【勝手にストーリー】成長
「…お待ちしておりました」
戦装束に身を包んだ男の放ったその声に、ぴたりと足が止まる。
石階段の数段下。男が見下ろすその先には、彼と同じ戦装束に身を包んだ小柄な女。
「お久しゅうございます…隊長」
男は腰から刀を抜きながら、淡々と言い放つ。
隊長と呼ばれたその女から、返事はない。代わりに、無造作に握られた刀をすらりと天に掲げる。
宵闇を穿つように丸く浮かぶ満月の明かりに照らされ、神社の鳥居は鈍く赤くそこに佇む。
長い石段の中ほどで対峙する両者。同時に刀を構える。
まるで鏡合わせの様に同じだった。顔の横に柄を構え、切っ先は平行に相手に向かっている。それは、二人が全く同じ流派の剣術を修めたという事をありありと示していた。
右利きの男、左利きの女。
中空に浮かぶ鬼火は、両者の対立を喜ぶようにふわりふわりと周囲を舞う。
「貴女は、私の目標でした…!」
その言葉を言い終わる前に、雷の様な剣閃が男を襲う。
「っ!」
無骨な金属音が高く響く。女の姿はすでにそこになく、男の背後、石段を登り切った開けた場所に移動している。
「流石…」
すぐさま構え直して女を視界に入れる。鋭い感覚が右頬を走る。
受け切ったつもりだったが、深く頬を裂かれた様で、顎から首、鎖骨あたりに生温かさを感じる。
女の表情は見えない。暗闇のうえ、やや俯きがちのまま両腕をだらりと垂らし、男に相対している。
「取り憑かれても尚、この強さ…まさにその一閃、紫電の如し」
二人の間を埋め尽くす、張り詰めた緊張感。
それでも男は、言葉を発することをやめなかった。
その言葉が、もはや届かぬことも知りながら。
秋風に木立が揺れる。
傷口はまるで心臓のようにどくどくと脈打ち、額には玉の汗がにじむ。
(次が、最後…)
我が身の消耗を自覚し、柄を握る両の手にぐっと力を籠める。
次の接触で全てが決まる。
目の前の女は、まるで男の覚悟が決まるのを待つように、上体を左右にゆらゆらと動かすのみだった。
「隊長…!」
憐れむような、懇願するような、悲痛な声が喉から絞り出される。
当然、返事はない。届いてすらいないだろう。
ーーーー数年前。
破魔の部隊として過ごした日々。隊長と部下として、剣の師弟として、背中を追いかけた季節の記憶が、男の心を駆け巡る。
強敵との戦いで、自分をかばって異形に堕ちた隊長。
もはや敵と呼ばざるを得ない存在となってしまった人。
かつて最も敬愛したその人に対する情は、変わり果ててしまった今でも男の中では欠片も褪せる事はなかった。
そしてそれだけに、彼は自分自身を許せず、この決着だけは自らの手で付けなければいけないと決心していた。
「隊長…!!」
もう一度、歯を食いしばって声を上げる。それに反応するように彼女はぴたりと制止し、ゆっくりと剣を構えた。
(本当に…やるのか、俺は…この人を)
背中に伝う冷たい汗。視線の先には、温度を失った大切な人。
堂々巡りの逡巡に、剣を持つ手が震える。
運命の惨さを、弱かった過去の自分を呪ってももう遅い。
男の迷いを知ってか知らずか、彼女は動かない。
ふとその口元に目をやると、かすかに笑っているように見えた。
そして、その瞬間。
『君は相変わらずだねえ』
「!?」
彼女の、隊長の声が聞こえた気がした。
鷹揚で、大雑把で、面倒くさそうに話すかつての彼女の声、そのものだった。
『そんなに肩に力入れてちゃ、斬れるものも斬れないよ?』
「…え?」
『決める前に悩むのは当たり前。でも…』
その言葉の先を聞かずして、男は素早く一歩を踏み出した。
その先は、彼女から何度も何度も教えられていた、魂に刻み付けられた言葉だ。
(決めたら、迷うな…!)
自然と脱力していた体はまるで羽の様に軽やかに舞い、彼女との距離を一瞬で詰める。
彼女はすぐさま反応して剣を突き出すが、男の目にはその剣がまるで止まっているように感じられた。
「ああああああ!」
その突きを下から斬り上げ、返す刀で彼女の肩から袈裟懸けに斬り下ろす。
「オオオオオオ…!」
彼女の声とはまるで違う、妖の断末魔の声。
斬り口からは血の代わりに無数の紫紺の鬼火が噴き出す。
男は剣を振り切った状態で静止し、目の前の彼女を見ないようにぐっと瞼を閉じる。
「くっ…隊長…!隊長!」
周囲を舞う鬼火達も、その断末魔に合わせて悶えるように飛び回り、鈍い光を放ってかき消えていく。
彼女の傷口から吹き出る光もやがて弱まり、消えゆこうとしている。
「申し訳…ありませんでした…!」
ずっと言いたかった言葉。
ずっと言えなかった言葉。
もう、伝えられることのない想いを口にする。
閉じた瞼の間から、とめどなく涙がこぼれる。
悲哀と後悔と自責の念と、様々な感情がないまぜになって男の心を締め付ける。
『よく、できました』
「えっ」
その声に思わず目を開ける。
ぼやけた視界の向こうで、鬼火と共に消えゆく彼女の体。
『成長…したんだね』
その口元は、また笑っているように見えた。
気のせいかもしれない。
男がそう思いたかっただけかもしれない。
真実が判然としないまま、彼女の体はゆっくりと、煙の様に秋の夜空に消えていった。
カラン…
目の前には、彼女が生前愛用していた刀だけが残った。
主を失い、寂しそうにその刀身を鈍く光らせている。
構えを解いて、刀を鞘に納め、彼女の得物を拾う。
「隊長…私は…俺は…!」
ぎゅっと強く握りしめ、天を仰ぐ。
「ああああああああああ!」
男の咆哮が夜空を貫く。
全てが終わった。
贖罪であり、敵討ちであり、過去との決別。
その全てが終わった夜、男の中に残ったもの。
それは多くの悲しみと、怒りと。
そして、彼女が遺した言葉と微笑みだった。
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