好き嫌い

誰かを肯定する気持ちがあり、好きと思う心がある。

同時に、誰かを否定する気持ちがあり、嫌いという心がある。

興味が持てない空白の心もある。

他人を嫌ったり、苦手意識を持ったことがあるのは当然のことで、人生の中でそういう感情を持ったことのない人なんていないんじゃないかと思う。

「俺、誰かを嫌いとかいう感情わかんないんだよね。興味ないから。俺、ちょっとおかしいのかも。感情ないっぽいわ」

みたいなイタ…独特な自認をしている友人が学生時代にいたが、彼は流行りコンテンツの熱烈なアンチであり、同じ日に、

「どこに行ってもこの曲流れてんな、メディアのゴリ押しうぜー」
「あの声優、毎クール出てるよな。枕なんじゃね?そういうのマジでないわ」

みたいな事を言っていた時は、舌の根の乾き具合を確認させてほしいと思ったくらいだ。興味がなければ気にならないはずなのにね。

つまり何が言いたいかというと、いわゆる「アンチ」や「荒らし」「厄介」と言われるユーザーも、「嫌い」の感情があるのと同じで「好き」とか「興味ない」感情があるはずなのである。

何かを好きで、だからこそ他の何かが嫌い、という関連性もある。
嫌いという感情がバレない様に「興味がない」風を装うこともある。

自分の心の置き所がどこにあるか、それによって色んなコンテンツを前向きに享受していく姿勢が作れると思う。

・「何かを嫌う自分」への自己嫌悪、あるいは全肯定

何かを嫌うにもエネルギーを消費するもので、マイナスの感情を表に出し続けていると疲弊する。そして、自分の醜さや心の狭さに落ち込んでしまう。そんなことはないだろうか。

俺は割とそういう事があって、たまにメンタル的に沈んでしまう。だからこそ「苦手」とか「よく知らない」とかいう言葉に言い換えて逃げることがよくある。諸々の理由ありで本気で嫌いなものはあるが、ちょっと嫌だなくらいのものをあえて嫌いという事は少なくなった。言葉にした瞬間、嫌うという行動にMPを消費させられるような気がするからだ。

逆に、精神的に幼かった学生時代などは、前述の友人ほどではないが、誰からも好きと言われる作品やタレントを「えー、俺は嫌いだけどな」と逆張りし、その上それを「かっこいい」と勘違いしていたこともある。

「他の奴が言えないことを言っちゃえる俺」
「あえて空気読まないという選択をできる俺」
「人気者を堂々と嫌える俺」
「敵作っても気にしない俺」

どれも本当にキツい。マジョリティに反発することで特別な自分になれるとでも思っているのか、こういう過去の俺の様な輩が後を絶たない。

「批判されることを承知で本心を話す」
「敵を作ってもかまわない覚悟」
「どんなに認められている人間だったとしても、自分の中でどうしても許せないものがある」

これらとは、表面上似ている事もあるかもしれないが中身は雲泥の差だ。
前半の4つは全て「そういう俺を見て!」という自意識にあふれている。

コンテンツへの批判・批評は必要である、という気持ちは今でも変わらない。しかし、批判というものは基本として「そのコンテンツをより良くしていくために発信する意見」であり、嫌いなものを批判することほど無駄なことはない。嫌いなら「良くなってほしい」などとは思わないはずだからだ。

「他の人は言ってくれないだろうけど、俺はそういうの気にしないから言っちゃうね」「君のためにあえて傷つく言葉使っちゃうけどさ。ごめんね俺、こういう話し方しかできない人だから」みたいな感じでアドバイスをしてくる輩は、相手への配慮ではなく自分のキャラ付けで言っているだけの事がほとんどなので、聞く必要はない。

「○○が嫌いな自分」に酔って自分を全肯定する輩は、見ていて非常に痛々しい。

完全に個人的な意見だが、年齢や環境が変わっても、必ず一定数こういう輩がいるというのは、さすがに胃がもたれる。

・肯定できる方がかっこいい

考えずに何かを肯定する「脳死全肯定」は判断を誤る可能性があるので危険だが、色んなものを嫌っている人より色んなものを好きな人の方がはるかに魅力的だ。

きちんと対象の人やコンテンツを観察し、しかも長所・美点を見つけて認めてあげられる、そんな人は本当に素敵だと思う。

俺はけっこう心が狭い方なので、何か一つきっかけがあるとあえてその情報をシャットアウトし「興味がない方向」に持っていく。嫌う場合、嫌い続けるにも燃料が必要なので、嫌いなものの情報を集めたりしてしまう事がたまにあるからだ。結局疲れて、何も生産性のない時間を過ごしたことに後悔するんだから救えない。

そうした自分が嫌なので、これからは色んなものを肯定的な目線で見ていこうと思う。

世の中に完璧などないので、悪い感情で見ればどんなものも悪く取ることが出来てしまう。「自分はフラットな目線で見てる」とか言っちゃう奴は大体嫌い寄りの視点で見ている。
そんな人生は、何だかむなしい。

嫌うという感情が芽生えてしまうのは仕方ない。人間だから。生理的にとか、許せない理由あってとか、そういうことはいくらでもある。

でも、その「嫌い」という感情を長続きさせないために、早めに興味から外そう。「好き」という感情は、なるべく長続きするように、餌を与え続けよう。

最後にひとつ。

逆張りで様々なものを嫌っちゃう諸君。
多分、承認欲求からそういうことをしているんだろうけど…気持ちすごいわかるけど…
色んなものを「好き」って言ってる人の方が承認されやすいよ。

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