書きされて、聞いた内容は持ち帰れないと思ったので断念した。

展示は本当に素晴らしかった。美術について語るには知識がなさすぎるので端折るけども、目当てにしていた「マヌカン(マネキン)」を題材にした作品を実際に見た時には、射竦められるような感覚があった。
舞台美術、彫刻の展示もあって、とても多角的に刺激を受けた。その中でも特に印象深かったのが、ある時期の絵に用いられた「ギザギザのシルエット」の表現だ。最初に見た時はこんなのも描いてるんだなーという感じで、そこまでインパクトがあったわけでもないのだけど、あとからざわざわと気になってきて、順路を進んでは戻ってもう一回見るを何度か繰り返した。ポストカードも買っちゃった。気になる方は『オレステスの悔恨』、『城への帰還』というタイトルを調べてみてほしい。

図録の購入は見送った。その代わりに初めてポストカード以外の印刷商品を買った。30×40cmくらいの厚紙の『予言者』の印刷。ミーハーなチョイスだけど、もうちょっとこの絵をじっくり見たかった。曲げずに持ち帰るの大変だった。

館内の無料展示を冷やかした後も微妙に時間が余っていたが、ライブに体力を温存しなくてはならないので他を見る余裕はなかった。国立西洋美術館の展示もすっごい気になったんだけどなー。
「せっかく来たのに……」と後ろ髪を引かれる気持ちを解消したくて、何かランドマーク的なものを見ようと思い、少し歩いて不忍池を眺めた。蓮の葉でみっしりだった。

開演まで 後

15:40頃

品川駅に帰還。この時、そういえば駅のどこかにリヴのデジタルサイネージがあるんだっけと思い出したのだけど、不忍池まで歩いたのが完全に余計でちょっと疲れていたので、見物は断念してロッカーでライブ用の荷物を整理した。

今回の遠征で後悔してるポイントはここだなぁ。

あれもあった方が、これもあった方が、と不安になってしまってボディバッグに収めきれず、メインのリュックを持ち出してしまった(中身を減らして薄くはなっていたし、柔らかい布製なので万一接触しても危険はないかなと思い)。
備えは大事だけれど、「もしも」が起きない限りは無用の長物なのだから、現場でどうにかする方法を考えるなどして、いかに荷物を絞るかに知恵を働かせるべきだった。案の定リュックはライブ中に抱えるには邪魔だったし。

特に想定が甘かったのがカズーの携帯方法だ。カズーを実際に見るのは今回が初めてだったのだが、思ったよりもデリケートなグッズだった。声の振動を増幅するパーツと思しき部分は薄いフィルムが露出しており、接触の危険がある衣服のポケットや、ボディバッグに他のものと一緒に入れておくことはためらわれた。しかし、会場内での出し入れがスムーズである必要もあり、収納場所にかなり頭をひねった。
カズーと思って舐めていたが、楽器の運搬と考えてみれば、十分に気を遣う必要があることは明らかだった。剥き身で運ばれる楽器なんかあるかよ。
もし、今後もカズーを使用できる現場があるのであれば、専用のホルスターがあった方がいいんじゃないかなと思う。自作も面白そうだけど、一本刺しのペンケースを流用すればうまいこといけそうな気もする。

しっくりこないまま準備を終えた後はライブTシャツに着替えて、会場付近へ移動した。

コンビニで最後の燃料補給を行い、適当な場所で体を休めていたら、いつの間にか入場待機列ができていることに気が付いて、慌てて坂を登った。
幸い、列というわけではなく待機場所が形成されていただけで、後からチケットの番号順に呼び出されるとのことだったので、この遅れが入場順に影響することはなかった。

待機中は直前番組を視聴。過去イチで印象的な入場者インタビューだったかも。
“楽しかった”というのが最初の感想ではあるんだけど、まあまあ複雑な感情が湧いた気もする。といっても、インタビューに出てきた方々に向けた感情ではない。
なんだか鏡を見ているような気分になったな。とてもよく映る鏡で、あまり見たくないところまで映っていたような感じ。で、それをはにかみながら受け入れていた。

そうこうしてたら自分の番号を呼ばれて、小走りで進んだ。
私の入場番号は1階のスタンド席のものである。なるべくいい位置を取りたいと気が逸ったが、ライブ中に“ピチョン”とくるのだけは回避しなくてはいけないという理性は働き、念のためトイレに寄っておいた。

いざ会場に入ると、さすがに最前は埋まっていたが、存外、各所にゆとりがあって、却ってどこに行こうか迷ってしまった。流れに沿って進み、足の止まった位置は、それなりに前方で、十分ステージが見渡せた。
もっといい位置に分け入っていきたいという欲望を良識で押し込めた末、この場所に落ち着かせていただいた。

もうあとはそわそわする以外できることはない。

え、ここに登場するのか? ステージがフロアに近すぎないか?

事前番組に登場した、今日が誕生日だというファンへの祝福の拍手で、いくらか内圧を下げられたものの、落ち着かない。落ち着けるわけがない。

始まるのか。

ちょっと待てないか?

無理か。


開演

お、ブギーマン。

と思う間にオープニングムービーが始まった。

摩天楼の狭間にひっそりと、しかし煌びやかに鎮座するサーカステントに吸い込まれる。

いつ来るかとステージ中央から目が離せず、上部スクリーンのカウントダウンに気付くのが遅れて、慌てて“7”から声を出した。

めくるめくスペクタクルの予感!
ショーが始まる!

1.レイテストショーマン

1曲目はこの曲でしょう!
こいつを聴きたくて今日まで生きてきたんだ!!

魔法の呪文を唱え! ご唱和ください彼の名を!

Hey! レイテストショーマン!

開幕のこの瞬間は、超ド級の衝撃にもんどりうって、必死で体勢を整える時間が生じる。ステラボール品川という会場で見るパフォーマンスへの適応の時間だ。
こんなに近くでライバーさんのパフォーマンスを観れたのは初めてだ。頭から足の先まで見えないところがない。この場所に立てて良かった~という感謝が溢れる。ポジションについての憂いは完全に消失した。

声が出せる。とうとう声が出せるよ。SitR 名古屋公演から実に4年と3ヶ月と19日。シンフォニアを逃し、ようやく声が出せる場所に来れた。今日は喉を潰してやる!

最高のショーマンの、最高の登場を迎え、次の演目への期待感は天井知らずだ。

2.ジョン・ドゥ・パレード

キリキリキリ……というゼンマイと、オルゴールの音。

出し惜しみゼロのセトリに狼狽えつつ、
「あれはクッキー缶か?」とスクリーンを見つめ…………

絶叫した。

そして、絶叫した。

私自身の記憶の保持の意味もあって記すが、アーカイブに入っている観客の声は全体的にだいぶ絞られている。その上で、あれだけの音量が入っていると思ってほしい。
セトリの2曲目というのは、1曲目で会場が温まってからのびっくり要素を担うことが多いような気がするけれど、とんでもなく強烈だった。
心臓を止められた後、ショック療法で蘇生させられた

アーティスト衣装である。

歓声か悲鳴かも分からない声を上げながら、ステッキ捌きに魅了された。
この時、自分の中で、もっと生の歌声を集中して聴けバカヤロー!と、この距離で見る新3Dお披露目はもう一生ないかもだぞ分かってんのかボケナス!という、「意識を割くのは歌唱 or ビジュアル?」の大激論バトルが勃発していた。完全にキャパオーバー。脳みそがもう1個欲しかった。

流し目があんなに決まることあるんですか?

なんかこの時の私、「こんなことしていいと思ってるんですか?」みたいな感じでキレそうになってた気がする。感情が迷子になってた。

3.フェイキング・オブ・コメディ

この曲も聴きたかった!!!
初めて聴いた時はあまりにも力ちゃんに似合う曲だなと驚いたものだ。
初回限定盤の中でも再生数の多いお気に入りの曲である。

ダンス。たまらんかった。

前曲のダンスは“新境地”のジョー・力一を見ている感覚だったのだけど、この曲のダンスは、過去に我々を魅了してきたジョー・力一の“持ち味”が存分に出ていたと思う。不埒なステップ、ステッキマイクの取り回し、魅惑の腰つき。
おかげで、私はこの1曲中に力ちゃんとアーティスト衣装が馴染んで、動揺せずに観れるようになった。

そして、もうみんなに良いって言い尽くされてるやつを私も言っちゃうけど、「君を笑わせたいの」の振りね。

このライブの振り付けで一番覚えてるのやっぱりこれなんだよね。

初めて振りを見た時、笑っちゃったんだよね。楽しい振りだったから。
それと同時に胸がカッと熱くなった。振りを見た瞬間じゃなくて、面白いという感情が生じた瞬間に感動した。
「君を笑わせたい」って想って、今、私たちが「笑わせてもらえたんだ」って気がしたんだよ。
実際に笑わせてもらいながらあの歌詞を聴けたから没入感がすごかった。曲中の感情をこんなにダイレクトに受け取れたことない。
ラブソングを聴いて「おれ愛されてるわぁ」って思えたことないけど、この時は「笑わせたいって思ってもらえてるんだ」って気持ちになれたんだよ。

笑えるって、笑わせてもらえるのって、すごく幸せなことなんだと感じて。これまでたくさん笑わせてもらったよなぁ、まで考えたらなんか感極まってしまった。

見た時に感じたのは面白いだったんだけど、めちゃめちゃ格好いい振り付けとしても記憶されて、本当にジョー・力一らしくて大好きな振り付けです。

MC ①

改めまして皆様……。
ジョー・力一 1stライブ 『カーニバル・リヴ』へようこそ!!

(本記事では力ちゃんの発言を一部引用表記にて記載しています)

MCの時間はいいねぇ。

普段、配信で見てるのって「話すところ」だからさ、ライブの「話すところ」を見ると、普段とのテンション感の違いを改めて感じられて、好きなんだよね。

MCパートに拍手以外でレスポンスができること、気兼ねなく笑い声をあげられることにも感激していた。

最後まで、無事に万全に楽しんでまいりましょう!

と言ってもらえたけれど、序盤から飛ばしすぎて、無事に帰れるか自信がないな。

無料パート終了の「え~」はせっかくだから言っておこう。

給水。会場が爆破されなくて良かった。

曲フリきた! お、匂わせる感じか?
私あんまりこういうの察せたことないんだよな……。

大事な友人の曲でございます。

友人………!?

ここ品川という地で……

うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!

おれは吠えた。

発声の反動で体がくの字に折れた。
意図した動作じゃなかったので自分でびっくりした。

4.品川シーサイド

声が出せるライブで!
品川シーサイドを!!
聴けた!!!

最ッッッ高!!!!

『品川シーサイド』というフレーズが本当に完璧なんだよ。吸った息をちょうど全部出し切れる尺感と口の動き。超気持ちいい。
「次は!次は!」と目的地名も全力で声出してしまった。
本当に気持ちのいい曲なんだよ。推進力があって。143.2光年先のカウス・アウストラリスにだってぶっ飛べる。
なんだったら朝に品川駅に降り立った時にも口ずさんでたよ私。

そりゃあ力ちゃんも品川ならこの曲を歌いたいよね。
便乗させてくれて本当にありがとうの気持ちだった。マジで楽しかった。

マイクを向けられ大興奮

ゲスト出演した“ぶいあーる!”でゴートさんの『Lunatic Mountains』を紹介していたのは、推し曲だからというのは勿論として、ネタバレは避けつつ、この曲をゴートさんのチャンネルに聴きに行く流れで、まだ『品川シーサイド』を聴いたことがなかった人たちが予習するチャンスになれば幸い、みたいな考えもあったのかもしれない。
このラジオを聴いた時点では正直全然予想してなかったな。

縁や偶然なくして見ることはできなかったであろう、奇跡みたいなステージだった。
そして「奇跡みたい」と思った上で、またなんらかの形でこういうステージを見たい!とも思った。
この曲にこれっきりなんて似合わないよ!

さあ 皆さん。
次は! 次は! 次は!次はどこへ行きますか!!!

5.ソワレ another rum ver.

前曲で湧きに湧いて熱くなった会場が、一転、メロウな時間に突入した。
ダンスで火照った身体をドリンクで鎮めるかのように、甘い歌声に浸った。

この曲は生演奏で聴けた喜びが特に大きかった。バンドサウンドで聴くラップパートは本当に至福でした。
万華鏡のような背景映像も素晴らしかった。美麗なエフェクトを背負った力ちゃん自体にもうっとりしてしまったのだが、背景映像に曲の世界観を直接的に示唆するモチーフを映さず、幾何学模様で構成することで、“ムード”の演出に注力されていたのが私好みだった。

『ソワレ』は“場所”のイメージがはっきりとある曲だ。
背景映像での直接的な描写を排することは、曲の発する“場所”のイメージを会場そのものに憑依させる作用があったと感じた。ステラボールという会場との相性の良さもあったのかもしれない。
ステージ上で演じられる世界を観賞するのではなく、会場自体が曲の世界に重なったような感覚だった。私が持っていたドリンクもあの時間だけはモヒートに変異していたに違いない。実際、曲終わりには酩酊に似た、ふわふわとした恍惚感があったもの。

この曲は、喉の鳴らせ方、フェイクの入れ方等々、アレンジの幅が広そうで、公演ごとに表情の違うソワレが聴けそうだという期待感があった。
『カーニバル・リヴのソワレ』を宝物にしつつ、次のソワレが楽しみで仕方がない。

6.化け猫

耳に覚えがない曲だったので、必死で歌詞や演出を吸収することに努めた。ライブ中は、ダウナーで妖しい雰囲気や、低音の歌声に酔いしれるだけで精一杯で、「エロいにゃあ……」というバカの感想しか出力できなかった。
(後に確認してみたら、過去に昼ラジオの締めでこの曲を歌唱済みだった。
「また歌おっ」とまで言っていたが、まさかここで歌うとは。)

そんな状態でもはっきりと残っている記憶がある。
サビをオープンスタンスで歌っていた時、股下の空間からジャケットの裏地が見えるのがすごく華やかだった。フロアから見た時の目線の高さがちょうどよくて、顔そっちのけで股下を見ている時間があった。

通常衣装でパフォーマンスをした際のオープンスタンスも非常に印象的だった分、通常衣装とアーティスト衣装のギャップを大きく感じた瞬間だったのだ。

あのだだっ広い空間が遂に埋まった!?」という感動があった。

通常衣装の時は高いアーチが形成されることにより、尋常でない足の長さが映えてソリッドな印象があったが、この時は、股下のスペースが埋まったことで重厚感が生まれ、“止め絵”としての完成度の高さを感じた。

ここは拝んだ

7.Nightmare

檻だ!?

カバー動画のMVでも同質の感動を味わっていたが、このステージもまた、セット、背景映像による視覚的なインパクトが凄まじかった。

しかし、そんな怒涛の演出の中にあっても、最も存在感を放っていたのはジョー・力一だった。

この曲の真価が完全に発揮された迫真のパフォーマンス。
アンニュイな入りから、サビでは一気に”ぐわぁっ”と吞み込まれるような感覚だった。
私はこのステージは力ちゃんの“鬼気迫る表情”が強く印象に残っているのだけど、今思うと、少々過剰に印象に残りすぎている。
というのも、実際に表情を見たのは檻越しだったし、多少は距離もあったので、あそこまで鮮明に表情の記憶が残っているはずはないのだ。実際に得た視覚情報以上の印象が残るほどに強烈な感情に晒され、それが表情というイメージで脳に刻み込まれたのだろう。

また、迫真、強烈といった印象だけではなく、観る者にシナリオをイメージさせるような緻密さも感じられた。
私は初め、檻の中の彼を、悪夢に囚われた、憐れな虜囚のように見ていた。
しかし、終盤。
力なく項垂れた彼は、繰り糸に絡めとられ、“操り手が変わった”かのような変転を遂げる。
格子の向こうから発される狂気は、まるで彼こそが悪夢の化身と言わんばかりで、「もしもこの檻が開いたら、私はどうなってしまうのか」との畏れを抱かずにはいられなかった。

“檻”はそれ自体が恐怖を演出するモチーフになるが、恐ろしいものを閉じ込めるものでもある。檻の外と内にあるもの、“檻に閉ざしてくるもの”と“檻に閉ざされているもの”のどちらもが恐怖の対象となり得るのだ。
その二面性を巧妙に活かし、恐怖の対象をぬるりと変遷させていくこの演出は、恐怖の持つ“捉えどころのなさ”を見事に表現し、正しく悪夢的なステージを作り上げていた。

8.FAKE LAND

長めの暗転。

からの、

ああああああああああ! FAKE LAND!!
生で!? やってくれんの!!?

・・・・!!?

ムーンウォークしとるやんけ!!!!!!!!!!!!!!!

色々処理しきれないうちに発された「最初から最後までフルで歌いましょう!」との無茶ぶりに対しては、周囲からも「ムリダー!」と声が上がった。

ここまであれだけ歌ってきてるのに呂律がブン回っている。
そんでもって体もトリッキーに動き回っている。

この超絶技巧によって為される破綻なき滅茶苦茶がたまらん!

サビ前のポクポクポクの首の動きと、「心配ないからおーいで!」のかかと歩きが大好き。

そしてそしてそして!

カズーきちゃああああああああああああああああああああ

カズーの音はステージでも映えるねェ!!

ラスサビ前の深い息遣いには「渾身のパフォーマンスを浴びている……!」という滾りを覚えた。
アウトロの煽りにレスポンスが返り、盛り上がりのピークが最後の決めポーズまで更新され続ける、セトリの中でも屈指の劇的なステージだった。

MC ②

会場内の酸素を吸いつくしても、おひらきとはいかない。

本パートを振り返って力ちゃんが「情緒が乱高下するようなセトリ」と言っていたが、ここで、『ソワレ』 ~ 『FAKE LAND』のパートについて、私の与太話に付き合っていただきたい。

『品川シーサイド』は前フリのためにMC明けの位置に置かれたものと考えているので別として、『ソワレ』 ~ 『FAKE LAND』で一連の流れが作られていると感じた。

まず、『ソワレ』、『化け猫』、『Nightmare』という流れ。

“酒”の時間に始まり。

“性”の時間を経て。

“悪夢”を見るに至る。

ここから私は、夜がどんどん深まっているイメージを受け取った。

ダンスホールという賑やかな場所から、愛憎渦巻く街の路地裏を往き、己が脳内に閉ざされるという流れも、徐々に社会や他者から断たれて、自意識が濃縮されていく過程を見ているかのようだった。

そこからの『FAKE LAND』だ。

悪夢から覚めたら、ピエロになっていた。

この文脈、良くないですか!?
私はこういうのが大好きなんです。

『カーニバル・リヴ』はオリ曲を軸とし、全体的に“ジョー・力一自身”から生ずる地のパフォーマンスで構成されていた印象があるのだが、このパートに限ってはテーマをもって“演じる”意識が感じられた。
普段の活動になぞらえて言うならば、このパートは“ボイス作品のジョー・力一”的な魅せ方だったと思っている。

特に、他の曲と比べて伏線がほぼないのに起用された『化け猫』からは、「この曲である必要がある」という演出意図を感じた。エロティックな曲も歌いたいという意図だけであれば、他にも候補はあったと思うが、相手への執着が破滅願望的に表現されるこの曲を用いることで、次曲『Nightmare』へ続くグラデーションを作り上げていたのではないだろうか。

そして、「このパートがボイス作品的というのであれば、どのような作品なのか」なのだが、私は“あるピエロの誕生秘話”というテーマをイメージしている。
『FAKE LAND』のパフォーマンスが表すような、陽気で、クレイジーなピエロ。そんなピエロが生まれるまでのオリジンエピソードだ。

映画『ジョーカー』のダンスシーンのように、創作ではしばしば、ピエロの底抜けにひょうきんな振る舞いを、“吹っ切れてしまった”、“壊れてしまった”が故のものと解釈されることがある。
このパートも同様に、夜に足を踏み入れ、化かされ、悪夢に呑み込まれ、お道化るしかなくなった、という起承転結がイメージできる。

ひとつひとつのステージはショーマン的に華やかな盛り上がりを見せつつ、連ねて見ると、ピエロの持つ孤独や哀愁を汲み取れるような秀逸なセトリだった。
自らのアイデンティティである“ピエロ”という存在、概念に対して、ずっと真剣に向き合い続けているのだと思う。
思えば、力ちゃんが初めて出した歌動画は『夜とピエロ』だった。


思ったより長く個人の解釈を書いてしまった。
ライブ本編の話に戻ります。今はMCパートの話でしたね。

ペンライトの色がまちまちなのが良いですね、ほんとに!
ちらし寿司みたいで。そのままでいてください。

この言葉を聞いた時は、なぜか分からないけどむしょ~に嬉しい気持ちになった。
ちなみに私のペンライトは現地で購入した1本と持参した1本に、それぞれターコイズと濃いピンクを灯していました。

一本一本レイテストショーマンを聴かせた水等のグッズについてのトークを経て、大願成就の瞬間が来た。

カズー合奏、もとい、おちぷに斉唱。

私はカズーを吹くのはぶっつけ本番だったので、鳴るには鳴るけど力ちゃんほどキレイに響かせられなかった。
また少々不甲斐ない話だが、この時の私はことのほか強く羞恥心が出てしまった。声量は十二分に出ていたものの「ほひんひんうにうに」程度にぼやかして発声してしまい、更にはバンドの皆さんの表情をチラッチラッと窺っていた(キリッとした顔で見ておられた)。

カズーを片している間の演奏も、実は初見でピンとこなかった。アーカイブで聴き直したら一発で配信BGMって分かったんだけど、当時は頭の中で違うメロディラインを追ってしまって迷子になってた。

気前良くセトリを一曲増やしてもらったところで次のパートに突入!

9.コルロフォビア

ここの感想、一番共感を得られない気がしてちょっと不安。

『コルロフォビア』は“原曲”と”ライブ”のギャップがすっごく大きい曲だと思う!

原曲はミニアルバムの中で最もダークでディープな曲で、聴いたら苦悶せずにはいられないような曲だったけど、ライブだと完全に楽しい曲だった。
楽しいと言っても、ポップでハッピーな曲になったというワケではなくて、元々のダークさが全部楽しさに裏返った感覚だった。

あれだ!テーマパークで、名作ホラーを元にした、ライド・アトラクションに乗った感じだ!

スクリーンに映るデカいピエロに見下ろされるのも、ライブの音響でサビ前の囁き声に包まれたのも、すごいアトラクションっぽかったんだよ!

大写しのMV 繰り糸が会場に伸びているかのよう

ちょっと考えてみるか…………、

アトラクション名:コルロフォビア

【バックストーリー】
精神研究所の見学中、アクシデントに巻き込まれた貴方は、被験者であるフリーのピエロの心象世界に囚われてしまう。
その世界を支配していたのは、全てを見透かしたように笑う、一人のアルルカンだった。
果た して…、貴方はこの心象世界から脱出できるのか?

この夏オープン!
狂気とスリルの内省系アドベンチャー!

…………的なね!!

あー楽しい。こういうことだけ考えて生きていきたい。
施設は病棟っぽくして、ライドマシンがある場所への入り口は鏡の形にしたい。
VR系なら乗客には自分の姿が木偶人形に見えるようにしたい。

こんな妄想が捗るのも、「こんなに内省的な曲で、こうも楽しく盛り上がれるのか……」って驚きが大きかったからなんだよね。

一人で聴くのとみんなで聴くのとで別モノになったというか、“バズリズム”でのパフォーマンスを観た時もちょっと思ったんだけど、聴かせルロフォビアと魅せルロフォビアの2種類があるような感じがする。

「さーんもーんしーばい」や「damn!」で声出すのとか、ラストの「ア〜ルルカ〜〜〜アァン!」って力強いアレンジもとにかく盛り上がった。
個人的にはライブにおける『コルロフォビア』は盛り上がるための曲というイメージで定着しそう。邪道で王道な“裏アンセム”って感じだ。

10.死ぬな!

皆さんからぼくに!
ぼくから皆さんに!
エールを送り合いましょう!
まだまだくたばるワケにはいきません!
少なくとも、今日このライブが、終わるまでは。

入りからボルテージMAXで始まったステージ。

一際強い感情のこもった歌声。
悲痛さや鬱屈とした気持ちを湛えたパートから、ぱぁっと晴れやかな
「皆様ようこそお越しくださいました!」
ここを現地で聴けたのが本当に最高だった。みんな「来たよー!」とばかりにペンラをぶんぶん振ってた。

そして「死ぬな!」の大音声。
会場にものすごいエネルギーが渦巻いていた。

死ぬな!死ぬな!死ぬな!死ぬな!

ここまでステージでも我々は大いに盛り上がっていたけれど、この時は、前フリで「エールを送り合おう」と言ってもらえて、「ようこそお越しくださいました」と迎え入れてもらえて、リミッターが外れていた。
多分、行儀の良い人が多いからこそ、演者側に「いいぞ!やれ!」って言ってもらえた時のハッチャケっぷりがすごかったんだと思う。探り探りな感じがゼロだった。

会場にいる全員が、渾身のエールを送ろうと一生懸命だった。
あれは演者の言葉を復唱したり、お決まりの応答をするコール&レスポンスじゃなかった。一人一人が自分自身の感情をありったけ込めて、生きた言葉として発していた。「感じた」としか言いようがないんだけどマジなんだよ。ペンライトと同様にあの声援は単色じゃなかった。

だからか、会場の声の記憶が本当に濃い。ライブに行って、ステージからくる声だけじゃなくて、ステージに向けて発された声がこんなに印象に残ることあるんだな。かけがえのない体験だった。

11.明転

前曲で思いっきり感情を放出して、この時の私は、ある種、すっからかんの状態になっていたのだと思う。
『明転』を聴いている最中は、あまり明文化できるような思考は浮かんでこなかった。いつになく曲が“入ってくる”感覚だけはあった。

改めてあの時の感覚を言葉にしてみると、『明転』というタイトルの意味を心底実感していたように思う。

ステージ演出として、煌々と輝いていたミラーボール。
私はこの光に、派手さや、華美な印象を持っていなかった。
むしろ、“ささやか”と感じていたといっても過言ではないかもしれない。
「光が射してきている」とか「光が瞬いている」ような感覚だった気がする。“光”があること、それ自体への安らぎとか嬉しさみたいなものを感じていた。

ラスサビ前。静寂から、ピーンと澄んだ音が響いた。
あの瞬間、モヤが晴れるような、何か変わったような気がした。

0から100みたいな劇的な変化じゃない。
-1から1みたいな……、いや、これもなんかちがうな。

-1から、まだ-1にいるままの状態だけど、正の方向を向けた。
そういう、見ても分からないくらいに僅かで、すごく大事な、転換点になるようなステージだった。
何もかもうまくいくなんてとても思えないままだけど、なんとなく、良い方へ進んでいけるかもしれない。そんな気持ちになった。

12.サーカスナイト

忘れるわけがないメロディ。
あの時と同じ色の、光の粒のビジョン。

なのに、「“あの曲”だ」と確信できなかった。
こんなことありえないと思っていたから。

赤い、傘。

・・・やっぱり 本当に あの曲だ

この遠征における私のウルトラファインプレー。

握りしめた2本のうちの1本。

今回私が持参したペンライトは!

NIJIROCK NEXT BEAT のペンライトだっ!!!!!

どのペンラを持っていこうかなと迷って、確たる理由もなくチョイスしていたので、幸運な偶然だった。
ペンラを握る手が狂喜乱舞しかけたが、曲の雰囲気にそぐわないとすぐ諫めた。

ただ、力ちゃんの歌うこの曲をまた、マジでタイムシフトが非公開になった2021年11月13日ぶりに聴けたことへの動揺は如何ともし難く。
曲に浸りたいのにっ!浸りたいのにぃっ!!
心の声がうるっせえ!!!!!!!!!!!!!
と大変なことになっていた。

だから、私は、このステージそのものに対する純粋な感想は記しえない。
とにかく胸がいっぱいだったが、その内容物には、蘇ったにじロの思い出も多分に含まれているからだ。
しかし、このステージについては現地参戦の幸運に恵まれた一人として、克明に記さなくてはならない点が1点残っている。その使命だけは全うしたい。

滔々と語るように歌い、動きの少ないこの曲であるため、ラストの綱渡りをしながらステージを去る場面は、本当に、本当に心に残っている。

右手に傘を差し、左手でバランスを取って、ロープの上を渡っていく。
その足取りは決してスムーズではない。
お道化ているのかもしれないけれど、ゆらゆらとして、ちょっと覚束ないくらいだった。
それでも、彼は進んでいく。背中を向けたまま去って行ってしまう。
そして、とうとう、ステージの奥の暗闇へと消えてしまった。

会場の我々は、傘と背中が、歩調に合わせ、ゆっくりとフェードアウトしていく様を目の当たりにしていた。その時に感じた切なさたるや!!!

アーカイブはこのシーンを横からも映していたが、カメラが正面に戻った時には既に姿が消えており、フェードアウトの様子が全く映せていなかったのは惜しいと言わざるを得ない。

横からも見れることへの嬉しさもないではないが、私としては、ただ背中を見送ることしかできなかったからこそ、この曲の“別れ”のテーマを強烈に感じられたように思う。
彼はもう、こちらを振り返ってはくれない。
今、どんな顔をしているのかも分からない。
ロープを渡れない私は、追うこともできなかった。

MC ③

このMCパートに再登場した時の安堵感もよく覚えている。

『死ぬな!』と叫んでから、『明転』に至り、そしてしっとりと、えー、最早、伝説となった、……自分で言うかね。
にじロックのサーカス縛りの中から一曲、『サーカスナイト』、披露させていただきました。いかがだったでしょうか。

やっぱり出演者にとってもあのライブは伝説なのだな、と知れて嬉しかった。

ライブ終盤ともなってくると、本当にクるMCになってくる。

今一度、ミニアルバムの作詞に込めた思いを語り、

もうすぐライブが終わるから校長先生がやってきましたね。
分かりますか皆さん。

との気恥ずかしげな言葉にも笑みが漏れる。
ライブという、ファンに面と向かって話ができる機会になると、いつも懸命に言葉を紡いでくれることが本当にうれしくて、与えてもらってばかりなのがもどかしいくらいだった。

今回のライブは身に余る光栄で、ここに来るまでの不安もあったと吐露した。そういった気持ちももう歌詞に書いていた。過去の自分が伏線を張っていた。

「たった一人でステージに立って あの手この手で……」
これは別の人の歌詞でしたね。
ぴったりなんだもんほんと!すごいよね。

わかる。初見で「え?テーマソング?」って思った。

配信組の送る「草」に「その草は薬なんだよおれたちにとって!」と情熱的に感謝を述べ、最後には”これから”についての思いを話してくれた。

まだまだ!そう!新しい挑戦をしていきたいと。

思ったでしょう? 新しい衣装を着て、ステッキを持って。
「あ……、踊り出した。」っていうふうに。
これはやはり挑戦ですし。やはり皆さんに見せたいものに対して、理想に対して、やはり自分が一生懸命食らいついていきたいな、という気持ち。
すごく、やるにつれて、たくさん経験を踏むにつれて、すごく、増えてきました。

すごく幸せで。すごくしんどくて。
でも、たぶんやり続けたらまだなにかありそうだなっていう。

また自分が、過去に伏線を張ったんですけども、
たぶん「一生、カーニバル・イヴ」なんだろうなというふうに思いました。

なので皆さんも一生、このカーニバル・イヴにお付き合いいただければ幸いです。

会場からは熱い拍手と歓声が返った。

「大見栄を切ったところで最後の曲です!」と声がかかり、ミニアルバム最後の一曲『Stream Key』のコーラス練習が始まる。
一度目のトライで完璧にコーラスが揃い、「練習してきた?」「DAM行った?」と驚く力ちゃんに「行ったぞー!」と返した。「すごく今、幸せな気持ちになりました」とまで言ってもらえて、ずっとそう思ってもらえるようなファンでありたいと思った。

そして「バカ!」と思い切りコールしてほしいとのお願い。
これを聞いた時、『フェイキング・オブ・コメディ』の例の振り付けを見た時と似た感動を覚えた。とことんまでピエロでいたいんだなと思った。

フライングバカさんの一幕はライブの醍醐味だなと感じられた、いい思い出だ。
私は絶対やらないけど、ああいうことをやる人がいるのは楽しい。
鉄火丼ではなくちらし寿司でいような。

13.Stream Key

ジョー・力一の色んな側面のうち“配信者”としての一面を描いた曲。
本編ラストということもあって、”ライブ後”に意識が向いたのか、この曲を聴いてる間は、「配信が楽しみだなあ」という気持ちが湧いていた。
直後にあるであろうライブの振り返り配信を、ピンポイントで楽しみにしていたのではなくて、これからの配信すべてというか、また力ちゃんのチャンネルで会うのが楽しみだった。ライブが終わってもまた会える、あの空間がある、ということがうれしくてたまらなかった。

ミニアルバムの作詞は、メッセージ性の強い部分もあれば、本人曰く、韻律や雰囲気を優先して、厳密な意味を持たせていない部分もあるとのことだった。
そんな中で、私が、ジョー・力一の哲学、信条が伝わるような、「全部の体重が乗ってるな」と感じていた歌詞が、この曲の、

100の言葉を 尽くすより伝わる笑顔を
ほころばすのもきっと
言葉だったりするのでしょう

の一節である。
ライブではここを歌った後、「そうでしょう!!」と力強く呼びかけてくれて、力ちゃんの“言葉”に掛ける思いをひしひしと感じた。

「せーのっ!」の呼びかけに力いっぱい「「「バカー!!」」」と返すのは本当に晴れやかな気持ちになった。

そして風船のサプライズ!

後ろにも届けろー!とペンラで風船をポコンポコンと弾いた。
あの時のはしゃぎようったら。“おかあさんといっしょ”のエンディングに映る子供たちに比肩するくらいにピュアだったと思う。
『Stream Key』は特に明るい声色で歌うこともあって、本当に子供のような気持ちで楽しくなれたなぁ。

最後のコーラスは、がむしゃらに声を出すのではなくて、みんなと声を合わせることを意識した。ここはそうしたかった。
参加者ながら、素敵な空間になっていたと思う。

曲が終わって、力ちゃんがはけるまでの間は、何度も「ありがとーっ!」と言っていた。色々な気持ちが溢れてもっと何か言いたいと思ったんだけど、ありがとうしか出てこなかった。

アンコール

アンコールはない可能性を考えていた。

というのも、ライブ前の配信で「ソロライブだからこれまでのライブよりは短くなる」というようなことを力ちゃんが言っていたのだが、この時点で私は全く短さを感じておらず、既に素晴らしい大団円を迎えたという満足感もあったので、アンコールがないという意味で短いと言っていたのではないかと思ってしまったのだ。
風船も降ってきたことだし、おにいさんおねえさんの作ってくれたゲートくぐって、スプラパ スプラピ と退出していくのもさもありなん、と考えていた。

なので、アンコールの声が上がった時はほっとした。
私のいたのと反対の上手側では、ものすごい勢いで風船が打ち上げられていた。今回のグッズにスティックバルーンはなかったはずだが、ボコボコボコボコとパーカスも加わえられた。そのリズムに乗せられて、アンコールのBPMがとんでもないことになっていた。
私も私で風船に気を取られていたので、アンコールの声は一拍おきに上げるのが精一杯だった。

風船があった分退屈しなかったのか、いつもより短く感じるくらいの時間でバンド隊の皆さんが再登場!

歓声とともにアンコール一曲目が始まった!

14.サンフランシスコ

「嘘!!?!!?!?」と声出た。

イントロを聞いた瞬間全身に電撃が走った。
一度叶った夢が後から追加で叶うことあるんだ。
あのライブで一番声を上げたかった曲。

アンコールありがとうございます!
なにを隠そう、このライブ、ここからが本番でございます!!
グチョグチョになるまで、帰しはしませんよぉ!!!

これマジなんですけど、この言葉を聞いた瞬間、マジで体力が全快しました。マジで。
正確には、全快時と同じエネルギー量になりました。自分も知らない二つ目のエネルギータンクが開放された。

この曲の力ちゃんはやばかったですね。霊威というか、ビンビンにオーラを放っていた。顔面のひび割れメイクもばっちりキマっていた。映像には残っていないかもしれないが私には見えていた。

今、渾身の声と共に、にじロのペンラを振り下ろす。

「「「「 サンフランシスコ!!!! 」」」」

未練が消えていく。
生きながらにして成仏を体験している。さらばにじロの亡霊。

光が足りないですか?

・・・えっっっ!!???

だったら品川で浴びていけばいいじゃない!!
もっと光をーーー!!!!!!

ウワーーーッ!!!!!

ほんとに成仏しちゃううううううううううううううううう

五指から放たれるレーザーに切り刻まれる。
目の前で光線が飛び交っている。

「3・2・1 ハァイ!!」のコールからさらに熱量が上昇していく。
頭がチカチカするくらいにドーパミンがどっぱどぱ出ていた。

ありがたかったのは背景映像だ。「サンフランシスコ!」のタイミングの直前に予兆のエフェクトを映してくれたので、乗り遅れた!と悔やむことも、なんなら乗り遅れまいと集中する必要すらなく、全力でノって、全力で声出して、快感指数が上がりっぱなしだった。

自分の意志で出せる以上のエネルギーを発せた、激熱のステージだった。

MC アンコール

アンコールはキャラが違うよぉ!!!

前曲の熱が引かないままのMCである。

バーチャルのレーザーからリアルのレーザーまで繋げていって、皆さんを貫くことができましたかぁ!

(観客:ありがとーっ!!!)

指からレーザー出してお礼を言われる。

VTuberには夢しかねぇなあ!!!

一緒にその夢を見ることができて本当に幸せだ。

そして楽しい楽しい記念撮影の時間。
お久しぶりのステッキ。
カメラの前で会場を振り返った姿は大事な思い出だ。

まずはカーニバル・イヴ通常盤ポーズ。
知ってますか? あまりに足が長いと人間って悲鳴が出るんですよ。

恐る恐るの「り き い ち ~」でパシャリ。

そしてテクニカルな初回限定盤ポーズでもう一枚。
これだけ前にいたらばっちり写っちゃうんじゃないかとドキドキしたけど、私はちょうど力ちゃんの後ろに入り込んだっぽい。
私が写れたのは上からの一枚。これっきりになるであろう画角らしいし、ある意味貴重な経験ができた。

こんな衣装ももらって。これからおれはなにをやっていくのか。
なにもかもが今回限りにするにはあまりにも惜しい。

秘伝のたれみたいなものもあります。
そういうものをどれだけ長く、太く、濃く、やっていけるかを色々試行錯誤していきます。

たまには派手にすっころんだりすることもあるかもしれませんが。
またそれはそれで、草とかバカとか言ってもらえればなと思います。

この活動で、“先の話”をするのってめちゃくちゃ勇気がいると思うんだよな。
うれしいを超えて、ありがたいとか、すごいよなぁ、みたいな気持ちになった。
怖いという気持ちがないわけじゃないんだもの。でも「うじうじしてたもんが吹っ切れた」って言ってさ、

吹っ切れたピエロは怖いよ!
どっちに転ぶかわかんないけども!
地球で玉乗りだこちとらな!

最高の啖呵を切ってくれた。しびれた。

袖に引っ込んで出てきたその手にはメガホンマイク。
色めきだつ観客を生活指導の先生がなだめる。何人かの生徒はお揃いの髪色にご満悦だったようだ。

ミニアルバムの曲は全部歌ったし。
レーザーも撃ったし。
やり残したことはもうないですよね?

と問われた際には、テンプレとして「え~」と言おうかなとも思ったのだが、「実際そうだよな」「にじロの曲まで歌ってくれたし、とっくに期待以上のものを見せてもらったよな」と考えてしまい、言葉に詰まっていた。
しかし、他の観客からの物欲しげな声に対する返事は、

そうだよね。

新 曲 が あ る も ん ね 。

おれまだこんなに声出せたんだ。

ここまでセーブしていたつもりはなかったんだが。
開幕からここまで、何回限界を超えたか分からない。

15.翻弄

新曲ということで、「この曲も力ちゃんの作詞だろうか?」と考えながら観ていた。

生々しいショッキングピンク。
自由落下のような破滅的な疾走感。
色欲。
獣のように粗野でいて、人間にしか出せない執着にまみれた歌声。

ジョー・力一以外のエッセンスを感じた。それでいて、既視感もあった。

ライブ中に気が付くことは叶わなかったが、後にTOOBOEさんが楽曲提供をしたと知った時には全部のピースが一気にはまったようなスッキリ感があった。

やはり、作詞込みで提供された楽曲は、ここまでのセトリにはない味がした。なんというか、味付けというよりは、ベースとなる出汁の部分が違うような感覚があった。
最終盤にして、あまりにも強烈な刺激を受けて、タイトルの通り翻弄されっぱなしのステージだった。

ラストはメガホンを投げ捨ててフィニッシュ!!
私からはメガホンがステージを滑って袖に消えていくのがよく見えた。
(本人曰く、メガホン投げは思い切りミスったらしいけれど、私には分からなかった。粗暴な感じで良かった。)

MC ラスト バンドメンバー紹介

「手拍子をくださぁい!」の号令から、最強バンドメンバーの紹介が始まる。
本当の本当にクライマックスだ。

腹にドスドス響くドラム!
支える低音のベース!
泣かせるギター!
幻想的なキーボード・バンマス!

最大級の感謝を込めて渾身の拍手を送った。

メンバーの皆様が紹介されるごとに厚みを増す演奏。
どんどんボルテージが上がっていく。

会場の皆様!!

全力で応答する。

配信組のみんな!!

全力で各地の同士を称える。

アドリブを思いついたとの言葉に前のめりになり。

さんばかにエール送っとこう!!
さんばかがんばれーっ!!!!

最高じゃねえか!と全身全霊の「がんばれー!」を放って、赤いペンラをぶんぶん振り回した。

私が、私めが。カーニバル・リヴ座長。
にじさんじ所属ジョー・力一でございました!
本当にありがとうございました!!

全身全霊の「ありがとーっ!」をお返しする。

テンションゲージはMAXをとっくに超えたのに、まだまだ伸びていく。

まだまだ声出ますよねぇ!
コール&レスポンスのお時間です!

コール&レスポンスが往復するごとに、エネルギーは倍増し、

本公演の最高到達点のテンションと共に、最後の曲が始まる!!!!

16.レイテストショーマン

今日は本当にありがとうございました!
最後の最後まで!一緒に声を出して!
今ここで!
最新の!最高の!ショーマンに!
みんなでなりましょう!!

最初と最後の2回『レイテストショーマン』を歌うというのは全く予想していなかったけれど、「意外」とか「驚き」みたいな気持ちは一切湧かなかった。
「最後も『レイテストショーマン』をやる」と認識するのと同時に、「これが最高のセトリだ!」という絶対的な確信が持てたのだ。
ごくごく自然体というか、感情の赴くままに、完全燃焼することしか頭になかった。

ただでさえ楽しいコーレスに、さらに「オーラァイ!!」「Woohoo!!」と煽り返してくれてさ。
そんでもってその煽りの声色がまためちゃくちゃ楽しくやってくれてんのが分かってさ。

どうにかなりそうだった。というか、どうにかなってた。あの時は。

自分の身体を制御できなくなってた。筋肉で動いてなかった。自分の中に充満したエネルギーが実体を持って、肉体を着ぐるみみたいに動かしてた。
発声も結局肉体の動きだから、レスポンスのないタイミングで何度も暴発しそうになった。「Hey!レイテストショーマン!」と言ったあと、同じメロディの「黎明1秒前」の部分で「He…ッ!!」ってなってしまった。

品川ステラ叫んでごらん!!

「「「「 アブラカタブラ!!! 」」」」

サイコー!!!!

本当に最高の時間だった。

「カーニバル・イヴの楽曲で何が一番好きか?」は超難問だけど、私は、やっぱり『レイテストショーマン』が一番好きだ。

このライブの歌唱では、「HAHAHA!!」と如何にもなピエロ笑いを挟んでいた。
「白日 曝け出す不安まみれのスポットライト」と歌った後にだ。

びびっていようが、スポットライトの下に立ったからには笑ってみせるんだ。この男は。
何ができるんだ?と問うて、やるしかないぞとThe show must go on と言い放つんだよ。

そんなショーマンの意地に熱くさせられる。
おれだってこんなもんで終わりたくない。
おれだって何かやってみせたい。
って気持ちになってくるんだ。

「一生、カーニバル・イヴ」の精神を最も色濃く感じたステージだった。
最高のパフォーマンス、ここすらもまだ“前夜”で。
その“まだ何かが、もっと何かが”というエネルギーこそが、最高のパフォーマンスを生み出してもいた。

全ての力を出し尽くして駆け抜けたラスト。
とても濃いけど、あっという間だった。

銀テが宙を舞った。

位置取りに際して、銀テのことは全く意識していなかったので、手の届く範囲に飛んできたことに仰天した。
瞬く間に周囲の手に収まる中、視界に映る最後の一本がスローモーションのように落ちてきた。
人生で初めて銀テをゲットできた。

最後の最後。
これにて終幕という時の、首を傾げて、肩を竦めるようにしてから浮かべた、力ちゃんの表情。
よく覚えている。
色んな意味のこもった表情だった。

終演

拍手と歓声に深々とお辞儀をして、
「またお会いしましょう!」と言い残すと、
我らがショーマンは去っていった。

と思いきや、『翻弄』の配信案内とイメージビジュアル公開で、最後までびっくりさせられた。

【影ナレ】
死ぬかと思うくらい楽しかったです。

またどこかの会場で、必ずお会いしましょう!
ありがとうございました!

「必ず」に力を込めて言ってくれたことがうれしかった。
満たされた思いで会場をあとにした。



私は欲張って風船を二つ抱えて出てきてしまったので、かさを減らすために結び口をほどこうとして壁際に座り込んでいた。

そうやってしばしの間、周囲を眺めていたが、あの時の空気感は良かったなぁ。
声出しによる酸欠でうっすらトリップしてたせいでそう感じたのかもしれないけれど。

連れと早速感想を話してる方も、
大号泣している方も、
ステージから反応がもらえたことに感激されてる方も、

みんな本当に幸せそうだった。
新幹線の時間が迫ってなければ、もう少しあの場にいたかったな。

風船をしぼませるのに意外と苦戦したので、一つは膨らんだ状態で持ち帰ることにした。
これはこれで、子供の頃の遊園地からの帰り道みたいでなんか良かったし、ぱんぱんに満たされた風船を大事に大事に持ち帰ってると、風船が具現化された余韻みたいに思えてきて、なおさら良かった。


あとがき

最後まで読んでいただきありがとうございます。

と言いたいところですが、何を隠そうこの感想記事、ここからが本番でございます!
目がショボショボになるまで、帰しはしませんよぉ!!!

今回の記事は大苦戦しました。

駄文にならぬよう努めましたが、「当時の心情に忠実に、パッションを優先して書いたゾーン」と、「書きながら所感として言語化した、理屈っぽいゾーン」が交錯する乱文っぷりは、どうすることもできませんでした。
かなり読みづらかったのではと思います。申し訳ありません。

以前書いた『にじロックNB』の記事と比べて余りにも書き進まないので、何が違うか考えたのですが、たぶん「声出しができた」ことが影響していたのだと思います。
自分からもアウトプットをしていたことで、インプットがうまくできておらず、クラッシュしたデータを復元するかのように、文字化けした感想を言葉にしていきました。
おかげで、アーカイブ公開終了時点で5割ほどしか書けておらず(にじGTAへの浮気も一因)、残りは書き殴ったメモとスクショと記憶を頼りに書くことになりました。

そして、ある程度、自分の感じたことが言語化されていったところで、今度は「この感想記事は公開するべきではないのではないか」という懸念が浮かんできてしまい、さらにペースが落ちました。

その懸念が浮かんだきっかけは、『フェイキング・オブ・コメディ』の例の振り付けと、『Stream Key』の「バカ!」のくだりで生じた感動の正体を考えたことでした。

「君を笑わせたい」と滑稽なしぐさをして、「バカ!」という言葉を一番に欲している。
それはつまり、「かっこいい」「賢い」と尊敬してもらえるよりも、バカにして笑ってもらえた方がいい、という思いがあるのではないか。
誰かの笑顔こそがすべてで、そのためならすべてなげうっても構わないという、ピエロのレーゾンデートルを体現した振る舞いに、私は感動したのではないか。

この言語化には自分でも納得感があったのですが、それと同時に、今、自分の描いているこの文章が、その思いを踏みにじるものであるように思えてきたのです。
「笑ってほしい」という思いで為されたパフォーマンスに、仰々しく賛辞を書き連ねるのは、言ってみれば、お笑いを見て「よくできてる」と言ったり、大喜利の答えに対して「なるほど」と返すような、興をそぐ、無粋極まる所業に思え、手が止まりました。

「笑ってほしい」との思いに感銘を受けたのであれば、笑顔に勝る称賛はないと理解し、すべての思いを「草」の一字に集約して踏みとどまるべきかと考えました。

しかし、この状況に置かれた時、にわかに蘇る言葉があったのです。

100の言葉を 尽くすより伝わる笑顔を
ほころばすのもきっと
言葉だったりするのでしょう

笑顔に勝る言葉を見つけられていない、正しく今この時の状況でした。
私もまた、力ちゃんに伏線を張られていました。

この一節を思い出した瞬間、言葉にすることを諦めたくないという気持ちが湧き上がってきて、少しでも伝わるように、と作文を続けることができました。そうしたら、想像以上に長くなってしまった。
結局、あの時会場で発した笑い声の1割ほども心を込められていないかもしれないけれど、取り敢えず、書き上げられたことには満足しています。


最後に、『カーニバル・イヴ』のリリースから、今回の『カーニバル・リヴ』を通じて、私が改めて感じた、ジョー・力一の魅力について記させていただきます。

またもや『Stream Key』からの引用になりますが、カーニバル・イヴの中でも特に大好きなフレーズが、「過去 未来 爛漫であれ」という箇所です。

未来への期待を感じさせる歌詞はこれまでも色んな曲で聴いたことがありましたが、“過去”もまた爛漫であれと歌うこの箇所は、初めて聴いた時、非常にインパクトがありました。

過去が爛漫であるとはどういうことか?

私は、現在の自分から見て、後悔するような過去としないこと、つまりは、これまでの自分を卑下しないことだと考えています。

私は、こういった、ジョー・力一の“自分”というものに対する姿勢が好きなんだと思います。

自己プロデュースの上手さから見ても、私は、力ちゃん自身が「自分のことが好き」だと思っています。
しかし、それは単に自己肯定感が高いということではありません。力ちゃんはむしろ、『コルロフォビア』に表れるように、絶えず自分自身に対して、もう一人の自分による冷笑的な視線を浴びせています。

キラキラした目で能天気に「自分大好き!」なんて言ってるんじゃなくて、ずっと羞恥心に苛まれることも、時には醜態を曝すことも承知の上で自分を好きでいるのは、むしろ、覚悟がいることだと思うのです。

そして、その理想を達成しようとする方法も、ジョー・力一の魅力だと思っています。

“ぶいあーる!”にゲスト出演した際、「自分の活動の中で一番大事にしていることはなにか?」を問われ、力ちゃんは次のように答えていました。

"どれだけ自分がノれるか"っていうのもあるんだけども、それだけで突っ走ると、なんか振り返ったときに「あれっ? みんないない……」みたいなときもあると思うんですよね。

だから……なんでしょう、こう、"やりたいこと"がまずある。
それから、"やれそうなこと"、今の自分にできそうなことがある。
それから、やっぱりこうリスナーがね、お客さんに、こういうのやってほしいなって"求められること"があるっていう。

この三つを、全部捨てずに、抱えて、バランスを取っていくっていう感じですね。

「自分のことが好き」でいながら、絶対に独りよがりにならない。

ものすごくしんどい試みだと思います。

しかし、私はこの生き方に憧れています。

私自身、生きていく上で、絶対に「自分のことが好き」でいた方が良い、という考えはあったのですが、この思想に基づいて生きていくには「我儘」である必要があるとも思っていました。
私は、善性ではなく臆病さ故に、他者を押しのける生き方を選べるような人間ではありませんでした。
そのため、「自分を好きでいたい」という考えが、自分自身の原動力となることはなく、身の程を弁えて、はみ出さず、何者にも脅かされない、無敵で退屈な人生を過ごすことを善しとしていました。

この人生を変えられるのは、我儘でいられる強さを持てた時だろう。
それなら、変わらない方が、全体で見たらマシかもしれない。
ずっとそう思っていました。

しかし、力ちゃんを見て、“自分”と“周り”の間で必死にバランスを取るという強さもあると気が付きました。

「自分と周囲のバランス、理想と現実のバランスが大事だよ」なんて、これまでも色んなところで聞いたことはあったと思います。
だけど、地味で、しんどそうで、聞こえないふりをしていました。

力ちゃんを見て気付いたのは、「そういう生き方が存在すること」ではなく、
地味で、しんどい、「バランスを取る」生き方って、すごくかっこいいじゃないか、ということです。

「我儘になれたら」なんて、開き直るだけで人生を変えようとしていた自分の浅ましさが分かって、自分を好きでいるために地道に試行錯誤していくことへの、憧れとモチベーションが持てました。


毎日それなりに頑張って生活していくだけでも十分じゃないかと思いながらも、どこかで“自分だけのステージ”に立ちたいという気持ちがくすぶっていました。

ジョー・力一は、そんな人間にこそ、力をくれる人物です。

これまでは、「それなりに頑張って生活していく」中での活力として力ちゃんを追っていたと思います。
しかし、『カーニバル・リヴ』を観たことで、自分だけのステージに繋がる、一本のロープを張ってもらえたと感じています。そのロープに足を乗せる勇気ももらいました。

これからは、私も必死にロープの上でバランスをとり、どれだけ先にあるか分からないステージを目指したいです。

あの会場で、「最新の、最高の、ショーマンに、みんなでなりましょう」と言ってもらえたのですから。

参照サイト

・JOE RIKIICHI ARCHIVE( https://rikiichi-archive.com

有志によるジョー・力一非公式ファンサイトになります。
本記事の作成にあたり、「セトリの曲が、過去配信で歌唱されているか」の確認に利用させていただきました。
ありがとうございました。


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